ダンスの天地
アーカイブ
インタビュー
批評

第0回

第1回

出演者写真・高瀬瑶子

高瀬瑶子

幼少よりモダンバレエを始め、16歳よりクラシックバレエを学ぶ。こうべ全国洋舞コンクール1位受賞。 現在はフリーとして活動中。骨で動ける身体を探しつつ、白井晃、森山開次、中村恩恵、近藤良平、青木尚哉の作品の他 、 CM等にも出演し、踊りを通して演劇やメディア活動での表現も探究している。

今回「ダンスの天地」に応募していただいた理由はなんですか?

「フィードバックがあるというところが大きいです。ただ作品を作って発表するというだけじゃなくて、ショーケースの前後で作品と向き合える機会があるからです。」

普段はずっと関西の方に拠点をおいて活動されているのですか?

「東京と関西で活動しています。東京と関西を行ったり来たり。」

東京へは年間、何日間ほど行かれていますか?

「出演する舞台にもよりますが、神奈川芸術劇場製作の舞台に出たときは3ヶ月間行ってました。」

高瀬さんはダンサーと振付家のどちらですか?

「ダンサーですね。」

今までご自身で作品を作られた経験はありますか?

「バレエをやっていたので、バレエの子供達に作品を作る機会はありました。自分で一つの作品を作ってショーケースに出すということは中々なかったです。」

今回なぜ、ご自身で作品を作ろうと思ったのですか?

「作ってみたい気持ちはあったのでその気持ちの輪郭がはっきりしてきたからです。今まで人の作品を踊ってきて、それはそれですごくやりがいもあるし続けていきたいですが、踊りと向き合う視点を増やしてみたい。特別なきっかけはないです。たぶん環境の変化というのもあると思うんですけど。」

環境の変化?

「3歳の子どもがいて、今まではダンサーとしてずっと人の作品を踊るということに比重を置いてきたんですけど、子供が生まれたらやっぱりダンスと生活の比重も結構変わってきますよね。日々そのバランスを上手いこと取りながらやろうとしているんですけど、やっぱりそういう生活面での変化も少なからず影響しているかなって思います。」

お子さんが生まれて、直接的にご自身のダンス観やダンスへの取組で変わったことはありますか?

「ダンス観や取組み方について、自分の中ではあまり変化はないです。でも時間の使い方は圧倒的に違います。今まで全部踊りに使っていた時間がなくなった分、その時間配分とダンスに捧げていた気持ちをどうもっていけばいいのかというのはすごい葛藤していて。うまいこと気持ちを切り替えて、全部同じ比重でできないかなって試行錯誤を続けて、やっと最近感覚を掴めてきた感じです。」

その感覚というのは、生活とダンスの割合の感覚ということですか?

「そうですね。あと、別に区切らなくていいんだというのはすごい思ったんです。生活と踊りを切り離さないといけない理由はない、生活の中にもダンスがあると思っていて。というのも以前、大谷さん(※神戸アートビレッジセンター館長 大谷燠氏)とお話しさせてもらったとき、出産後もダンスを続けたいけどどうなるか想像できなくて不安だということを言ったんです。そしたら大谷さんが「ダンスは人生そのものだよ」って仰って。そのときは、きっとそうなんだろうなという程度の感覚でその話を聞いてたんですけど、実際に子どもが生まれて、前とは生活のリズムも変わっていく中で、ダンスと真正面から向き合ってない時間も全てひっくるめて私の人生だし、「ダンスは人生そのもの」という言葉の意味を身体で理解し始めたんじゃないかという気がします。」

生活の中にダンスがあるっていうのは具体的にはどのような感覚ですか?

「何かを見て聞いて感じたこと、日常生活の動作(料理、掃除など)、所作、そういったものが全て踊りにつながっているのではないかなって思い始めました。それを100%実感しているわけではないですけど。」

どのような作品を作ろうと思っていますか?

「身体の持っている力に興味があるので、進化の途中である身体を浮き彫りにできたらと思います。最近読んだ本に、人間らしい作業をするために手足を使って生活しているが、四足動物性や魚類性の感覚が体の中に潜んでいる、と書いてあって、今考えていることとピッタリ合った感じがしました。身体運動能力は退化させてきたし、生活に根付いていた身体の文化も薄れてきている中、身体はどうなっていくのかと。そこで、進化、退化、身体、器官というワードが出てきました。また、そう思うきっかけになったのは青木尚哉さんのワークです。「骨を意識する」ということを仰っていて、骨と骨の間を広げるとか縮めるとか、相手からの反応を受けてそれに対して自分がどう動くのかとか、身体が変化していくのが面白い。身体の中心にある骨から動けると、人間の自然な状態、説得力のある身体で舞台に立てるのではないかと思って探求中です。」

自分の作品を他者に見せること、自分の表現を他者に見せるということは、高瀬さんにとってどういうことでしょうか?

「ダンスって一人でも踊れるじゃないですか。それでもなぜ人前で踊るのかというと、やっぱりコミュニケーションツールなのだと思います。人に見てもらうこと、その存在、空気や圧を感じて、ダンサーがそれを受け取って新たに生まれてくるものもあるし、このインタビューのように言葉で会話するのと同じことが身体とその空間全体で起こっていると思います。」

具体的にどのような人に見てほしいですか?

「特定の人に見てほしいとか思ったことはないですね。いつも見にきてくれる人からは「今日はこう見えた」というフィードバックがほしいし、ダンスをやっている人からは、同じ世界でやってるからこその意見もほしいし。もちろん今までダンスを見たことがない人にも是非足を運んでほしいなと思います。全く違う感想がもらえるのが面白いです。回っているところは喜んでいるように見えたとか。そういう意見をもらうとこっちも新たな気づきがあるし。それぞれいいところがあるから幅広く見てほしいというのはありますね。」

作品を作るということ以外で、何かご自身の活動を発信されたりしてますか?

「今はTwitterやインスタとか、誰でも発信できるし、みんな何かしら発信している時代だから、「ダンスを見せる/見る」だけの関係は難しいかもしれないですよね。例えば文化祭みたいに、作品の製作過程に自分も参加して、みんなで一つのものを作り上げて達成感を得るような体験が出来れば、公演にも人がきてくれるんじゃないかなって思います。お客さんとそういう関係を作った方がいいんだろうなとは思っていて、まずはネット上でコミュニケーションをとってみようと思って。「SHOWROOM」という仮想空間でライブするアプリがあるんですけど、私が配信したものにいろんな人のコメントがつくんですよ。「今日はこういうモチーフを作ったので踊ります」って踊って配信して、それに対してコメントをもらって話す。実験ですけどやってます。あとは、大人も子供も誰でも気軽にダンスに触れられる機会を作ろうとダンサーと計画中です。」

先ほど主に東京で活動されているとおっしゃってましたが、東京に拠点を移そうと思ったことはないんですか?

「もともと4,5年前まで東京で活動していたんです。関西には結婚とかそういう環境の変化に伴って来たんですね。関西にきたときは、一旦全部ゼロにしてみようと思って。」

ゼロにするというのは、ダンスをやめるということですか?

「辞めようと決意したわけではなくて、すべてリセットして真っ白な状態にしたら、どんな気持ちが湧き上がってくるんだろうと思いました。もしかして普通に生活することの方が楽しくなるかもしれないし、それでも踊りをやりたいと思うのかもしれないし、どうなのかなって。ゼロにしたんですけど、結局やっぱり踊っていたという笑。」

ダンス自体を辞めようと思ったことはないのですか?

「ないですね。もちろん思い通りに踊れなくて、もう辞めてやる!という気持ちになることはしょっちゅうありますけど、今のところ辞めようと思ったことはないし、たぶん人前で踊らなくなってもどこかしらで踊ってるんじゃないかと思います。」

もともとのご出身はどちらですか?

「出身は岡山です。もともと母の勧めでモダンバレエを始めて、それをずっと続けていました。高校生のとき親の都合で東京へ引越したんですけど、東京へ行くならちゃんとバレエの基礎を学びたいなって思って、遅いんですけど高校生からクラシックバレエの学校に通い始めました。」

ダンサーとして活動していこうと決意したのはいつ頃ですか?

「大学生のときですね。バレエ学校の先生にはずっと「骨格がバレエに向いてないから、、」と言われていて。でもそれって自分でも分かるじゃないですか。だからバレエの仕事は無理だろうって思っていました。同じくらいの年齢の子も海外のバレエ学校に留学したり、大学に行かずにバレエ団で踊っている子もいたから、プロになるというのはそういう人達のことを指すんだと思っていたんです。私は舞台に立てなくても踊りが好きだからやれるだけやろうと思っていました。それで普通の大学に行ったんですけど、大学の時にたまたまウィーンから日本に拠点を移したダンサーの方々に会ったんです。彼らは日本でバレエカンパニーを立ち上げようとしていて、そのカンパニーのオーディンションで選んでもらい、ウィーンに踊りに行ったり、カンパニーのクラスを受けたり公演に出演したりしてたんですね。そうしたら「あ、やっぱりダンスやりたい」って思いがすごく強くなって。実は就活をしようと思って、就活センターのような所にも行ったんですけど、全く何の情報も目に入らなかったんです笑。それならもう未知の世界の方へいってしまえ!と。あと、同じ時期にメディアの仕事をやらせて頂いたことも後押ししていると思います。 ウィーンの彼らに出会ったのは19歳の時なんですけど、19歳なのに、足を(バレエの型の)1番にして立ってなさいって言われたり笑。基本ができてないから。みんなが普通のレッスンをしてる中、立ってるだけっていう笑。クラシックバレエの作品であなたに主役はやらせられない、でも創作作品ならあなたの良さを活かせるだろうから、そっちなら任せられる、というようなことを言われて。ショックを受けなかったわけではないですが、はっきり言ってもらえて良かったです。それでバレエもやりつつ、創作作品もやって行く中で、25歳ぐらいの時に青木尚哉さんが振付している作品に出演し、彼の踊りを見たときに「私がやりたいのはこれ!」ってすごく感じて、コンテンポラリーダンスの世界に足を踏み入れました。」

昔からダンスを続けてきた中で、ダンス観や身体で変わってきたことはありますか?

「ダンス観でいうと、なんらかの形で相手の内側に触れることができたらいいなって思っていて、そのためにはそれを実現する身体、説得力のある身体が必要だと考えるようになったことです。変わってきたというより強く思うようになってきた。学生の時はもうちょっと考えがアバウトだった。お客さんに見てもらって何か感じてほしいとは思っていたけど、それよりも振りをこなすとか、振付家の要望にどう応えるかとか、そういうことばかり考えてました。身体の変化というのはやはりありますね。出産したというのが一番大きな変化で、出産後は足を45度上げるので一杯一杯で、もう終わりだ!!って思ったぐらい笑。」

出産はかなり負荷が大きいんですね。

「大きいですね。専門のトレーナーがいるわけでもないので、踊れる身体に戻すためにいつから何をしてよいのか分からなかった。出産後も踊っている先輩の話を聞いたり、専門書を読んだり・・・色々しましたね。出産前の身体と今とは確実に違うと思います。でも最近は、この身体もマイナスではないなって思えるようになってきて。昔は昔、今は今って考えられるようになってきた。」

高瀬さんは演劇の作品にも出ておられましたね。

「演劇の作品ですが、最初は森山開次さんの振付ということに興味を持ちました。好奇心もありました。もちろんダンスの作品もやりたいけど、他の世界も見ることで、自分の踊りを違う視点から見られるし、そこでつながる関係も面白いし、新しい感覚を得られるので。それがまた踊りに返ってきますし。」

演劇の作品とダンスの作品に出演するにあたって、両者に何か違いはありますか?

「見せ方の違いはとくに思わなかったですね。踊りを踊るという点については。ただ白井晃さんの作品ではダンサーもセリフがあって、声を出す点については同じ表現するにしてもだいぶ違うなと最初は戸惑いました。 ちょっと質問からズレてるかもしれないですけど、白井晃さん演出の『Lost Memory Theatre』(2014年/製作:神奈川芸術劇場)という作品に出演したんです。それは三宅純さんの音楽そのものを舞台化し、音楽、ダンス、演劇を交えたアートのような作品でした。その時に、バンドの方々が演奏している姿や歌っている時の身体を見て、ダンス必要なのかな、、って思っちゃった。 というのも、演奏するために使っているその身体だけで十分綺麗だったから、ダンサーは何をしたらいいんだろうって思いました。考えた結果、結局何もしないこと、着飾って舞台に立つのではなくて、全部取っ払ってシンプルにそこに立つ。それでやっとダンサーとしていられるんだなぁっていうのをすごく思った。」

ダンサー・振付家として、今後やってみたい企画やあったらいいなと思う企画はありますか?

「振付家の作品を踊る機会はもちろん、自分が作った作品を発表して終わりではなく続けて活動できる機会や、音楽家、美術家、衣装の方々と体を共有する企画があったらいいと思います。」

今回、作品を作られて、その作品を育てていこうという意識はありますか?

「あります。発表して終わりにするつもりはないです。作品を育てるためにもドラマトゥルク的な存在は必要だと思っています、特に今。」

あなたにとってダンスとは何ですか?

「生活の一部ですね。あって当たり前だし、言葉でもあるし。それこそ、大谷さんが仰っていた「ダンスは人生そのもの」だと思うんですけど、そう言い切るには、もうちょっと時間がかかるかな笑。」


本日はありがとうございました。本番がとても楽しみです。

出演者写真・京極朋彦

京極朋彦

京都造形芸術大学、映像・舞台芸術学科卒業後、 国内外の振付家の作品にダンサーとして出演。ソロダンス『カイロー』は2010年初演から4か国9都市で上演された。2012年「京極朋彦ダンス企画」設立と同時に京都の若手作家の作品発表と交流の場としてKYOTO DANCE CREATIONを創設。平成27年度文化庁新進芸術家海外派遣事業、研修員としてウィーンに滞在した他、中国、メキシコ、韓国等に招聘され、現地ダンサーと共に作品制作を行ってきた。作品制作以外にもワークショップ講師として活動している。

昨年、活動の拠点を兵庫県神河町に移されたとのことですが。

「僕自身、長いこと移住したいな、田舎に住みたいなっていう思いがありました。なかなか具体的にはならなかったのですが、奥さん(振付家・ダンサーの伊東歌織さん)が神河町の地域おこし協力隊に着任したことをきっかけに移住を決めました。全く違う環境に身を置いてみることで、そこで何が生まれるのかを試してみたいという気持ちもありました。あと、僕自身、東京、京都を行き来したり、ここ数年、海外にレジデンスに行く機会があって、拠点は日本のどこにあっても飛行機に乗っちゃったら変わらないし、拠点はどこでも活動できるなと思ったというのも、移住した理由の一つですね。」

これまで活動して来た京都や東京とは全然違いますか?

「違いはすごくありますね。時間の流れ方とか、環境とか。例えば夜の環境とか違いますね。ここは18時にはコンビニかスーパー以外やっていないので、18時以降の時間の使い方とかは違ってきますよね。京都にいたときは、みんな自転車移動で、終電がなかったし、やってるお店もたくさんありました。東京はもちろん24時間やっているお店がたくさんありましたが、時間の流れが全然違うなと思います。あと、人と人との距離感がとても近いです。噂とかも早く広まるし、東京から夫婦がきたということがホットなトピックになっているみたいです。歌織さんとかは自分が作った体操がケーブルテレビで定期的に流れているから注目されているんですよね。僕は僕で地域の人に関わるようにしていて、今は農業の手伝いをしてます。自分から行かないとなかなか関わりが作れないし、畑とかやったことないですが、そういった作業はダンスと根元的に繋がっていると思っているので、畑を耕したり、この土地の水を飲んだりすることは身体を変えていくのかなと思っています。」

今回の作品は骨や筋肉といった身体へのアプローチがコンセプトと応募資料に書いてあった印象がありますが、やはり身体が変わっていくっていうことは大きいですか?

「そうですね。ここに移住してからはあんまり焦らなくなったんですよね。やっぱり東京などで稽古場を借りるのに自分がお金を払っていたりすると、借りている2時間の中で何か結果を出さないといけないと思ってしまったり、結果を急ぐということがあったのですが、ここに来てからは稽古場も当日行ってもその場で借りられたりするので、一つの動きに対して吟味するみたいなことがじっくり出来ています。骨とか筋肉とか解剖学的な知識としては分かっているけれども、実感を伴うまでに時間がかかって、今まではそれを知識だけで作品に盛り込んでいたのが、実感を伴って作品に繋げられるということが起きてきています。だから大きく何かが変わったというよりも、今までやってきたことがより丁寧に出来るようになっていると思います。」

拠点が変わり環境や時間が経って、ダンスに対する意識やダンス観みたいなものが変わって行っているというのが今のお話を聞いて感じました。作品を発表するということについてはどう思いますか?作品という形式に落とし込む意味とはなんなのか、それを人に見てもらう意味はなんでしょうか。

「僕のキャリア自体が、いきなり作品を作ることから始まったんですね。ダンスを習ったこともないのに、踊り始めてしまって。ダンサーとして舞台に立つ以前に、ソロダンスを作って発表するということを大学の卒業制作でやりました。いきなり作品を作るところから始めたという経緯もありますが、一番最初は承認欲求でしかなかったと思います。「俺を見てくれ!」みたいな笑。とにかく承認してもらいたかったんですね。もともと役者をやりたくて京都造形芸術大学に入って、まさかダンスをやるとは思っていなかったですね。でも今思えば承認欲求を満たすためには役者をやるよりもダンスの方が手っ取り早いって思ったんでしょうね。それが段々そのことを超えて、踊りを通じて対話したいという気持ちになってきました。ダンスが他者と話をするきっかけになってきたなと思っていて、僕自身コミュニケーションが得意かって聞かれたら、そうでもないんですよ。ただ、踊っている自分を話題に、人と話を始めたいという気持ちがあって。何もしていなかったら話せないけど、ダンスをやっているからダンスについて話せるということで、対話のための一つのツールでもあります。なぜ自分は踊るよりも、作ることにこだわっていたのかを振り返ってみると、その対話が人の作品に出演するよりもダイレクトにできる立場でいたかったのだと思います。」

京極さんは自作自演が多い印象はあります。自分の身体で作って、踊ってと言ったソロダンスの印象がとても強いです。自分自身の中でダンサー、振付家って区別があったりしますか?

「人に振付けるのって怖いなって思っていました。自分にだったら幾らでもナイフを突きつけることができるけど、人にナイフを突きつける覚悟がないと振付できないなと思っていた時期がありました。2009年に初めて女性とのデュエットを作りました。それからも幾つか作品は作っていたのですが、ほとんどの作品に僕も出演していました。完全に僕が出ていない作品を作ったのは少なくて、それはやはり人にナイフを向けるような恐ろしさがあります。自分に向ける方がよっぽど楽なんですよね。ただ海外に行ったときに、それが素直にできたんですよ。英語でコミュニケーションするんですけど、知っている単語が少ないからダイレクトにものを言うしか手段がないってのもあって、英語を喋ると気が大きくなるじゃないですか。普段のキャラとちょっと違うんですよね。しかも。日本語だと匂わすとか色んな手段が使えるから、結果よく分からなくなってしまうけれども、英語だとこれをやってくださいとしか言えないということもあって、スッとできましたね。その経験はやはり自分の中でも面白くて、今まで自分はソロしかできないかもしれないとか、人に振付けるのが怖いなとか思っていたものが段々となくなってきました。自分が振付家かダンサーかって言う話になると、やはりダンサーは経験が少ないと思っていて、人の作品に出ていることはあったけれども、経験値としてはソロをやっているというのが多くて。ソロをやっている時もダンサー脳で考えている時と、振付家脳で考えている時と、演出家脳で考えている時と、プロデューサー脳で考えている時があります。僕は明確に、この時はこの脳をって使い分けるように意識していて、プロデューサー脳まで行くと集客のことを考えたりとか、どんな場所でやるとかどの人とやるとか、お金いくらにするといった角度から作品に切り込んでいく考え方をしていて。ダンサー脳で考えたらそんなこと関係なくて。ダンサー脳っていうか身体ですね。ダンサー脳でとにかく振付を作っていって、それを振付家脳の段階で調整して形にしていき、演出家脳でそれをどういった照明とか音響とやるのかと考えています。それを意識的に時間で区切ったりとか、稽古が終わって家に帰ったら振付家として今日やったものをフレーズ化してみようとか、それを今度は演出家脳で照明どうしようとか考えます。それをうまくやるのは大変なんですが、ソロをずっとやってきた中で割と自分なりに意識してできるようになってきたかなという気がしています。」

生活の何パーセントをダンスに費やしていますか?生活にダンスはありますか?

「最近思うのは、結構前までは生活とダンスって離れているものだと思っていました。稽古場に行ってダンスをする、終わって帰る、みたいな。「Life is Dance」とか「生きることがダンス」というのも解釈としてはそうなんだろうなと思ってはいたけれど、僕にとって作品を作ることは特別で、日常とは切り離されたラボみたいなところで作る、作業場みたいな場所で作るというイメージがありました。それに対して変なプライドもあったのかな。容易く自分のやっていることは生活と一緒ですと言いたくない、もっと特別なことをやっているんだという意気込みもあったと思います。でも段々年齢を重ねてくると、自分が特別にプライドを持ってやっていることが挫折しそうになった時に、生活全体からの支援がないと作品が作れなくなるような、身体全体とか生きること全体のパワーで押し返さないと作品を作れなくなるときがあります。もちろん体力とかもあるかもしれないけれど、意識として、総力戦で行かないとできない。寝ている間とか、ご飯食べている間、ダンス以外のことを考えている間といった生きてるってことを充実させて、そこからパワーを持ってこないと年々上がる作りたいもののレベルと釣り合わないと感じるようになってきました。だから、段々年を重ねるごとに年上の方たちが言っていた「Life is Dance」の意味が少しづつ分かるようになってきましたね。」

現在のコンテポラリーダンス界についてどう思いますか?

「2007年に京都造形芸術大学を卒業した時は未来に希望を持っていた時期というか。夢見ていた時期で、白井剛さんがトヨタコレオグラフィーアワード2006で「次代を担う振付家賞」を受賞され、きたまりさんが最終選考にノミネートされた時に、演出助手できたまりさんの作品に入っていたんです。そこでトヨタの現場を感じていた時には、僕もゆくゆくはこういった場で踊ったり、こういった賞があったりしてやっていけるんだって思いがありました。ある意味、スター制度みたいなものがまだ見えていた時かな。それが今どうなっているかと聞かれると、スターシステムは崩壊しているなと思っていて。一つしかない大きな山が、割と色んな小山に分かれていったという感じがあります。それは別に良い悪いとかではなくて。コミュニティーダンスをはじめ、ダンスが良い意味で多様性を持った色んな山に分かれていったというイメージがありますね。でもその分大きな時代のうねりみたいなものを生み出す力は分散している気がします。その小山同士が連結している訳でもなくて、割と点在していているのかなと思います。 ただ、今のコンテンポラリーダンス界では、小山が分散して行ったその山々で、危機感を持った人が色んなところで生まれてきていて、そういう人たちがそれぞれの場所で面白いことを始めているのを感じます。一つの頂点を目指すのではなく。地方にダンサーが帰っていったりとか、東京から分散して行くという流れもあって、それがある意味で一時期のコンテンポラリーダンスブームへに対する反省みたいな形で出てきていて、コンテンポラリーダンサーたちは意志を持って地方に散って行っているのではないかなと感じています。」

プロフィールにも書いてありましたが、京極さんは海外への滞在歴もあります。

僕が海外に行って一番思ったのが、アーティストが市民権を持っているということです。やはりコンテンポラリーダンスの歴史が積み重なっていて、市民権を得ており、ダンスをやっていることに対して一般の方からの尊敬の念があるというか、文化に根付いていますね。僕が2015年に2か月半ほどウィーンに文化庁の芸術家派遣制度に採択されて行ったのですが、ウィーンには「インパルスタンツ」という、毎年夏に「ダンサーの天国」と言われているWSが行われ、世界各地から優れた先生とダンサーが集まっているんです。それも覗いてみたのですが、とにかくポジティブなパワーに溢れている場所でした。そのWSは一般の人も普通に受けることができるんですね。カフェで知り合った全然ダンサーでもない人に、自分はダンスやっているという話をしたら、僕もインパルスタンツのWS受けたことあるよみたいなことを言われて。文化の中にダンスがちゃんと根付いているという環境があって、それでいうと日本ではそういうことって無いなって。」

ダンサー・振付家さん同士でご結婚されて、ご自身のダンスやダンス観で影響受けたことはありますか?

「僕はすごい影響を受けてます。すごい喧嘩するんですけどね笑。作家同士ではあるけど方向性は違うし、性格も違いますから。奥さんは18歳からこの世界にいて、僕が経験してないことを経験してきている先輩でもあって、尊敬しているところは沢山あります。そもそも一緒に移住してきているっていう時点で相当影響力がある笑。」

(歌織)「私が尊敬するところは、海外とかいったときに、私ぜんぜん英語できないので、英語喋ってなんかやってるのはすごいなと思うけど笑」

「そこだけ!?」

(歌織)「でも京極くんは粘り勝ちするタイプで、あたしは結構諦めが早いんです。それは作品にエネルギーを注ぎ込んじゃう分、ダメだった時にダメージが大きくて疲れちゃうんですよね。そういうときに諦めたくなったり、助成金やコンペが通らないこととかに対してネガティブに感じることが多いんだけど、京極くんは意外とめげないタイプっていうか、ずっと助成金だし続けるとか、コンペに応募し続けるみたいな笑。そういうところが結構学ぶとこではありますかね。」

「歌織さんは感覚的なところがあって。アーティストとしてすごい繊細だったり、感覚が豊かだったりとかっていうのは、羨ましいって思う部分がある。僕は結構引いて見ちゃうタイプなんで、論理的にものを考えて、没頭できないところがあるんですけど、その辺の没頭し具合っていうのは羨ましいなって思うときもあるかな。」

今回の作品はどのような作品ですか?

「ダンスを始めた頃、感覚的にただただ動きを作って並べていたということを、もう一回やってみたいなって思って。というのは、さっき振付家脳とかプロデューサー脳とか言ってましたけど、僕は客観的にものを見る能力ばかりずっと鍛えてきちゃった気がしてて。じゃあ、一番最初にダンサーとして身体を動かすことが楽しいと感じた、それこそ学生時代、砂連尾理+寺田みさこクラスでやった最初の5分くらいのシーンにもならない動きを作っていた力や熱量をもう一回取り戻したいっていうか、もう一回やってみたいと思って。今、住む場所も変わったし、ソロダンスを作り出して10年くらい経ったので、もう1回最初に戻ってみようかなって気持ちではいるんですけど。それは歌織さんのような感覚的に考える人の影響もすごいあって。」

ダンスを辞めようと思ったことはありますか?男性だと、30歳を境にダンスをやめる人が増えるっていうのをよく聞きます。

「僕は辞めようと思ったことはないんですよ。ただ、やっぱり30歳って節目としてはでかくて。それこそ30歳のときに、僕は京都を出て、出身地の東京に戻ったんですけど。それは3年間僕が主催していたKYOTO DANCE CREATIONが終わったっていうのもあるし、京都ってユートピアな感じがあって、このままここにいていいのだろうかって。それがちょうど30歳のタイミングで、本当にお金なくなって京都の家賃すら払えなくなったので、なんとか自分のやってきた経験をお金に変える方法を見つけなきゃってなって。ちょうどそのとき東京のカンパニーのオーディションに受かったこともあって東京30歳って言ったときに、お金稼がなきゃって思ったんですけど、自分がやってきたダンスをお金に変換するというのは、京都では出来ないって思ったんですよ。それは別に京都が悪いって意味じゃなくて、その方法が京都に10年住んでて見出せなかったんですよ。東京に戻って、ダンスを活かした仕事とか、ダンスをやってきたことが無駄にならない仕事を探した時に、友人の紹介で発達障害児の療育スタジオに出合って、働くようになりました。そこでの経験は今の僕にとってダンスだけでなく、生き方にまで影響を及ぼしてるんですけど、この話すると長いのでまた別の機会に」

コンテンポラリーダンスの批評に期待することってなんですか?

「批評って結構いろんな側面があると思ってて。つまり、この批評文を読んで、次もお客さんが見に行きたいって思う批評文を書く人もいるし、率直に「クソだ」って書く人もいるし。プロのダンス批評家としてやってる人って、一緒に育てようって意思がある文章を書くと思う。それは特定のダンサーを売り込もうとか、すげーよかったから次も来いみたいな嘘を書く詐欺商法でもなくて、批評家自体が一見さんで終わらないというか、その人が見たダンスが、その先にどうなっていくのかってことを示してくれる文章。今見たものに対して、未来の射程の広い文章が書ける人がいいなって思うんですよね。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「やっぱダンスって言葉は未だに馴染みないんですよね。「踊り」っていうとしっくりくることがあって。ダンスってちょっと敷居が高いっていうか。でも矛盾してるんですけど、ダンスって、敷居が高くてラボで作るものって思っているんだけど、一番自分が出せる場所っていうのもあって。僕は直感とか感情を出す前に論理でまとめる癖があるんですよ。ダンスはそれを一旦ぶちまけることができる場所で、それがなければストレスで死ぬって思う。実際に僕大学生のときに考えすぎて道でぶっ倒れたことがあって。なぜ生きるんだろうとか、そういうことを。それでこのままじゃちょっとやばいぞってなったときに、ダンスと出会って。それは即興のダンスだったから、何者でもなく自分を出せる場所としてダンスがあって。だから自分にとってのダンスというのは、自分が一番好き勝手できる場所かなって思ってます。」

出演者写真・大熊聡美

大熊聡美

クラシックバレエを杉山聡美に師事。お茶の水女子大学舞踊教育学コース卒業。大橋可也&ダンサーズ「ザ・ワールド(A)」「プロトコル・ オブ・ヒューマニティ」、Nibroll「イマジネーション・ レコード」などに出演。行定勲監督映画「ピンクとグレー」(矢内原美邦振付) に出演するなど、メディアにも活動の場を広げている。2017年よりBATIKに参加。

今回「ダンスの天地」に応募していただいた理由はなんですか?

「私いまバーでバイトしてるんですけど、毎年バイト先でクリスマス会をやってて、そこでダンスを踊ってくれって言われて。そこで去年の12月に踊ったやつが結構出来がいいなと思って。で、どっか出したいなと思った時に、facebookで応募を見つけたので出しました。」

普段はどのような活動をされていますか?

「去年からBATIKに入って、BATIKの作品を踊るのが中心です。あとは自分で作品を作りたいなという時があったら作るという感じです。」

Nibrollの作品にも出演されておりますね。

「「Nibrollは完全新作に出たのは去年が初めてですね。学生時代から付き合わせて頂いてて。もう一つ、大橋可也&ダンサーズっていうカンパニーがあって、そこも学生時代からちょこちょこ出させてもらってます。」

そもそもダンスを始めたきっかけは何ですか?

「ちっちゃいときからバレエをやっていたのがそもそもですね。田舎だからデパートの中に入っているスポーツジムのクラスにずっと通ってました。コナミにずっと通ってました、高校生まで。でも、それまでに教室は3回くらい代わってて。最初はよく分かんないビルに入っているよく分かんない先生がやっているやつで。次は地元のスゲー金持ちの人がやっている教室に移って。そこから、大阪にある法村友井バレエ団に杉山先生という方がいるんですけど、その方がコナミに教えにきていたので、最後はそのコナミに通ってました。」

高校卒業後は、お茶の水女子大学へ進学されたんですね。

「そうですね。お茶の水へ行った理由は、高校の頃に「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」をテレビで見て、こういうのやってみたいな、と思ったのがきっかけです。高校までは創作舞踊とかコンテは全くやってなかったんですけど、同じ法村友井バレエ団の本部の教室の子とかが、コンテの振付を受けているのを見てて、こっちの方が踊れそうって思ってました笑。それでコンテに興味はありました。」

お茶の水は大学院まで行かれたんですね。

「そうですね。」

大学院を卒業されて、そのあとすぐダンスの道へ進まれたのですか?

「いや、違いますね。大学生と大学院のときは、とにかく踊りたくて、色んなところに応募して、その時出会ったのが、BATIKやNibrollや大橋可也&ダンサーズで。その時は本当に「踊りたい!」という気持ちしか頭の中になくて。でも卒業して、一回就職したんですよ。大学院を卒業して、1年間ニートして、1年間就職して。就職してる時も、実は完全にダンスと縁を切ったわけではなくて、大橋さんの作品に出たりはしてたんですけど。でも結構1人でぼーっとしてて。片道5時間かけて、チャリをこいでどっか行ったり笑。で、またダンスに戻ってきました。出戻りです笑。」

ちなみにどういうお仕事をされてたんですか?

「ヨガのインストラクターしてました。たぶん心のどこかで、何かあったらダンスに戻ってこれるようにしてたんだと思います。だからちょっとダンスに近い仕事にしたんだと思います。」

今はちょうど出戻って1年目ということですよね。何故またダンスをしようと思ったんですか?

「まぁ、普通に社会に適応できなかったというのと、やっぱり、ダンスをやっていたときに、すごい大事にしていた感覚、例えば、リノを踏むときの足の裏の感じとか、指先の細かな感覚とか。そういうものって普通に生きてたらスゲーいらないものじゃないですか。でも私にとってはすごい大事なことで、そういう一番大事だったものが大事では無くなってしまうところに自分を置くのが嫌だと思って。それを大事にできるところに居たかったんです。」

BATIKに入られたのは何故ですか?

「BATIKがちょうどオーディションをやってたというのもあるんですけど、大学入る前にBATIKの『SHOKU』という作品を映像で見て、すごい影響を受けてました。で、大学4年生の時に神奈川芸術劇場でBATIKのWSがあって。そこで『SHOKU』を踊らせて頂く機会があって、自分に合ってるかもなと思いました。カンパニーに所属したのは、1人だと気持ちがどこかダンスとは別のとこにいってしまうと思って。つないでおいてくれるものが欲しかったというのもあります。」

個人の活動としては何かされておりますか?

「直近だと、先月2月に「北千住 BAP Night」という、深夜の1時から始発くらいまでずっと踊るイベントがあって、そこに作品を出品しました。」

今回の応募資料の中に、「振付は呪文、踊りは魔法」と書いてありましたが、それはどういう意味なのでしょうか。

「単純に自分が踊って、ダンスってそういうものだと思ったということです。」

失礼な言い方になってしまうんですけど、「振付は呪文、踊りは魔法」というのが、コンセプチュアルな意味で用いているのか、それとも本当に大熊さんがダンスをそのように捉えているのか、応募資料だけでは判断できなかった部分があって。今のお話だと、本当にダンスを「振付は呪文、踊りは魔法」として捉えているということでしょうか。

「そうですね。結構いままで関わってきた人の振付が影響してもいるんですけど。例えば、大橋可也さんの作品の作り方って、テキストがあって、そのテキストを大橋さんが振付にし、私たちダンサーが踊るっていうものなんです。そのテキストは、作品ごとによって、小説だったり、街を歩いて見えてきたものの文章、例えば「ここの歩道橋を渡ると漬物屋があって・・・」みたいな感じだったりするんですけど。それってすごい呪文っぽいって思って。で、大橋さんから貰った「振付」=呪文を練習して、魔法を発動させるのが「踊り」だと思うんです。でもその呪文も、人によって違くて、Nibrollの矢内原さんの場合は、めちゃくちゃ速く動け、って言われたりとか。同じことを何回も繰り返せって言われたりとか。それもすごく呪文っぽい。そんな感じです。」

今回は自作自演のソロ作品ですよね。

「振付はすでにあるので、それをやるだけなんですけど、自分で振付をして自分で踊るときって「これはやりづらいから、こうしちゃおう」ってズルができちゃうじゃないですか笑。それはダメダメダメって思う。踊りやすくしちゃうと、それは違うじゃないですか。だから、振付はなるべく守りたい。呪文だから。『BLEACH』って漫画知ってますか?そこに「詠唱破棄」っていう概念が出てくるんです。『BLEACH』の世界だとワザを発動するのに呪文が必要なんですけど、戦闘レベルの高い人が「詠唱破棄」って言うと、呪文を言わなくてもワザを発動できるんですよ。つまり呪文を省略できるんです。それはでも、そのレベルに達した人、詠唱破棄できる人にしかできないので、そのレベルに私はまだ達してないので、ちゃんと呪文を唱えないといけないんです。」

すごく分かりやすい笑。

「あと、学生の時とかは群舞の振付もやってたんですけど、今は自由に使える人がいないというのが、ソロになっちゃう一番大きい理由かも。同じ大学出身で、研究しててダンスは今あまりやっていない友達とかに、作品できたら見せて感想を聞いたりはしますけど、一緒に作品を作るダンサー仲間とかはいないかもしれない。」

今回の応募作品は「ダンスの天地」以降も継続していく予定ですか?

「今回の作品はしばらく深めたいなと思っているので、色んなところでやって、形にしていきたいです。今はバイト先のクリスマス会と「北千住 BAP Night」でやったのみですね。北千住の方は7分の作品だったんですけど、今度は20分以内なので、もうちょっと長くやろうかなって思っています。」

自分の作品をどのような人に見てもらいたいと思いますか?

「誰でもいいです。」

そもそもダンスを人に見てもらうのってどういうことでしょうか。

「私は日本語が苦手で、喋るのが上手くないから、踊ります。」

言葉の代わりってことですか?

「たぶん。相手とコミュニケーションが取れてるかどうかは分からないけど、踊っている間は言いたいことが言えてる感じ。普通に喋っていると、言っちゃいけないことってあるじゃないですか。そういうの分かんないですし、私。でも踊っている間って、そういうこと言われないから笑。見たあとに言われるかもしないけど笑。」

年をとるに連れて、大熊さんのダンス観で変わってきたことってありますか?

「ありますね。「待っててもこない」っていうのが分かった。踊ったり作品を作っていると、「これがやりたかった!」ってなる瞬間があるじゃないですか。昔は、それがたまたまやってくるのを待っている感じがあったけど、今は、それは待っててもこないものだし、それがくるためには日頃の積み重ねがないと、くるものもこないんだなっていうのが分かったところです。例えば、振付とかだと「振りが降りてくる」って言い方をよくするじゃないですか。降りてくることも実際にあるけど、でも待ってても降りてはこないから、そのための準備をするということですね。」

大熊さんにとって拠点ってどこですか?

「東京ですね。出身は関西ですけど、別に関西に帰ろうって思ったことはないです。」

大熊さんの生活の中でダンスってどのくらいの割合を占めてますか?

「割合は、単純にいうと、朝3時間働いて、その後バレエのクラスに行って、稽古場あればそのまま稽古行くし、なければバレエのクラスをもう1個受けたりとかして。で、夜は21:00-26:00までバーで働いているので。昼間は踊っている感じです。」

バレエのクラスはどこかの教室に通われているんですか?

「今はBATIKがARCHITANZからサポートを受けてて、ARCHITANZで開講されているバレエのクラスを受けれるので、ほぼ毎日受けてます。」

今後はどのような活動をしていくつもりですか?

「私、そんなに先が長くないので、とにかくいけるとこまで行こうと。私あの、40歳で死ぬらしいので。」

え、そうなんですか!?

「らしいんですよ。夜働いているバーのお客さんに手相見てもらったら「お前は40で死ぬ!」って言われたので。あ、そうなんだって笑。もちろん真に受けてるわけではないんですけど、40歳で死ぬってことにしたら色々やりやすいんだろうなって。ただ、ダンサー・振付家としてやっていく覚悟はまだなくて。学生時代は自分があまり踊れなかったというのも含めて、作品を作る方が好きだったけど、今は作家を名乗れるほど作ってもないし。踊れたらいいや、ぐらいです。踊りたいものがその時踊れたらいいかな、という感じ。振付家としてやっていきたい!みたいな、そんなすごい気合もないです。」

やってみたい企画や、こんなのあったら良いのにと思う企画ってありますか?

「色んなイベントや企画に結構手当たり次第出させて頂いているんですけど、意識だけ高い人が一杯だなって思う。語る前に踊れよっていう気持ちはすごいあって。ダンスの世界全体に言いたいのは、ちゃんと、踊ることを一番にしてほしいとうこと。アートとか言う前に、踊ってほしい。・・・全然企画の話ではないんですけど、ダンスの世界全体への希望として。」

大熊さんにとってダンスとは何ですか?

「何ですかね・・・。割と日本語の代わりです。うまく日本語を喋れないから踊っているところはあります。あと、アートじゃない。アートとか芸術は知らん。今のまんまだと、結構無くなっちゃいそうじゃないですか、ダンスが。無くなんないといいなぁと思うので、八百屋さんとかサラリーマンとか見てくれたらいいですね。夜バーで働いているから、サラリーマンのお客さんが多いんですけど、「アートとか俺にはわかんねえよ」って言う人がやっぱ多くて。そういう人って、ダンスを見る前は「アートとか分かんねえよ」って言うんですけど、見てくれたら意外と「あれってこうだろ」って感想とか言ってくれて。それが何の先入観もなく純粋だから、結構楽しいんですけど。普通に「お前の体がエロかった」とかそういうことも言うんですけど笑。それもそれで面白いじゃないですか。そういうダンスの意見として言っちゃいけないことも言ってくれるから、そういうのは楽しい。ダンスを見慣れてる人だとすごい、アーティスティックな意見を言ってくれて、それは「そっかぁ」ってなる。それはそれでいいんですけど。」

出演者写真・山﨑モエ

山﨑モエ

5才よりダンスを始め、上京後、コンテンポラリーダンスを学ぶ。龍美帆主宰NR6の国内外公演に参加。ソロやデュオで創作活動を行う。現在高知在住。ミュージシャンとのコラボや舞踏などの活動を通して、独自の身体表現を探る。

「ダンスの天地」に応募して頂いた動機は何ですか?

「いま高知でソロ活動をしているんですけど、近場の関西で活動できたらいいなと思っていて。それでとにかく踊れる場所をいろいろ探していて。神戸はコンテンポラリーダンスが盛んというイメージがあったので出たいと思い応募させてもらいました。」

山﨑さんは現在高知にお住まいですが、高知では普段どのような活動をされているんですか?

「高知では、いつも一人で練習してて、たまに高知のミュージシャンと小さなイベントでコラボしたり。あとは県外で作品を出したりとか。普段はゆっくりじっくり身体と向き合ったりしている感じですね。」

高知の中で同じコンテンポラリーダンスをしている知り合いなどはいらっしゃいますか?

「コンテンポラリーダンスの人にはあまり知り合えないですね。だから高知県内で自分の作品を出すよりも、県外で作品を出した方がやりたいことがやれますね。」

高知には、ダンサーが集う場所や機会はありますか?

「ないですね。高知の人が自分から発していく場所は少ないですね。」

元々のご出身はどちらですか?

「元々も高知です。小さい頃からずっと高知でダンスをやっていて。それで20歳頃に上京して、20代の頃は東京でダンスをしてました。普通にコンテンポラリーダンスの振付家の作品に出たり、一人でソロ活動をしてましたね。」

コンテンポラリーダンスを始めたのはいつからですか?

「上京してからなので、20歳ちょっとぐらいからですね。そもそも上京も、ちょっとダンスの勉強をしてこよう、色んなジャンルのダンスを勉強してこようと思ったからで、本当は半年くらいで帰ってくる予定だったんです。結局10年くらいいましたけど笑。」

高知に戻って来れられて、いま何年目ですか?

「4年目くらいですね。高知に戻ってきたのは、東京にいると、プロとしてとか、毎日踊らなきゃとか、月に何回も舞台に立たなきゃとか、海外行かなきゃとか、そういうことばかり意識してしまって。「自分が本当にやりたいこと」と「プロのダンサーとはこうあるべき」ってことが、いつの間にかすごいズレてて。気づいたら、全然やりたくないことに向かっているような気がして。まぁ周りに流されて行き詰まった感じですね。本当に踊りたい踊りを見失って。それで1年間ぐらい、ダンサー友達とかと一切会わずにずっと一人で引きこもって。1人で1年閉じこもってたら、やっと本来の自分が蘇った感じですね。それで「よし、高知に帰ろう」と思って帰って来ました。」

高知ではおもに一人で活動されているのですか?

「そうですね。ずっと一人で練習してますね。まあそんなにメリハリきいた生活しているわけではないんで、ぷら~っと家で踊ったり、ぬめ~と踊ってます。」

今は一人で稽古されているとおっしゃいましたが、自分の稽古を他人に見てもらうことはありますか?

「今はないですね。そういう存在がほしいですけどね。ただ、作品を出したときに、見てくれた人が意見を言ってくれるので、今はそこから考えていく感じですね。人からのアドバイスというよりは、その言葉を聞いて「いま自分はこう見えるのか」ということを頼りに、次につなげていく感じですね。」

東京ではカンパニーに所属されていたとプロフィールにありましたが、それを辞めて、ソロ活動に切り替えたのは理由があるのですか?

「カンパニー自体がしょっちゅう活動していたわけではないので、作品作るときに呼ばれたら行く感じでした。普段は、いろんな振付家のレッスン受けたり、WSに出たりしてました。あとはとにかく出る場が欲しかったので、クラブイベントに出たり。割と一人でずっと活動してました。」

普段、作品を作るときはどのように作られているのですか?

「今は昔とだいぶ変わってきてて。作り方が変化しているので難しいんですけど、今はイメージが強いですね。あるイメージをいろんな動き方でやってみるということをしていて。だから振付というよりも、ある言葉とかあるイメージを、感覚で動いたり、質感を探っていく感じです。今日はこの質感をずっと考えてみようとか、そこを重点的に考えてつなげていく感じです。今回出す「水のキオク」について話すと、水の質感で動くということ、つまり、水みたいにとか、水の中にいるように動くというエクササイズを自分の練習に入れていて、その動きがよく面白いねって言われるので、それをそのまま作品にしようと思いました。テーマとして一貫性もあるし、色んな捉え方ができるので、作る方も自由に作れると思っています。何年かかけて作り続けたいなと思っています。」

どういう人に作品を見てもらいたいですか?

「すごく自分に共感してくれる人、例えば、動きへの興味が自分と似てる人とか。それとは逆に、全然自分の作品を理解してくれなくて、なんかよく分かんないって思ってくれる人ですかね。極端な方が面白いと思います。そういう人たちに見てもらうと嬉しいなって思います。好き嫌いは別として、感覚として共感してくれる人と、全然分かんない人。」

山﨑さんは振付家・ダンサーのどちらですか?

「分からないですね。いつもぬるってしてるんで、キレイにカテゴライズできる人間じゃないんで笑。ただ、他人のダンスを見ても、この人はダンサーだとか振付家だとか、そういう区別はあまりしてないです。自分の中ではダンサーと振付家の区別ってそんなに重要じゃない気がしてます。」

最近、何かダンスの作品を見ましたか?

「YouTubeのダンス動画ばっかり見てて・・・。全然記憶にないですね。何を見ても作品がイメージに残るというよりは「動き」が好きなんですよ。動きが面白かったら、変な作品でも見てよかったって気持ちになるので。だから、誰のどんな作品かってあまり覚えてないんですよね。ちょっとした動きでも「これどうなってるの?」っていうのが好きで、きれいな動きよりも、不思議な動きの方が好きです。」

今のコンテンポラリーダンス界の状況はどう思われますか?

「そのことについてはあんまり考えたことないですね。基本、自分のことしか考えていないので。でも、今の状況が良くなっても悪くなっても、面白いものがある限りはいいんじゃないかなって。踊りたい人はどこでも踊ると思うし、ネットでもいくらでも自分の作品を載せれるし。わたし、基本的に引きこもりなんで、ダンスは部屋の中でもできるって気持ちでやってるんで。別に今の状態が良いとか悪いとか考えたことはないですね。」

今後どのような企画があればよいと思いますか?

「今回のような場がもっとあればいいなと思っています。この「ダンスの天地」はただのショーケースと違って、評価もしてもらえるし、言葉を貰えることもありがたいです。あと、映像作品のショーケースのようなものがあっても面白いと思いますね。いま、高知のいろんな変な場所でダンスの映像作品を作っていけたらいいなと思っていて。全くアナログな人間なので、スマホで撮るとかしか出来ないと思うんですけど、自然の光も面白いし、夜中に街頭の下でやるのも面白いかなと思っていて。それは単純に、そこに自分の動きが入ったらどうなるんだろうってことに興味があるだけなんですけど。」

今回はダンスの批評があるのですが、自分の作品が批評されることについてどう思いますか?

「そうですね。最近は批評のようなものがすごく欲しいと思っています。厳しい目で見てもらうことがすごいありがたいことなので。批評があると客観的にどう思われているのかが分かるので、例えば「こう見られているのなら、もっとこうしよう」って考えるようになると思います。」

山﨑さんはダンスで食べていこうとか、ダンスで生活していこうって思いますか?

「ダンスで生活した方が、身体にはいいなとは思いますけどね。仕事をしてから踊りに入っていくと、まず身体を戻さないといけないというのはありますよね。身体を戻さないと振付すら出来なかったりするから。」

「身体を戻す」というのは、生活とダンスのモードを切り替えるということですか?

「そういう精神的な話のことではなく、身体自体のことですね。骨が動かないとか、筋肉がこっちにいかないとか。それだけですね。気持ちとしては、仕事してても踊ってても変わらないので。」

仕事をしている時と踊ってる時で気持ちは変わらないんですか。

「変わらないです。私いまマッサージの仕事をしてるんですけど、マッサージ中もダンスっぽい動きしてみたりしてます笑。そもそもマッサージ自体が人の身体を考えることなので、そういう意味では仕事もダンスも変わらないですね。自分の身体のことも他人の身体のこともずっと考えながらやっているので。今の自分のダンスって、自分に語りかけるみたいというか、独り言みたいにずっと踊っているんで。私も若い時は、人に向かって何かを伝えるのが踊りだって考えてたんですけど、今は踊りを、自分の身体の中で遊ぶことのように思っているので。だから多分、身体に意識を向けている時は、踊っている時と同じような感じですね。」

昔と今で、そのようにダンス観が変化されたのは何か理由があるのですか?

「引きこもって一人で踊ってた時期がずっとあって、今もそうで、もう4年以上一人で練習してるので、そのせいだと思いますね。人前で踊ってもあまり意識が変わらないというか。むしろその方が外の空間をよく見えるようになって。自分が踊りで何かを発しても、自分の形が分かる。自分の中から何かが出ているのが、今の方がよく分かりますね。それが良いか悪いかは分からないですけど。」

普段の生活の中で、何%くらいをダンスに費やしておりますか?

「本当に生活にメリハリがないので、ここから仕事、ここからダンスっていう意識がないから、よく分からないというのが本音です。よく分からないですね笑。」

年齢を重ねるにつれて、身体やダンス観で変化はありますか?

「昔と今とでは同じ踊りをしていないので、あまり自覚ないです。ただ、今は自分の好きなようにダンスを踊れるので、とにかく省エネで踊ってますね。私は身体をよく傷めるんですけど、なるべく身体を傷めないように、踊りそのものが楽しようとしてるんじゃないかと思います。だから無駄なことはしないようにしてますね。普通のダンサーが必ずやってるようなトレーニングでも、自分に必要ないなって思ったらやらないですし。昔はみんなやってるから、このトレーニングは必ずやるとかありましたけど、今はないですね。」

山﨑さんにとって、拠点はどこですか?

「高知ですね。地元で創作というのが一番いいですね。田舎が好きで、もっと山奥へ行きたいぐらいです。刺激がほしくなくて。静かに余生を・・・。でも日本中行きたいなとは思いますね。古いものが好きなので、古いものがあるところに行って、踊りたいですね。廃墟とか、お寺とか、お墓とか、いいですよね。」

劇場で踊るよりも、そのような屋外で踊る方に興味があるのですか?

「劇場で踊るのは楽しいなとは思いますが、ただ自分の踊りに合ってるか合ってないかでいうと、合っていないと思うので。劇場やステージで作品を踊るときも、ソロ作品のときは、照明とかですごい狭い空間にしてもらうので。」

今後の活動の展望や目標はありますか?

「今はとにかく静かに作品を作るのが大事なんです。その一方で、だんだんと外に出て行く機会が増えているので、もっと大きいショーケースやコンペにも出してみたいですね。そういうのは今までは自分には必要ないと思っていたんですけど。評価を貰ったりとか、本気で褒めて欲しいですね。」

外に出ていこうと思うのは何か理由があるのですか?

「ずっと同じことをしててもきりが無いというか、飽きるので。そういう出て行く時期もあっていいかなって。いま気合いがちょっと入っているので、今のうちに笑。色々挑戦すると、きっと良いことあるから。」

山﨑さんにとってダンスとは何ですか?

「・・・・普通に日常的なものですね。日常です。今は、日常と非日常の区別がないので。東京で活動していたときは、日常と非日常の区別はあったんですけど。ダンスをするためにイヤイヤ働いてって意識が強かったので。今は、働いてても踊ってるような仕事なので。仕事自体も日常って感じがしないですね。」

本日はありがとうございました。

出演者写真・SickeHouse(シッケハウス)

SickeHouse(シッケハウス)

振付家・舞台監督の下村唯と、音楽家の仁井大志によるパフォーマンスユニット。観客との対話をそのまま作品に取り込む「ダンスコミュニケーション作品」を展開。ダンスの新たな出会いを求め、演劇祭や展示系アートフェスティバルを中心に活動。フィジカル・シニカル・シアトリカルなダンスを観客とともに立ち上げる。代表作は「嘘つきのトッカータ」「日本現代舞踊大学」など。近年は長編ダンス作品「亡命入門」のためのリサーチと、ショートピースの作品発表を行っている(右:下村唯、左:仁井大志)

「「ダンスの天地」に応募したきっかけを教えてください。

(下村)「「ダンスの天地」に応募する前に、いま、長編フルイヴニング作品「亡命入門」を作ろうと思っていて。それの作り方をいろいろ考えていたんですけど、長編作品を作るのに当たって、例えば三ヶ月まるまる使ってガーッと長編作品を作るのではなくて、一つ一つショートピース作品を作って、段階を踏んで、それらをもとに最終的に長編作品を作り上げていくってことをやってみようと思っていまして。2月の末に「亡命入門:壁ノ国」というショートピース作品を発表しました。で、また今年の1月に「ダンスの自明性を問ふ。」ってタイトルの「ダンスの天地」ってイベントがあることを知って。僕はもともとダンスっていうのを結構うがって見ているというか、僕はダンスを踊るためのダンス作品って基本的に好きではなくて、お客さんに楽しんでもらったり考えてもらったりしながらお客さんと一緒に舞台を作っていくことがすごく重要なことだと思っているので。「ダンスの自明性を問ふ。」って企画内容は、根本的に僕のスタイルにあっているのではないかと思って応募しました。」

今回上演する「亡命入門:夢の国」は、長編作品「亡命入門」の一部(ショートピース)ということですが、長編作品「亡命入門」の構想を教えてください。

(下村)「構想自体は1年前くらい前から考えていています。長編作品を作ったこと無かったので、まぁ30歳を過ぎたしいっちょ作るか、という感じで。構想を練るきっかけとしては、社会的な問題を、どうやったらお客さんとダンスで共有できるのかということを考えています。今回はいろんな角度から社会の問題を持っていけるようなタイトル=「亡命入門」が思いついたので、そのタイトルをベースにして、どういうふうに自分達がお客さんとダンスを使って関わっていけるのかを考えようと思っています。「亡命入門」ってタイトルである以上、「どこからどこへ行くのか」というのが作品コンセプトの大きな一つの要素になっています。「どこからどこへ行くのか」「そこからまたどこへ行くのか」っていう、ある種、漂流していくような、逃げていくような、逆に追い求めていくような一つの繋がりの中のほんのワンストーリーみたいなイメージです。」

SickeHouseの近年の主な活動内容や経歴を教えてください。

(下村)「結成はいつだっけ?」

(仁井)「2014年ですね。当時、下村君が神戸に住んでいて、それに合わせて僕も神戸へ引っ越したのが2014年なので。2人での継続的な活動はそこからです。」

(下村)「SickeHouse結成以前に、僕と仁井君でやっていたのは「嘘つきのトッカータ」って作品です。これは淡路島の廃校になった旧野島小学校って所でやりました。当時、淡路島でアートと農業で地域活性化をするプロジェクトっていうのを大手人材派遣会社がやっていたんですよ。そこで仁井君と知り合って。そのプロジェクトの中でアートの展覧会を主催することになって、僕がこういうことがしたくて、そこに音楽が欲しいってなったときに、ちょうど仁井君がいて音楽をお願いした感じです。それが一番最初で、そこから一旦分かれて、また2014年から一緒にやってる感じですね。」

(仁井)「下村君に僕の音楽のライブに出てもらうときは、2人で同じ作品を作っているというよりは、2人とも別々のことをやっていると思うんですよ。別々なんだけど、結果同じものとしてあるみたいな感じですかね。」

(下村)「僕が仁井君のライブに出始めた頃から、僕が執拗に「客をいじる」ってことをやり始めて。」

(仁井)「音楽のライブにダンサーが出てくるんでアウェイなわけですよ。じゃあ、どうするかってなって、客いじりに活路を見出すっていう。」

(下村)「上裸になって抱きつくとか、客が飲んでいる飲み物を飲みに行ったりとか。あと、逆立ちしながらタバコを吸おうとして客に火を付けてもらおうとする。そういうふうに客いじりするのは、仁井君が音を出してみんなを楽しませていくのと同様に、僕もダンスを使ってみんなを上げていくっていう感じですかね。」

(仁井)「1つの作品を作るというよりは「関係性」で遊ぶみたいな。僕と下村君の関係性であったり、下村君とお客さんの関係性とかで遊んでいる感じですかね、茶化すくらいのつもりで。」

(下村)「それで仁井君といろいろ一緒にやって、SickeHouseを立ち上げて。これも、仁井君と一緒に住んでいた家が、湿気くさかったんでSickeHouseって言い出して。で、2人で何かをやるときにはSickeHouseプレゼンツって言っていたら、いつの間にか団体名になるっていう。」

(仁井)「そうね。SickeHouseはパフォーマンスチームであったり、イベントのプロデュースチームであったり。2人が何かをやるのに名前がいるってなって、SickeHouseにしている感じです。」

お二人がずっと一緒に活動している理由は何ですか?

(下村)「僕は根本的に仁井君の音が好きだってことがまずあって。昔はそうでもなかったんだけど、ここ2年くらいでめちゃくちゃ僕の要望を拾ってくれて、それをさらに膨らませてくるようになった。最初はすごい退廃的だったんですよ、精神的に。ちょっと皮肉っぽいというか。最近は皮肉っぽさはどんどん無くなって、洗練されて綺麗な音になっていっている。ガサツさがどんどん無くなっていって。」

(仁井)「最初はそうだったってこと?」

(下村)「だって最初キーボード壊してたじゃん。バッキバキに壊してゴミ箱にバサッって。」

(仁井)「それは当時の自分が考えた最強の演出だったんですけどね。コレはいいぞ!って。今思うとイタいなって思うけど。」

(下村)「あと、2人で活動している理由としては、ダンスと音楽ってすごく密接で、切っても切り離せなくて。作品を作るのに当たっては、音楽って絶対誰しもが悩むし考えるし、失敗もしていくような関わりだと思うんですよ。そして僕は、既成の音を使うってことに神経質になる。作られた音が持っている力が、自分の作品にどうしても交わらない時がある。逆に皮肉的になるんですよ。「音楽ではこう言ってるけども」って視点が入っちゃう。その視点が仁井くんの音には入らない。既成の曲を使っているとうがった印象で見てしまうので、それがないってことは、僕はすごい助かっている。作品に対してストレートに音楽が関わってくるというのは、ダンスにとって健全な関わり方だなって。」

SickeHouseでは、作品を作る時は2人で一緒に作っているんですか?

「(下村)「作品を作るときに、上手くいくときはポンポンとアイデアが出てくるんだけど、何も思いつかない時や、自分の頭の中に構想やイメージがあっても、いざダンサーを使ってやるってなったときに、全然面白くないっていう時があるんですよ。それを今までは騙し騙しやってたんですよ。自分が持っているスキルでなんとかごまかすみたいなことをやっていたんだけど、「亡命入門」に取り掛かってから、それを仁井君がけっこう質してくれた。「亡命入門」の「亡命」ってどういうこと?とか、「亡命入門」の中でやりたいことって何なの?とか聞いてくれて。一人で考えているとだんだんブレていくんですよ。それをごまかしきれなくなった時に、仁井君みたいな存在がいてくれるとすごく助かる。で、僕はダンスで「亡命入門」の世界観を作るし、彼は音楽でその世界観を作る。今までは僕から仁井君に音楽のオファーをしていたんだけど、最近はその関係ってどうなの?ってなって、どんどん仁井君から歩み寄ってくれる。」

(仁井)「僕も下村君と何回も一緒にやっていると、分からないけど分からないなりの「立て方」みたいなものが分かってきて。それは下村君の作品の立て方かもしれないけれど。それで下村君がブレてるなって感じたときに「普段の下村君だったらそこに気をつけているはずだぞ」ってことを伝えているだけですね。」

作った作品をどんな人に見せたいですか?

(下村)「僕は一貫してダンスを知らない人です。そっちの方が面白いんじゃないかと。今のコンテンポラリーダンスの客って、それこそダンスの自明性を求めてくる人の方が多い気がしていて。ダンサーや振付家が、踊っている時、作っている時に何を感じているのかではなくて、見ている人が何を思うのかに興味がある。初めて劇場に入って、作品を見て、劇場を出たときに、何か世界が変わって見える―例えばキラキラ輝いて見えるとか、この世の中って本当に腐ってるなって思ったりとか―それくらいに風景が変わるような体験を一番求めているんじゃないかって思うんですよ。」

ご自身の経験とともにダンス観はどのように変わっていっていますか?

(下村)「僕は他の振付家の作品に出演をすることが多いんです。で、そこからたくさん持って帰ってくる。だから僕は他の作品に関われば関わるほど、自分自身が変わっている感覚がある。作品の根本に一番影響しているのは維新派の思想です。これは見ればわかると思います。最近だとセレノグラフィカさんの作品に関わったことで、僕の作品は結構変わったなって思う。例えば、今回の「亡命入門:夢ノ国」では、初めてダンス作品で「愛」について考えたシーンを入れるんです。そういう気持ちになったのは今回が初めて。それはセレノグラフィカの隅地茉歩さんと阿比留修一さんがずっとデュオをやり続けていていく中で、ふんわりとした言葉では言えない何かっていう関係性があって、それがすごく愛に近いような気がして。それにすごい感化されてしまいました。自分の内発的なものをやるっていうよりも、エッセンスをヨソから貰って、それを「自分ならどうするか」って広げていく感じ。」

影響をうけたアーティストの方はいますか?

(下村)「一番影響を受けたのはマーヴィン・ゲイ。あとは、キャット・スティーヴィンス。」

(仁井)「本当に?ちゃんと答えたほうがいいよ。」

(下村)「いや、影響は受けますよ、誰からでも。面白い身体の動かし方は目黑大路さんでしょ。あとは山本和馬でしょ。維新派でしょ。黒沢美香でしょ。ヤザキタケシでしょ。北村成美でしょ。セレノグラフィカでしょ。仁井君でしょ。大きく言うと野田秀樹、永井愛も。あとモンゴルズの増田雄にはかなり影響を受けてます。」

影響を受けた人々に共通していることってありますか?

(下村)「んー、なんだろう。観客をしっかり見ていながら、好きなことを好きなだけやってる感じがあるかな。」

舞台監督の経験は、作品作りに役立っていますか?

(下村)「もちろん役立っていますよ。使う頭の部分が全然違うんですよ。何ができて何ができないかを、自分で判断できるのは強いですよ。小屋の人に突拍子も無いことも言わないし。かといって、現場に入ってリクエストを出して「無理だね」と言われた時にこっちから反論できる。舞台監督も振付家も、見ている目線は違えど作品を見ていることは一緒だから。まだできてはいないけれど、舞台監督の目と、観客の目と、演出家の目で見ることが出来る、目の切り替えができると最強になれると思うんだよね。」

拠点についてはどう考えていますか?

(下村)「どこでやってもほとんど一緒だと思うんですよね。どこに住みたいかってことだと思う。そんなにダンスのコミュニティってしばり強いか?って思うし。土地柄ってものはあるかもしれないけど。拠点を置くってことは、そこの土地の恩恵を受けるかどうかってこと。今はDANCE BOXの舞台スタッフとして働いているので、その身の上で言ったら恵まれてると思います。拠点なんか関係ないって言ったらスタッフから怒られそう。 いま関西に拠点を置いているのは、実家が近くて、支援してくれる人がいるから。DANCE BOXもそうだし、実家もそうだし、見に来てくれる友達も多いし。応援してくれている人が多いから拠点になっているだけかもしれない。だから、海外や東京に移住したとしても、拠点は関西かもしれない。」

生活の中に、ダンスはどれくらいありますか?

(下村)「ありがたいことに全てですね。DANCE BOXで舞台監督しているし、実際にダンスもしているし、ダンスで彼女作ったし、ありがたいですね。バイトしてないし。何でもかんでもダンスにつながるとは思わないけど。」

下村さんはこの4月から東京へ引っ越すとお聞きしましたが、それは東京へ拠点を移すということでしょうか。

(下村)「拠点の意識はないですね。東京でも、踊って作って、今のダンスの関わり方をもっとブラッシュアップして、ダンスと密に関わる部分をもっと大切にしていきたい。ダンスを踊ることもそうだけど、作品を育てていくことで海外での上演につなげていくとか、そういうことをできるようになりたい。そういう機会のあるところに積極的に足を運びたい。消費されるのではなくて、観客との関係の中で遊びが生まれてくるようなダンスを続けていきたい。」

それはダンスで食べていくことにつながりますか?

(下村)「昔はダンスで食べていきたいって思っていたけど、実際いまダンスに関わることで食べていけてるしな・・・。別にバイトもしていないし。ダンスを踊ることだけで食べていくなら、ショービジネスの方に入っていかないといけないし、それをしたくなかったら何か考えるしかない。それで僕は舞台スタッフをしています。そのおかげでいろんな人の作品を見ることもできるし。まぁ、これはダンスを「踊ることや作ることだけをダンスとしない」って前提がありますけどね。」

あなたにとってダンスとは何ですか?

(仁井)「考えたこと一回もないわ。ここでいうダンスってコンテンポラリーダンスでしょ?よく分かんないです。下村君のことは好きだけど。ここに関してはコンテンポラリーダンスが嫌いでも下村君が好きだから、僕はやりますよってだけ。これがダンスの自明性ですよ。ダンスなんてどうでも良いけどやる。これは自明性を問われていますよ。説明できていないし。で、下村君は?」

(下村)「うーん、なんだろうな。・・・飽きないしな。・・・遊びです、これは。職業じゃない。遊びですね。」

出演者写真・原和代

原和代

富山県生まれ、大阪在住。グループでの活動を経て、 これまでに自身の作品を東京・大阪・仙台・ソウルなどで発表。『un face』にて2015年Seoul Choreography Festivalファイナリスト。JCDN主催「踊りに行くぜ! !Ⅱvol.5」Bプログラム選出。 1996年以降演劇作品の振付を多数手掛け、近年では劇作家との 協働作業を積極的に行う。 神戸学院大学人文学部芸術文化コース非常勤講師。

今回「ダンスの天地」へ応募して頂いたきっかけは何でしょうか。

「もともと「ダンスの天地」とは関係なく、今年の秋ぐらいに竹ち代さんと高瀬さんの二人で何かしらやりたいなと思っていて。2015年にお二人と初めて『un face』という作品を作って、そこから時間が空いているので、また二人と一緒に何かやりたいなと。そしたら「ダンスの天地vol.1」がちょうど秋ぐらいにあったので、それで応募しました。それと、私が今年の3月と5月に関東で踊る機会があって、それは昨年作った『a frame』(さなぎダンス#11にて初演)という高瀬さんとのデュオの作品をソロにしたものを私が踊ったんですけど、それは結構真面目に作ったもので、何かもうちょっと楽しいものというか、見た目面白いものをやりたいなって。」

今回の上演作品『呼び合う声、朝と夜。』に出演されるダンサーの高瀬瑶子さんと竹ち代毬也さんとは、いつからのお付き合いですか。

「竹ち代さんとは長くてもう20年以上ですね。2000年前後に「ENTEN」っていうグループに参加していて、当初バンドとパフォーマンスが合わさった集団だったのですが、竹ち代さんはそこではダンスパートのリーダー的存在でした。竹ちゃんの他にダンサーの佐藤健大郎君、池端美紀ちゃん、現在は富山で活動中の峠佑樹君や、花嵐の古川遠さん他、音楽の舩橋陽さん、束ねていたのはパフォーマーでデザイナーの吉岡(魚谷)彩会さんで、結構大所帯でした。今はないですけど扇町ミュージアムスクエアという劇場でも公演しました。知らないか。通称OMSって言ってね、閉館間際にダンスの公演がちょこちょこありました。あと、アイホールでも2作品単独公演があって。ちょうど砂連尾理さんと寺田みさこさんがデュオで公演されていたり、割とアイホールでもダンスの企画をされていた時期ですね。 高瀬さんとは出会って4年程ですけど、高瀬さんが東京から関西に越していらした時に、私が所属しているバレエスタジオに彼女がレッスンでいらっしゃって、そこで出会って。綺麗やし、踊れるし、話もイケるって思って。それで2015年にメイシアターのDecision Pointsというダンスのショーケースでやらせてもらえることが決まって、デュオの作品を作ろうって思って誰にしようか考えていた時に、竹ち代さんは信頼のおける人やし、高瀬さんは頼れるからお願いした感じですね。私の頼れる人を引っ張ってきたらこの二人だった!っていう。 実際にやってみると、二人とも互いに面白がっていて、それは自分でセッティングしておいてアレなんですけど意外だなって。で竹ち代さんと高瀬さんは、なんか似ているなとも思ったんですよ。自分自身への冷静さというか、ある種の冷ややかさみたいなものが近い感じがして。それはいい誤算でしたね。」

そのお二人の特徴というのは、今回の上演作品にも繋がっていますか。

「そうですね。できたらもうちょっと二人の特徴が色濃く出るようにしたいなとは思っていて。2015年に『un face』を作った時は、私のナビに二人が沿ってもらうような感じだったんですけど、今回は既にお互いのことを知っているので、もうちょっと二人の言葉みたいなものが出てくるといいなと思っています。」

原さんがダンスを始めたきっかけは何ですか。

「子供の頃に始めたクラシックバレエです。それも宝塚歌劇団受験のために始めたので、バレエを始めるにしては遅い小学6年生くらいから始めたんですけど。でも結局、宝塚の受験を落ちて。以前『月刊デビュー』っていうオーディション情報誌があったんですけど、グラビア、テレビ、歌手、舞台とかのオーディション情報が載ってて、東京がほとんどで、関西は2ページくらいしかない。そこにアイホールプロデュースの演劇公演のオーディション情報が載ってたんです。で、宝塚も落ちちゃったし、気持ちがぽっかり空いちゃったんで応募したら、そのオーディションに通って出演できたんですね。竹内銃一郎さんの『みず色の空、そら色の水』で1996年でした。で、その作品で共演した劇団鉛乃文檎の武田操美さんに「今度の芝居でダンスあるねん。バレエやってるならダンスシーン作って。」って感じで声をかけてもらって。演劇での振付はそこからですね。 それから、大学に入った時に竹ち代さんとお会いしたんです。大学の構内に竹ちゃんが白塗りをして森の中に佇んで、パフォーマー募集って書いてあるポスターが貼ってあって笑。私はなんか知らんけど電話してしまったんです。で、いついつ京都で稽古しているんで来てくださいって言ってもらって。で行ってみたら、既に色々予定が決まっていて、ファッションショーやライブ、アイホールでの公演も決まっていて、そこからレールに乗ってやり出していった感じですかね。その後「ポポルヴフ」というENTENにも参加されていた徳毛洋子さんのグループにも並行して参加して、2007,8年くらいから自分の作品を作り始めました。」

『呼び合う声、朝と夜。』のリハーサルと並行して、現在されている活動はありますか。

「先月は劇団太陽族の『Sumako』公演がアイホールであって、その振付をしていました。それと、今月島根で上演されるPlant Mの樋口ミユさんの作品『凛然グッドバイ』の振付に雲南へ行きます。それは2011年に解散した劇団Ugly ducklingの解散公演が初演で、今回は島根の現地の役者さんが出演される公演です。」

演劇公演の振付が多いですね。

「そうなんです。演劇の人からは「この人ダンスの人だから」って言われて、ダンスの人からは「この人演劇の人だから」って言われてどこに行ってもよそ者だなって笑。本当に演劇の振付ばかりやってきました。数えてみたら50弱作品がありました。演劇の振付を始めた最初の頃は「芝居のこのシーンをこの曲で踊るからその振付をして」って演出家に言われて、その通りにやるみたいな感じだったんですけど、2010年以降、極東退屈道場の林慎一郎さんと作業するようになってからは、私も演出面関わりながら作品を作るということが多くなってきてますね。」

原さんにとって、役者の方とダンスを作っていくことと、ダンサーとダンスを作っていくことには違いはありますか。

「全然違いました。同じ人間相手なら同じはずと思ってましたし、今もそう思ってるんですが。BGM的なダンスシーンの時は体のスキルを見定めれば大丈夫です。ですが、演出的に関わって作業するとなると、役者さんのダンスの経験値、例えばダンス作品にも出てるとか、振付家と仕事したことがある、何らかのダンスをやっているとか、そういった差は大きいです。こちらが無意識に求めるダンスの文脈のようなものがきっとあって、それらをすぐに共有するのは難しい場合が多いですね。ダンサーとはやはり早いです。例えば、役者さんにエチュード的に動きを求めるとするじゃないですか。即興で動いてみてって。で、動いてくださる回路というのが、やっぱり発語ありきだったりするのか、ゼスチャーとかセリフに当て振りとか。もちろんダンス的に動ける、踊って見せられる役者さんもいらっしゃいます。でも、ずっと演劇の中でダンスを作ってきて、これでダンスを作っている気になったらマズいと思ったんです。それで、ダンス作品を作ろうと改めて思って、2015年に竹ち代さんと高瀬さんにでてもらって『un face』というダンス作品を作ったんですね。そしたらすごい楽だったんですよ。外国から日本に帰ってきた時の安堵感みたいな笑。私が1を言ったら二人が10動いてくれて。だから改めて、役者とダンサーに振付けるのって全然違うって思いましたね。」

今回上演される『呼び合う声、朝と夜。』は、どんな作品になりそうですか。

「まずタイトルにある「声」をモチーフに作ろうと思っています。実際に二人の声を舞台上で聞かせるかはわかりませんが、体固有の声、声が届くことは距離なのか時間なのか。今いるここと地球の裏側では、同時でも時差があって、でも同じことを思っている、というような。竹ち代さんと高瀬さんの丁々発止のやりとりが作品のリズムとなって展開されればいいなあと考えています。」

今日が『呼び合う声、朝と夜。』の初リハーサルだったとお聞きしました。

「そうですね。現段階で割と構成を作った状態で、二人に進行表を渡して、とりあえずそれをなぞってみるということをやってみました。自分の作品のリハーサルに入る前って、すごく緊張するんですよ。お腹痛くなっちゃう笑。今日の初リハーサルでも、一昨日くらいから寝る前に「あ~もうヤダ!」ってなってました笑。」

作品を作るときは、いつも先に進行表などの構成を決めてから作っていくのですか。

「前回の『un face』はそうではなくて、冒頭のシーンだけイメージがあったので、そこをまず重点的に作って試して、そこから後ろを作っていった感じです。でも冒頭のシーン以降、作品をダンス的に展開させるというのがよく出来なかったというのが前回の課題としてあって。だから今回は、お客さんの目にも飽きさせず展開させるということにトライしたい。20分なら20分の中で完結させて、一つの品物として仕上げるようになりたいなと。それと今回は、初めから終わりまでのイメージの断片はハッキリあるので、それを竹ち代さんと高瀬さんのお二人には試してもらっています。」

そのイメージの断片というのは、原さんの頭の中では映像として浮かんでいる?

「映像ですね。二人がKAVCシアターの舞台で動いている様子がありますね。ココで動いて、ココで明かりが入って、っていうのは映像としてありますね。・・・でもコレ危ないなって思ってて。」

危ない?

「頭の中の映像にダンサーを当てはめていこうという考えを取っ払わないと。やっぱり目の前で面白いことが起きるのを見たいというのが肝心だと思うので。」

実際に振付する際は、原さんの頭に浮かんだイメージの断片を、ダンサーに振り写しするんですか。

「実際に私が踊ってみてどうこうするというのはあまりないです。具体的に振付けする部分もありますが、作り初めはもっとざっくりですね。「こんなテンポでこんなことがしたいんです、お願いしますっ!」ってダンサーに言う感じ笑。実際、ダンサーに動いてもらって、そこで初めて分かることもあるので。それで出てきた動きを写し鏡として、「私は本当はこういうことがしたいんだ」とか「これは違う」とかって決めますね。 事前に頂いた質問項目に「あなたにとって、ダンスを人に見てもらうのはどういうことですか?」というのがありましたが、この質問面白いなって。他人の目だったり、他人の身体っていうのは、結局写し鏡ですね。自分自身が今どういう状態だったり、何を考えているのかって、自分が一番分かってないって思ってて。他人に喋ってみて初めて「ああ、私はこう思ってたんだ」って気がつくというか。」

なぜ今回、改めて新作を作ろうと思ったのですか。

「今年の3月に上演した『a frame』のソロは、結構ストイックに作ったつもりだったんです。あわよくば次につながったらいいなと単純に思って出場した5月のコンペは何にも引っかからなくて。で、そのコンペで他の方の作品もいくつか見てきたんですけど、賞に残った作品より、引っかかってない作品の方に面白いものがたくさんあるなって思った瞬間があって。その時に吹っ切れて、なんか、じゃあもういいわって。そうしたら今回の作品のイメージがばーっと浮かんできました。次のためにとか、評価されたいとか考えるとダメですね。今回は、「こういう作品をやりたい」という思いが応募のときにあったので。そうしたら、(このダンスの天地に)通ったので。」

普段はどれくらいダンスのことを考えてますか。

「普段?仮に私の心の中に天使と悪魔がいて、天使の立場だったら、「そりゃ普段の時間は全て考えてますよ」って言いますけどね笑。でも、それも嘘ではないですよね。今こうしてインタビューで山本さんと喋ってますけど、山本さんの佇まいが面白いな~って何となく引っかかって、それがある時ダンスに何らかの形で出てくるのは有り得ることだし。それとか、ここから帰る時に階段から転げ落ちて、頭打って、星がとんで、その時に見えた何かがダンスになるかもしれないし笑。こういう言い方したら、全部ダンスですけどね。」

いま一番分からないことは何ですか。

「自分の身体のことですけど、肩ですね。肩の位置が未だにつかめません。私の日常的なトレーニングがバレエなので、それをやりながら考えてるんですけど。自分の身体ってまだまだ分からなくて、肩とか、肩と腰の関係が難しい。バーを持った最初のときに、まっすぐってどこだろう、肩ってどこにあればいいんだろう?って。そんなことを考えながら地味に体動かすのが好きです。でも、昔はこんなに身体のこと考えてなかったですね。単純に、次、誰と踊るとか、どこに呼ばれたとか、そんなことばっか考えてました。」

それだけ自分の身体を意識するようになったってことですか?

「そうですね。怪我も沢山したし。怪我をしたら身体に向き合わざるを得ないじゃないですか。私のまわりでは、23,4歳くらいとか30歳前後や37,8くらいで一旦がっつり怪我する人が多くて、私もそうでした。徐々に劣化する身体と気持ちがアンバランスになって怪我をしてしまうタイミングなのか、厄年的なものですかね笑」

年齢を重ねるにつれて、ご自身の中で変わってきたダンス観はありますか?

「この頃特にですけど、目の前の相手、例えば舞台なら、漠然とお客さん「みんな」じゃなくて、目の前の「あなた」と私だけみたいな、そういう狭い中でのやりとりが一番強くて説得力もあるし、その人だけが持つ、ごく私的な動機に一番気持ちが動かされるなって思うようになってきました。今思えばですけど、むかしは人前で踊ってても、とりあえず、「みんな」の方を向いて踊ればいいと思っていた。それこそ、評価されたいとは思っていたけど、誰に何を評価されたいのかはぼんやりしている感じ。自分の向かいたい対象が自分で分かってなくて。何になりたいか分からないけど、資格だけ取りたい人みたいな笑。昔はもっと広い目で見なきゃいけないとか、ダンスとは何かを考えないといけないって思ってたんです。でもそれでやってきても、自分自身満足しないし、何も他人に伝わらないし。それなら、目の前のことだけをするしかないなって思って。私が26歳の時に父親が急に亡くなったんですね。で、まぁポカーンとするわけですよ、親が急に死んで、空虚感というか。そういう時期があったんです。その時ちょうど、当時参加していた「ポポルヴフ」での新作のリハーサルで、この時は自分のその空虚感に対する穴埋めというか、主宰の徳毛さんとのやりとりから、そのアクションを欲する動きが自分の中から出てきて、ソロの作品になりました。だから、自分の中で動機が具体的になると、すぅーっと届くというか、通じるというか。この時作ったのは『マチルダ』という作品で、その後いろんな場所で沢山上演の機会をいただきました。やっぱ、心底やろうと思ってないことをやることが一番良くない。一番それが罪悪だと思って。人も巻き込むし、お金も時間もかかるし。その見極めは注意深くしようって思ってます。」

これからの活動のビジョンや展望はありますか?

「私の動く動機はおそらく好奇心なんだと思います。都度、知ってみたいことを知りたいです。それが例えば、公演で違う土地や海外に行くことだったり、知らない人と出会うことで広がっていくと面白いなって思います。ダンスを理由に、知らないことを知っていける。あと、それとは全然関係ないんですけど、今、教職免許を取りたいなと思っていて。別に先生になるかはわからないんですが、取るなら国語かなと。中、高校時代の国語の先生とは大人になっても交流があって、そのことが影響しているかもしれないです。今はバレエスタジオでバレエを教えたり、大学の授業で学生と踊りを作ったり、高校生や大人たち相手にダンスのWSをしたりと、人前に立って何かをするって機会はあるんですけど、人に教えるってことをちゃんと教わってみたいなと思ってるんです。やっぱり人が思考したりするのって言葉が土台なのかなと。体を伴った言葉って何なんだろうって考えます。大人にバレエを教えていても、言葉ありきだと思うことが多いです。単純に「爪先を伸ばして」って言っても中々すぐには出来ないけど、例えば、「爪先をシャーペンの芯みたいにして」って言ったらみんなピーンっ!てなる笑。子供を見ていても、持っている言葉が多い子の方が、自分の気持ちを表明できて安定しているような気がします。あと、教職免許取るためには、それに向けて本読んだりレポート書いたりしなきゃいけないじゃないですか。そういう「枷」もいいですよね。以前札幌で「踊りに行くぜ!!Ⅱ」Bプロの滞在制作をやらせて頂いたときに、林慎一郎さんに作品の為のテキストを書いて頂いたんです。そしたら林さんから、事前に色々と擦り合わせるために「これ読んでください」って、林さんの過去戯曲や太田省吾、イヨネスコ、ベケットなどの戯曲をドンって渡されて笑。それらをお腹が痛くなるくらい読んで笑。まぁそういう枷ですよね。読んだぞって後で言える。そういうのは面白いですよね。」

出演者写真・...1[アマリイチ]

出演者写真・...1[アマリイチ]

...1[アマリイチ ]

2015年夏に結成した斉藤綾子と益田さちによるダンスユニット。
あらゆる物事は「区切らないと余りが出ない」ことから命名。余った「1」という数字が限りなく範囲のわからない概念であることにも惹かれている。
2016年2月29日(閏日)に自主公演『…1[アマリイチ]』でデビュー。
2018年5月に新作「punk・tuate[パンク・チュエイト]」を京都芸術センターCo-pragramカテゴリーDで発表。

...1[アマリイチ]を結成したきっかけは何ですか?

斉藤「私と益田さんが出会ったきっかけは、『京都の暑い夏』で私が受講していたWSで彼女は通訳をしていました。WSの最後にみんなで写真を撮ったんですけど、その写真がSNSでタグ付けされていたのを私のバイトの先輩が見て「なんでマッスー知ってんの?」と。よく聞いたら益田さんの昔のバイトの先輩が、今の私のバイトの先輩だった(笑)。それでみんなで一回飲みましょうってなって、一緒に呑んで、それから舞台を観に行ったり、呑んだりする関係が半年間続いて。で、2015年の夏に、「二人で公演しますか」ってなったんです。その日は、天満で昼の2時くらいから2人で呑んでたんですけど(笑)。それで…1[アマリイチ]を立ち上げました。名前の由来としては、2月くらいに公演しようとなって、そしたら2016年の2月は閏年で29日がある年だったので、29日がいいよねってなって、余った日=…1になりました。」

では...1[アマリイチ]としては2016年2月29日から活動をしているってことですね。

斉藤「そうですね。その次にやった活動はちょっと間があいて、今年の5月に京都芸術センターで『punk・tuate[パンク・チュエイト]』という公演をしました。」

これからの活動の計画はありますか?

斉藤「暫く何かはやっていくんだろうなって気はあるんだけど、どうやっていこうかまでは考えてないですね。ただ、2人で色々と話していると、いつも最終的に辿り着くことがあって、それはやりたいことなんだと思ってます。」

辿り着くことというのは?

斉藤「ダンスと違うことを喋っていても、ダンス以前か以後か、ダンスの内側か外側かって話になっちゃうというか、そこに結局話が辿り着く。だからそういうことを色んな方法で試していきたいかなって。」
益田「私は、それが2人の活動であろうがなかろうが、そういう思考はある気がします。ダンスって何だろうとか、ダンスとダンス以外とか、自分の体の境界線とか意識していて、それを作品として2人で作っていけることが私にとっては大きくて。続けていきたいとは思ってる。」
斉藤「今回も『ダンスの天地』への応募文章作っている時もずっとそのことを喋っていて、前回公演と同じこと書いてるなって(笑)。でも作品の見た目の印象はガラッと変わっていると思います。」

ダンスに対する興味というはずっと変わらないけど、表現の方法が公演によって変わってきているということでしょうか?

斉藤「そうですね。興味関心あることはいつも同じですね。そこへ色んな角度から行けると思うので、前とは違う道から行けたらいいかなって思います。」
益田「綾子ちゃんが最近ハマっている山みたいに?」
斉藤「そうだね。」

山、登ってるんですか?

斉藤「はい。最近は山に夢中なんです。わたし箕面市出身で、昔はよく箕面の山の滝まで登ってたんです。ああ、わたし山好きだったんだぁって最近また思って。」

益田さんは何かハマっていることありますか?

益田「ハマっていること?神社とかスピリチュアルなスポットとか自然とか好きだし行くけど、なんかみんながいうほど感動できない自分がいるっていう。すごい寂しいなって思ってます(笑)。それよりは都会とかの方がハマる場所も多いかもしれない。」
斉藤「二人ともぜんぜん合わないよね。好きなものとかも。」
益田「そのくせ今日は靴が揃ってたり。色違いやったけどね。」
斉藤「変なところは揃うんだけど、一般的なプロフィールの趣味の欄とかは全然違うこと書いてると思います。」

ダンスを始めたきっかけはなんですか?

益田「母親が、女の子が生まれたらクラシックバレエをさせたいと思ってたんです。自分ができなかったから。そういう思いで、私を毎週バレエ教室に見学に連れていったら、ついに私がバレエをやりたいって言ったらしく(笑)。それが3歳の時ですね。正確には2歳10ヶ月らしいんですけど。」
斉藤「私のきっかけはこの環境しかないですね。(父親も母親もダンサーだったので)気づけば踊ってました。でも一応、色々と見学に行って習い事を決めようってなってたらしくて「ピアノ、バレエ、スイミングでどれがいい?」って全部見学して、私がバレエって言ったらしいんですよね。まぁ一人座りできない頃からお稽古場に座らされてたので、一人っ子だからポンって。それでずっと見てるわけだから、しょうがないですよね。」

年を経るにつれて自分のダンス観に変化はありますか?

益田「変わっていってる。自分の身体のことになるとそれはもう毎日変わっているし、毎日同じことは出来ないって思ってます。身体的にはそうですけど、ダンス観については、レッスンを受けていない時間や受けられない日があったりすると、前だったら焦りが強かったのが、今は家でただ寝転がっているだけでも、身体のことを考えることでダンスをしているような充実感がある。そういう意味での変化はありますね。ダンスに関わったと言う方が正しいかもしれないけど、それによる満足感。満たされる感じはあるので。前にはそんなことがなくて、ただ焦ってたかな。」
斉藤「わたし少し前まで、バレエができないとダンサーが出来ないと思ってたんですよ。私は全然バレエが出来なくて、それで大阪芸大に行きました。色んなものを観る機会が多くなってきて、バレエだけが全てではないし、もっと色んなものを体に入れてみたくなった。そういう意味では変化ですかね。最近は一回だけですけど、合気道もやりました。色んなことからダンスが出来ると思えてきて、新しいことを体に入れたいって思ってる。体を作ることに慢心してて、しかも体に入れるものも選べるようになってきてるので、今はその変化をとても面白がってますね。山登りも稽古みたいな感じですね。」

ダンス以外で昔からやり続けていることはありますか?

益田「私は語学ですね。というかアメリカ好き。ミュージカルとかディズニーとかの話をすごいしてしまうし。語学は興味を持って接し続けられるものですね。留学もしていたので。もともとアメリカ大好き・海外大好きってところから英語が好きになって。ただ何でこんなに英語が好きなのかなって考えた時に、ただただ発音してることが好きってことに気づいて。rの感じとか。意味の分からない洋書もただ読んでいるだけで満足感があるというか。言葉って綺麗だなと思います。汚い単語はあるけど、汚い言葉なんてない。最近フランス語も勉強し始めたんですけど、それも発音が楽しくてしょうがない(笑)。」
斉藤「そう!なんかいつだったか「清いダンス」って話になったことがあって、その時「清くないダンスなんてない!」ってやたら言いました。汚い態度はあるけど清くないダンスなんてない。」
益田「そうそう!」
斉藤「えっと、昔から続けている事。そうですね、私趣味がなくて。文房具くらいかな。あと人にものを贈りがちかな。自分のことが出来てないのに人のことを気にかけちゃうこともよくあるし。楽屋お見舞いもよくするし。人に会いたくて舞台観に行く感じもあるから。SNSとかもよく見てて、人が欲しがっているものとか覚えておいたり。気持ち悪いか・・・(笑)。でもそれが強いて言えば趣味ですかね。」
益田「趣味です。」

斉藤さん、益田さんそれぞれ、ご自身の拠点はどこだと思っていますか?

益田「ざっくり関西って思っています。」
斉藤「うん、関西って思う。でも一応、大阪感は出したいんですけどね。でも関西としか言えない。大阪で踊ってないから。私は関西に大阪に還元したいと思っているから、色んなところに行きたい気持ちはあるけど、軸足は関西においておきたいっていうのはありますね。だから拠点はいつだって関西と言いたいと思ってます。なんか誰かに「大阪は向こう100年草生えないからね」って言われて、クソーって思って(笑)。でも、結局は人がいるからだと思うよ。」
益田「そうそう。人がいるからっていうことが一番大きい。」

ダンス作品を人に見てもらうというのはどういうことでしょうか?

斉藤「ダンスを観て欲しいから、体がないと!っていう気持ちがあって。色々考えることはあるけど、とりあえず体を観てもらうためにやってる。人前で踊るときに、人として何かをちゃんと提示できるものは体の説得力しかなくて。動く体に対して自分はこう信じてるというものがあると、体に説得力が出てくる。体の説得力って何なんだろうって思うけど。」 益田「でもその体の説得力っていうのは、私が綾子ちゃんを初めて見たときにも思った。」
斉藤「私は今これをやっていますっていう、そこに嘘がないようにしたいとしか思ってなくて。だから私は振付家ではなくダンサーなんだろうなとは思います。自分が納得できるように、納得してダンスができるように作品を作ってる。」
益田「私はよく、器用とか言われるけど、絵も下手だし、写真も下手だし。でも昔からそういうことするのは好きで、めっちゃこの景色好き!ってなったときに、たくさん色の入った水彩色鉛筆を親にねだって買ってもらったりとかして(笑)。私が何か見たものとか、いいなって思ったものがあったときに、形にしたり共有したい欲ってあったりすると思うんですけど、人前で作品を踊ることって、そういう、私が見たものとか、いいねって思ったものをポンって人前に投げて、こんなもの見ましたよって、話題を投げるぐらいの、そういうことなのかなって思ってます。」
斉藤「お客さんと同じ空気を吸ってるっていいことだなって思ってて。舞台って、時間とか空気しか共有してないじゃないですか、お客さんと。同じ空気共有してるって中で、できるだけ何かは受け取ってほしいんだけど、それを何で伝えられるかってなった時に、人間が動いて出てくるものを信じているから、だから体に行くんだろうなって。ダンス、何も残らないから好きなのかもしれない。なんかこう、ここで今一緒にいる人だけの共有事項っていうのがけっこう好き。」
益田「でもさ、綾子ちゃんってけっこう覚えてるよね、このシーンのこういう動きが好きみたいなの。それってやっぱいいなって思う。」
斉藤「舞台の内容を忘れても、何かは残ると思うようにしてるかな。「今この瞬間を忘れたくない!」って思うことあるじゃないですか。作品とかも終わるのも寂しいし、好きな作品の座組みの解散も寂しくて。でも忘れたとしても身体には残っているし、それがなかったことにはならない。何も残せないけど、みんなで共有した時間はなかったことにはならないって思えるくらいの何かを、お客さんにはエネルギーとして出したいと思っていて。それは、今のところ体にしかないって思ってるから、それをちゃんと出せる環境を作るっていうのが作品作りかなって思ってます。動く体を観やすくするためのしつらえと、作品って。」
益田「ほんとにそう。作品を作るのって・・・踊るための言い訳みたいなことではあるかなって思うときもある。作品があるから踊れるっていう。」

斉藤さんも益田さんもご自身のことはダンサーとして考えているんですか?

斉藤・益田「うん」
斉藤「振付家って書けないね。私、手書きの名刺があって、そこになんて書こうって思って、ダンサーでも振付家でも無くて「ダンス」って書いてる(笑)。」

...1[アマリイチ]で作品を作られるときは、どのように作品を作っているのですか?振付はどちらか一方がしている?

斉藤「どっちも同じ比重を持ってて、最初はいろいろ喋るんですけど結局同じ話になって。でも割と先に音楽を決めるかな?」
益田「そうだね。」
斉藤「音楽決めて、2人であーだこーだいいながら振りを作る。どっちかだけが振付を作るっていうのはないですね。」

そのように2人で作品を作っていて、影響し合う部分はありますか?

斉藤「私が絶対しないポーズとか繰り出してくる。フォルムが似てるんですけど、出してくるものが違うので。だから一緒にやれてるのかもしれないですね。」
益田「お互い影響はされるよね、何かしら。」
斉藤「私けっこうすぐ影響されるから、最近見たダンスとかすぐ影響される。」
益田「それが2人の振付にもすぐ反映されるよね。」
斉藤「他人の振りとかも、この感じ自分で舵取れるなー、って思えたら人のものって思ってなくて。この振りの感覚は自分で一回消化したぜって思ったら、これもう自分のものって思ってるから(笑)。そういう影響のされ方はしてると思います。」
益田「綾子ちゃんのそういう他人の振りを「自分のもの」って言い切れる部分とかは、私けっこう影響されてます。自分がいま踊っているダンスって、自分のものだって言えなくて、結局全部人からもらったものでしかないって思ってた時期があったんです。振付作ることとか生み出すことって、結局今までと同じことしてるんじゃないか?新しいものって生まれないんじゃないか?って悩んでて。その時に綾子ちゃんがこんな感じで「私はけっこう自分のものだって思ってるから」って言ってて、あ~そっかそっか!って納得してしまいました。」
斉藤「正直新しいダンスってもう無いって思ってて。じゃあ、コンテンポラリーダンスの自由さって何だろうなって思って。これももう私の言葉じゃないんですけど、ある系列を辿っているダンスを、全然違うところに飛んでいける自由さはあるなって。組み合わせ順列では無限だなーって。そういう自由度はまだ全然ある。」
益田「ツールは出揃ってるから。」
斉藤「もう新しいことなんて、文明の利器しかないって思ってて(笑)。組み合わせの自由度だけかなっていう。だから別に、自分でこのアイテムコントロールできます!ってなったら使ってもいいかなって。」
益田「銃の使い方みたいな?」
斉藤「危険だわ(笑)」

自分で実際に踊っているときに、どういう状態でいるのが理想的な状態ですか?

斉藤「私、振付を踊ることが好きで。振り付けられるのでも、自分で決めた振りでもいいんですけど、決まった振付を踊ることが好きで。感情とか表現とかは言いたくないんですけど、一振りに色々な情報を入れたいんですよ。それこそ、この振りの時は稽古でこういうこと起こったなとか。だから、稽古期間長いのも好きだし。季節が変わるくらい一つの振付したいんです。そうなると本番で踊ってて、色んな景色が重なってくるわけじゃないですか。そういうこと思いながら踊ってる時って、わたし勝手にいい状態だなって思う。景色がかぶる感じがある。本番で、昔この振りはこうやってたっていう蓄積を感じるのが好きなのかな。」
益田「綾子ちゃんはけっこう細かいとこまで動き決めてるよね。」
斉藤「一回全部決めて、全部忘れるんですよ。ちゃんと振付を愛でて過ごしたら、本番何やっても大丈夫だってなって。そうなってくると、その先ができるようになる気がする。それができないとなんか、人と共有できる何かを体から出せる気がしなくて。だから私、即興はあまりできない。」
益田「それは私もそうで、自分が何をしているか分かってない状態で人前には立てない。踊れないかなって。そういう姿を敢えて見せるというのも手法としてはあると思うけど。」
斉藤「即興するにしてもすごく自分でいっぱい設定を作る。」

益田さんはどういう状態が理想的な状態ですか?

益田「その時その時によって違うかも。動きの幅とか、振付の種類でも全然違うし。でも今回上演する『うちそと』の話じゃないけど、すっごく内面に集中してて、外が全然見えてない時でも、周りに意識がいってる、意識できてる時とかはありますね。それこそ自分が何をしているか分かっている状態ですかね。」
斉藤「本を数行読んだけど、内容が頭に入ってなくてまた読み返すような感じで、とりあえず体は動いてますっていう時があるんですけど、そうじゃなくてすごくクリアに自分が何をするのかも分かってて動いている時は、すごく感動して踊ってる。浮いた!みたいな(笑)。」
益田「小指があった!みたいな。今まで自分が感じたことがなかった小指がいた!って思うことはある。」
斉藤「細かいことに感動しながら踊っているときは良いんだろうなって。そういうときはたいがい楽しそうだったねって言われる。」

今までで一番印象に残っている舞台って何ですか?ご自身の作品でも観客として見た作品でもよいです。

斉藤「一番って難しいな。2018年のベスト、上半期ベストは・・・きたまりさんの『娘道成寺』!あと、『RE/PLAY』マニラ公演もすごかった。どちらの作品も楽日が好きでした。始まってすぐ、序盤でもうこの公演良いって分かってる、何があっても最後まで良いって分かってる、って。雪道でスリップしたけど手を離しても大丈夫って感じ。」
益田「それはちょっとわからない(笑)。私は2017年のベストって言ったら『RE/PLAY』の京都バージョン。私は京都公演のときに通訳で入ってたんですけど。ナマモノっていい!って。そこに尽きるな。リハーサルも好きだったし。」

良い作品だったと言うのは「良いダンス」だったという意味ですか?

斉藤「全員が全員良いダンスを目指しているっていう状態かな。ただただひたすらに自分の良いダンスを目指している。全員がいい意味で探っているし、全員真剣にいいダンスを探しているってことかな。2015年だったら、シルヴィ・ギエムの引退公演がありますね、みんなで手を振ったあの『ボレロ』。あと、H・アール・カオスの白河直子さんが兵庫県立芸術文化センターのロビーで踊られた『瀕死の白鳥』。あの3分半はすごかった。仮設のステージで白河さんが踊ってくださるなんて。最後作品終わって自分に戻っていかれるときに、あんなに吸い込まれそうになったの初めてでした。ちなみに2016年ベストは『TITAN』です。きたまりさんのソロ。」
益田「『TITAN』はよかった!一緒に観たやつ。」
斉藤「ばっさーーん!って水かけられた気分。その時の自分の状態も相まって、あの『TITAN』のソロには心底感謝しています。『夜の歌』も2016年?」
益田「そう」
斉藤「あれも観てて「踊れ!踊れ!」って言われてる感じがしたなあ。」
益田「そういう「踊らなきゃ!」って意味だと、やっぱめぐさん(松本芽紅見)が一番印象的かな。心斎橋にあるDance studio Pointに通い始めた時、全然コンテンポラリーダンスするつもりもなく、その時ちょうど社交ダンスを趣味でやってて、それと合わせてジャズダンスとかやってみたいなと思って通い始めたんですけど。そこでたまたまめぐさんの踊り見て「あ、私このダンスするんだな」って思った。そのダンスの何が良かったとかは正直あまり覚えてなくて、エディット・ピアフの曲とか使ってたのは覚えているけど、それこそ水をばっしゃーんと浴びたような感じです。」

今一番わからないことはなんですか?

益田「こういう質問すごく深みにはまっちゃうじゃないですか。だからすっごい苦手(笑)。この質問はもう、ダメ。ダメです(笑)。」
斉藤「すごい冷たい言い方になるかもしれないけど、ダンスを辞めるタイミングって分かんなくて。人がダンス始める動機も分からないし。私、世界中全員舞台人だって思ってた時期があって、小さいときに(笑)。舞台に立たなかったとしても、週末とかになったらみんなダンス観に行く、劇場に行くのが全人類の日常と思ってた。それは私の周りの人々がみんなダンサーだったからっていうのもあるんですけど。だから「何でみんなダンス始めるんだろう?」っていうのはいつだって謎なんですよ。かつ、ダンスを始めてみて、辞められなさっていうのもあって。私はダンスってすごく良いものだって思ってるから。「いつだってそう思ってる訳じゃないだろ」ってけっこう言われるんですけど、私ダンスっていつでも楽しくて。ダンスは楽しいものだと思ってるから。でもダンス辞める人だっていくらでもいるじゃないですか。その辞め時も分からなくて。他の人の、ダンスとの関わりってどうなんだろうって常に思ってる。謎です。」

では斉藤さんはダンスをやめようと思ったことはないのですか?

斉藤「ないんですよね、私は。でもある作品で「十分なお金をもらったときにダンスやめますか?」って質問に答えるシーンがあって。3億円とか6億円とかではなく「十分なお金」(笑)。その十分なお金で私、大阪に劇場建てたいなって(笑)。ブラックボックスあって、大劇場あって、レジデンス施設あって。でもこれってダンスやめたことになるんですかね?って思う。人前で踊ることを止めることだけが、ダンスを止めることなのかな?って考えます。」
益田「ダンスを辞めるという線引きもけっこう難しいよね。」

益田さんはダンスを辞めようと思ったことはありますか?

益田「あります。あるけど、それこそバレエがしたくなくて、バレエのクラスに行きたくないとか、そういう感じですね。バレエは自分に向いてないっていう気づきから落ち込みもあったのですが、その時でも何かしら違うダンスをしたいっていう欲求はあって。アメリカかぶれの時期だったから、ヒップホップも好きだったし、ストリートダンスやってみたこともあったけど笑。だから、当時の自分の概念として、バレエを踊らない=ダンスを辞める、だったけど今はそれでもダンスを辞めてはいなかったと思います。」

出演者写真・遠藤僚之介

遠藤僚之介

大阪生まれ。幼少期をイギリスで過ごす。
油絵を学んだのち、京都市立芸術大学で環境デザインを専攻。卒業後、店舗内装のデザイナーとして2年間勤務。その後ヤザキタケシ氏と出会い、ダンスを師事。日本、イギリス、スウェーデンでダンスを学び、2018年よりダンスカンパニー「ヲミトルカイ」へ参加。現在は視覚障害を持った人たちと共に働き、多様な身体性のある日常に身を置きながら、関西を拠点にダンサーとして活動中。

ダンスの天地に応募していただいた理由はなんですか?

「踊れる機会が欲しいっていうのが一番大きな理由かな。」

今回は遠藤さん含め出演者3名の作品です。

「本当は一人の方が作品作りとかはやりやすい。あんまり今まで人に対して振付とかしてこなかったし、自分的にもダンス作品を作るってことにモチベーションが高いわけではないから。作品を応募するためにダンサーを集めて、作品を作るってことは、最初は全然考えてなくて、単に自分が踊れる場所が欲しいから応募したっていう。あと、インタビューがあるというのは面白いと思っていて、自分や自分のダンスがどういうものかってことを分析してもらうこともちょっと狙っています。期待しています。」

ハードルあげられましたね笑。作品作りにはあまり興味がないと仰いましたが、そういうスタンスの中で今回「ダンスの天地」にダンス作品を応募されたのには何か理由があるのでしょうか?

「今まで作品作りっていうことをあんまり積極的にしてこなかったんだけど、今後活動をしていく中で、年齢的にも今年が30歳っていう節目になるから、一旦立ち止まってみて、改めて自分はどういうことが出来るのか、そういう機会として今回の「ダンスの天地」を使いたいと思って。 それから、今後ダンス活動を続けていくには、作品も持っておいた方がいいんだろうなと。僕にダンスを教えてくれる人たちも、何かしら自分の作品を持っているし、ダンスについてプレゼンテーションする時に自作品を提示するのも見てきているし。自分は逆にそういう場面があったときに提示できるものが何もない。コンテンポラリーダンサーとして経験が浅いから、作品を作っていく必要はあると思っていて。ただ、将来的に自分のメソッドのようなものを確立できて、みんなと共有できるようになれば、そこまで作品を作っていく必要はなくなると思うんだけれども。」

今回の作品はどういうところに力を入れていますか?

「あんまり自分の中でもまだ固まってないんやけど、どんなことがあっても、ダンサーはただダンスを踊り続けているような状況。自分自身の投影みたいな感じやけど、人から何を言われようが、世の中がどういう状況になろうが自分は踊り続けているだけだよってことを映したい。それが具体的に作品としてどう立ち上がるかは、これから練っていかないといけないんだけど。」

遠藤さんは振付家ですか?ダンサーですか?

「ダンサーです。」

では、今回の作品作りにおいては「振付家」という意識は持っていない?

「持っていないと作品は作れないんじゃないかって気もするけど。でもそう聞かれてみると、ダンサーとして作品を作っているのかなって気はする。あと、今後活動していくためには、こういうことも出来ますよって言えないといけないプレッシャーの中で、やむかたなしに(ダンス作品を作る)って気持ちも無きにしも非ず。」

そういうプレッシャーがなく活動が出来るなら、作品を作らずダンサーとしてずっと踊っていたい?

「そうですね。」

なんで逆に今までご自身では作品を作ろうと思わなかったのですか?自作自演でソロ作品は発表されてますよね。

「そのソロの自作自演も、本当は進んでやっていることではなくて、踊れる場が欲しいからやってることで。その場を得るためには作品を作るってことが条件としてついてくるから「分かりました、作ります」っていう。」

じゃあもしタダで遠藤さんを振付けてくれる人がいたら、ぜひ振り付けられたい?

「全然もう(振り付けられたい)。」

それは誰であってもいいですか?

「あんまりそこは偏食ないと思う。もちろん自分がやりやすいってことはあるから、やってみての満足度は違ってくるんだろうけども。何かをやろうって段階では、どんなものであっても受ける気概ではいる。」

ダンサーがメインの活動だとして、遠藤さんは振付けられることが好きなんですか?振付を踊ることが好きなんですか?

「難しい言葉を使いますね。どっちかな。・・・それだったら振付けられる方が楽しいかな。人の作品に出ると、その人が何を考えているかを言葉だけでなく身体で理解できるというか。そういうのは楽しい。」

ダンサーとして踊っている時は、どういう状態が理想的な状態ですか?

「今起きている現象に対して、身体が滞りなくついていってる感じかな。感覚的すぎ?」

その現象というのは?

「例えば一つの作品を踊るとしたら、振付家が設定した何かしらの流れやストーリーのようなものがあって、それは振付家の思想やコンセプトに基づいているものやと思うんやけど、それを身体がしっかり受け入れているというか。そういう状態で舞台に立てることが理想なんじゃないかな。」

舞台を観に行く際は何を見ていますか?作品なのか、振付なのか、ダンサーなのか。

「一番見ているのは、やっぱりダンサーの動きと作品全体のコンセプトかな。観にいく作品はコンセプトで選ぶんだけど。チラシとかにあるじゃん、文章。それを読んで、面白そうってやつは観に行く。ダンスに限らず何でもだけど。」

最近見て印象に残っているダンスはありますか?

「僕、その時ジャンルの分け方みたいなものが分かってなかったから、別にそれがガールズヒップホップだと思って入ったわけではなくて、なんか身体を動かしていて楽しそうってだけで入って。で、その練習をしていて、休憩しとったら人が近づいてきて、「よかったらそこでダンスのイベントがあるので来てみませんか?」って声かけられて。『ダンスデイズ』って名前やったかな。それで見にいったら、双子の未亡人がぴょこぴょこ跳ねていて。本当はなんか四角い枠を渡されて、それを覗いて風景を切り取って見るみたいなコンセプトのやつやったらしいねんけど。あれは面白かった。」

それがきっかけでコンテンポラリーダンスを始めたんですか?

「きっかけではないな。でもそういう蓄積はあったと思う。そういうのを幾つか見て、自分もやりたいなって思いは募っていった。と思う。」

ガールズヒップホップの話もありましたが、ダンスを始めたきっかけは何ですか?

「きっかけは大学卒業してからだから、23の冬かな。24かな?もともとは高校の文化祭で演劇をやって、舞台で体を使って何かを表現するっていうことが面白いなって思ったのね。で、大学入ってから演劇部に入りたくて、大学の人に「演劇部に入りたいです」って言ったんだけど、演劇部が休部中で。どうしようかなって思って大学のガラス張りのギャラリーの前にいたら、ガールズヒップホップの子達が練習していて、体を動かして何かするって点では一緒かなって思って、それくらい雑な気持ちで入った。で、うちの大学って音楽と美術があったから、ミュージカルサークルていうのがあって、その子達が「遠藤はどうやら演劇部に入りたかったらしい」って噂を聞きつけてきて。ある日、授業の合間に、そのミュージカルサークルの子達に廊下で取り囲まれて「うちに来ないか」って言われて。芸大って9割女子だから、男性で、しかもキャストをやりたいって人は全然いなくて。で、僕は歌はちょっと・・・って言ったら「じゃあ歌わなくていいからやれ」って言われて。歌わないでいいなら・・・って入ったのに、結局ガッツリ歌うことになって。でも結局ハマってしまって、大学時代はミュージカル三昧な状態だった。でもやっぱり、声楽をちゃんとやっている子達がいるから、割とその子たちがメインで歌うキャストをやって、僕はその頃から運動神経は割と良かったから、振付を探してきて踊って。youtubeでヒップホップとかジャズを見て、こういうダンスがあるんやなって思いながら、みんなに簡単な振付を教えてたりしてた。全然基礎とかないのに。卒業して、ダンスについてそれまで誰か先生がいて何かを教わるってことをしたことがなくて、でも体を動かすことは続けたいっていう気持ちがあったし、働き始めてお金もできたから、どこかに通いに行こうと思って。で、どこがいいんかなって友達に相談したら京都にいい先生がいるよって言われて、ヤザキタケシ先生を紹介してもらった。」

それがコンテンポラリーダンスとの出会い?

「そうだね。実際に自分がやるっていう意味ではコンテンポラリーとの出会い。それに行くまではタップダンスをやったりとかあるんやけど、それはおいといて。」

その後はどのような活動をされてたんですか?

「日本だけにいても視野が狭くなってきちゃうなっていう気持ちがずっとあって、タイミングがあえば海外に行きたいって気持ちがあったのよね。僕はもともと建築系っていうか環境デザインの専攻で、会社も店舗内装の設計施工やデザインをしていて。ただまぁ、建築系なのか、はたまた全然違うことなのか、とりあえず海外に行って何かを学ぶって時期はちょっと欲しいなって。で、結局会社はなんか違うなって感じて辞めて、その時に一番自分的にアツかったのがダンスやったから、これで海外行こうかなって思って、ロンドンに3ヶ月だけやけど行った時期があって。昼間は語学、夜はダンスみたいな生活をずーとするみたいな。割とリリース系のテクニックが多かったかな、僕が行ったところはたまたま。当初思っていた視野を広げるってことについて言うと、やっぱ行って良かった。行動範囲が広がったというか。ただ、ダンスに関しては、日本も十分面白いじゃんって感じになっちゃって。日本でも自分がこれから得たいことは得られるんじゃないかなって気持ちになっちゃって。海外で生活をするってことはそれなりに力というかエネルギーをかけないといけないから、あんまりメリットを感じなくなっちゃって。で帰ってきて、どうしようってなって、飲食店で働いたりとかしてた。
会社辞めてから海外に行くまでにだいたい1年くらいあったんだけど、イスラエルのインバルオシュマンのWSオーディションがあって。応募条件にプロのダンサーって書いてて、「プロってなんや」って思いつつも、会社辞めてダンスするって決めた時やったから、思い切って売り込んでみたらオーディションに受かって。きたまりさんがそのWSを見ていて「あなた、どこの誰?」みたいな感じに言われて(笑)。で、その時に「Dance Fanfare KYOTO」の話をもらって、そこで山本和馬と益田さちさんに出会って。それが僕にとって、初めてコンテンポラリーダンスの作品を同世代のダンサー・振付家と一緒作る経験だった。」

今はどんなお仕事をされているんですか?

「グランフロントにある常設のイベント会場で、視覚障害を持った人達と一緒に働いています。」

遠藤さんはご自身の職業をプロフィールに書いておりますが、それはなぜですか?

「今の職場で働いていると、常に隣に、目が見えなくて、自分とは世界を全然違う見方している人がいる状況があって。自分とは違う感覚を持っている人がそこにいるって、話をするだけでは分からないというか、共有できないんだけど、その人の作品を踊ったりすると身体でそれが理解できるっていうか、そういう気になるっていうか。自分とは全然違う感覚の人が実はこうもそばにいるんだよっていう環境に、常に頭をシェイクされる。それは誰かの振付を踊ることにも近いなって思って。ダンスではないけど、共通する部分があるからプロフィールに書いてる。」

ご自身のダンス観について、ダンス以外で影響を受けたり、参考にしているものはありますか?

「学生時代から社会人2~3年目にかけては、ずっと美術・デザインをしてきたので、美術かな?高校も一応専門科の高校だったし。油絵専攻。具体的にどう影響を受けてるのかというと難しいけど、作品を作るときは、あんまりダンス的に「こうしたらこう見える」というのは知らなくて。そもそも自分の中に見たい景色があって、その美的センスというのはどちらかというと、絵とかデザインを勉強してきたときに培ったような気がする。」

今後の目標はありますか?

「目標じゃないし、ダンスに関係ないけど、住む場所は変えたいな。人生のどこか何年かは、東京で過ごす時期があってもいいかなって思ってる。あるいは、どっか全然別の場所。全然具体的な話じゃないけど。」

それは関西から出たいということですか?

「あー、関西以外がいいかな。生まれてからずっと大阪に住んでるので。海外に行ったことはあるけど、この30年間の8割くらいは大阪にいるから。そろそろ新天地を見つけたい。」

今回出演されるダンサー(山本和馬、いはらみく)から、遠藤さんが影響受けていることはありますか?

「自分が言葉足らずで、やりたいことが明確になってない部分もあるんだけれど、やってほしい動きが自分の中にあっても、二人が出してきた動きがその通りとは限らない。その出てきた動きを、自分のイメージの方に寄せていくか、それとも出てきたものが意外と面白かったら、そっちをやっていくか。それは取捨選択やと思う。自分から何かを伝えて動いてもらうという経験って実は意外となくて。面白いと思ったのが、ダンス経験がない人々を対象に「ダンススタディーズ1」というのを去年からやってるんですけど、その人たちに動きを与える感じと、ダンサーに動きを与える感じとでは、何か違うなという感じがあって。」

ダンサーの方がやっぱ動ける?

「そうとも限らなくて。ダンス経験がなくて0から積み上げていく人たちに、振付をしたことはあるけど、ダンサーは既にある程度の積み上げがある人たちで、ダンサーのその積み上がりは無視できない。作品作りで難しいのって、こういうダンサーの中で既に積み上がっている部分と自分のイメージとのすり合わせなのかなって思いながら作っている。自分のクローンが3人くらいいたら、情報の共有はすんなり行くんだろうけど、自分以外のものから出てくるものを作品に取り込めたら面白いだろうなとは思いつつ、自分に果たしてその力量があるのかどうかは、やってみないと分からない。」

いま一番分からないことは何ですか?

「自分の将来ですよ(笑)。分からない方が面白いけど。分からない方が好き。悪い癖なんやねんけど「できるわ!」って思ったら失敗したくなる。結果が見えちゃうともう興味がなくなってしまう。自分が予期しないことに出会いたいというのがあって。高校でも大学でも専攻を選ぶときは、何をやっているか分かっているとこよりも、分からないところを選んだし。むかし勤めていた会社も、このままいけば出世して給料増えて結婚してっていうのが何か見えちゃって「もうええわ」ってなって。ダンスは未知な部分が多いから続けている部分はある。」

人に自分のダンス作品を見てもらうというはどういうことですか?

「どういうことやろね。そんなに人に見てもらいたいという願望はなくて、見るなら見れば、という感じかな。どちらかというと、一緒にやらない?って感じの方が強い。場を共有できたらいいよね。何かしらの感覚とか考え方、その場所その時間を、一緒に過ごすことで共有できればいいのかな、楽しいなという感じかな。」

場を共有できたときは、遠藤さんも分かるのですか?

「ふわっとした感覚だけど、この公演、何かアツかった!という感じは無くもない。」

どういう方にご自身の作品を見てもらいたいですか。

「普段から割とダンスを見ている人かな。パフォーミングアーツとか見てる人。そういうのに元から興味ない人は、別に見て貰わなくてもいいかな。芸術とかアートを見る土壌がない人に、どう媚を売ったらアートを見にきてもらえるかって考えるの、あまり好きじゃなくて、そもそもそんなの気にしている時間ないし。好きな人だけでやってればいいじゃんっていうスタンス。勝手に高めていけばいいじゃんって思う。」

出演者写真・木村愛子

木村愛子

桜美林大学卒業。木佐貫邦子に師事。
2009年よりソロダンス「温かい水を抱く」をシリーズとして発表。
2011年「ダンスがみたい!新人シリーズ9」新人賞受賞。「横浜ダンスコレクションEX2013」コンペティションⅠファイナリスト。
ソロダンス活動の他、笠井瑞丈、酒井幸菜、白神ももこ、北尾亘などの作品に出演。
現在、神奈川総合高校身体表現非常勤講師。今年の3月まで、座間高校創作舞踊部部活動強化支援指導者。

ダンスの天地に応募したきっかけを教えてください。

「ダンスのショーケース公演は色々ありますけれど、セレクト(選考)が無かったり、もしくはコンペティションみたいなものだったり・・・けれど、「ダンスの天地」は、募集要項に「ダンスの自明性を問ふ。」とか「ダンスのためのダンスのその先」という表現が記載されていて、目指しているところがはっきりされていると、まず感じました。今回わたしは20分の作品を発表させて頂きますが、お客さんは公演全体、1時間半なりの時間に立ち合って下さる、しかも2500円のチケット代も支払って・・・そんなお客さんに対して、わたしは自分自身が出来ることを精一杯やりたい。そんなふうに公演に関わりたいです。「ダンスの天地」は、 どういった方向性のダンスを募集しているのかが明確なところにすごく惹かれました。
あと今は、20代前半くらいの新人の子が踊る場っていうのは結構あるんじゃないかなと思うんですけど、30代になってくると気軽に応募出来るところも少なくなってきました。しかし自主公演をするためには様々な準備が必要で、作品作り以外にもやらなければいけない事がたくさんある。もちろん、それによって勉強させられたり、得られたことも多くあります。ですが、 もっと純粋に作品を作ることに専念出来る場が欲しいなとも思っていました。
それと、今まで東京とか神奈川でしか公演をしたことがなかったんですけど、コンテンポラリーダンスの公演っ て期間も短いですし、射程距離も短いという感じがしていて・・・ぜひ関西の方にも、私の作品を見て頂けたらなと思いました。神戸には、神戸ダンスフェスティバルに座間高校創作舞踊部のコーチをしていた昨年までの5年間毎年行っていましたので、身近な気もしています。」

木村さんがダンスを始めたきっかけはなんですか?

「ダンスを始めたのは5歳の頃で、5歳から中学3年までジャズダンスをやっていたんですよ。高校はダンス部のある高校に進みたく、それで神奈川総合高校に入学しました。授業でも、ダンスや身体表現、舞踊研究といった授業があるというのがすごく魅力的だったんです。ダンス部も2つか3つあって、私はそれまでジャズダンスをやっていたので、ヒップホップもやろうかなってはじめは思っていた。けれど全部のダンス部を見学してみて、そしたらそのうちの一つに、現在はイデビアン・クルー等に出演している酒井幸菜ちゃんが一期上の先輩にいるダンス部があっ て。部活見学に行ったらそのときは幸菜ちゃん一人しかいなかったんですけど、「せっかく来てくれたからちょっ と踊るね」って言って、クラシック音楽をかけて即興で踊りだしたんです。高校2年生でですよ、それが衝撃で。今までは、先生から振り付けられたものを音楽に合わせて踊るっていうことしか知らなかったので「なん だこれは!」ってなって。「私、このダンス知らないと踊りやりたいなんて言えない!」なんて思って(笑)。そこからカウントに合わせて踊ることだけが表現ではない、表現って何なのか?ってことに興味を持ち始めました。」

大学時代はどのような活動をされていたのですか?

「まず週に一回、木佐貫邦子先生がダンスを教えて下さるクラスがありました。あとは上村なおかさん、近藤良平さん、伊藤千枝さんというダンサー・振付家の方々のオムニバスでWS形式の授業もありました。
それから、1~4年生学年問わずオーディションで選抜された20~30人の学生が木佐貫先生の振付作品を踊り、公演を打つというダンスOPAP(桜美林パフォーミング・アーツ・プログラムの略)というものがあったんですよ。そのOPAPの稽古はだいたい公演の3ヶ月前から週3回くらいで始まって、最終的には毎日稽古するようになって・・・当時の私にとっては、しっかりとした「公演」に出るっていうのがとても大きなことで、そこですごく育てられました。」

大学を卒業されてから現在まではどのような活動をされてきましたか?

「大学を卒業してからまず、d-倉庫の「ダンスがみたい!新人シリーズ」で、ソロダンス作品を発表させて頂きました。そこで新人賞を頂きました。またその年は横浜ダンスコレクションのコンペティションIIが丁度できた年で、そこでもソロダンスを発表させて頂きました。私にとってはこの2つのスタートがすごく大きくて、夏の「ダンスがみたい!」のフェスティバルで受賞者公演をした後も、フェスティバルには3回呼んで頂きました。あとはd-倉庫スタッフの林慶一さんが「一緒に企画しましょう」とお誘いくださり、2015年に共同企画「身体に対する態度表明」というテーマで一緒に公演をしました。
個人的に、年に1本は長編ものの作品制作をやりたいという思いがあり、フェスティバルなどに呼んでもらった年はそれを自分の自主公演としてやらせて頂くという感じで、それ以外の年は自主企画の公演をしています。」

劇場で公演を打つというのもお金かかりますよね。

「私のスタンスの問題もあると思うんですけれど、低予算でやろうと思えば幾らでもできると思うんです。 けれどお客さんがチケット代として支払うお金には、全てが含まれているはずです。だからなるべく悔いを残さないようにやりたい。自分がお客さんの立場だったらこうしてほしいと思うところは、自分で出来る限りの事はしたいです。」

直近の自主公演は、3月にSTスポットで開催した『dear others』ですか?

「そうです、『dear others』は私とダンサーの後藤海春さんとのデュオ作品です。私は大学4年生の時からずっとソロダンスを中心にやってきたんですけど、2、3年前からデュオやグループ作品を作りたいなって思いはじめて。けれどずっとソロでやってきたので、いきなりグループでやるというのは少し抵抗があり、デュオに挑戦してみることにしました。」

なぜデュオやグループの作品を作りたいと思うようになったのですか?

「私のソロを見に来て下さるお客さんっていうのは、作品よりも、舞台に立っている私自身の身体を見る、私自身を見にくるというスタンスの方が多い気がするなとずっと感じていて。私は私の身体でソロ作品を踊っているんですけど、 もう少しフラットな状態で「私」というよりも「人間」の身体という状態で見てほしいなと。で、デュオになると一気に客観性が増して、ソロの時よりもダンスの「作品」を見てもらえるんじゃないかと思いました。」

ソロの時とデュオの時で、お客さんの反応は違いましたか?

「ソロで踊っている時、私がよく言われるのが「出てきた妖怪!」って感じのことを言われるんですよ(笑)。「怪物出てきた!」みたいな。『dear others』の時は、 わりと人間関係のことをやっているということもあって、作風が全然違った。またソロの時はすごく緊張して見て下さっていたお客さんが、ふわっとして見れた、感情移入みたいなものがしやすかったって。でもその反面、私のソロの時の妖怪みたいなものを見たさにくる方もいるんですよ(笑)。その方達からしたら、なんか普通だったみたいです(笑)。 そういうのはちょっとありましたね。」

ダンスの対義語ってなんだと思いますか?

「対義語!?そんなの質問表にありましたっけ(笑)?・・・「生きた心地がしてない時間」かな。う~ん、でも死んでても踊れる気がするなぁ。身体がなくてもダンスは成立すると思うんです。」

生活の何%をダンスに費やしていますか?

「この答えとしては、ダンス以外のことをする時でも、全てがダンスにつながってると思ってるんですね。 ネット検索をしてたら面白い記事を見つけて、このことをもうちょっと詳しく調べたいなって思ってその関連する本を読んだら、たまたま作品になったりとか。わりと全部がつながっている気がします。疲れてて何も考えられない時などは、身体が「考えるのを辞めてくれ」って言ってるってことじゃないですか。で、次の稽古場に入った時にいい状態にするためには、その「何も考えない時間」っていうのも必要で。しっかり寝ることとか、食事を摂るってことも全部踊りにつながっていることだと思っています。日々、自分が活動的に生活や稽古できる状態にするように食べ物を選んで食べてるつもりです。だから「何か疲れたな」ってときは、あの栄養が足りてなさそう!なんて思ったりして。だいたい身体が欲しがっている栄養素が分かる気がするんですよね。だからダンスと生活は切り離せないとは思っているんです。なので生活の何%をダンスに費やしているっていうより、生活の全てがダンスにつながっている、っていうのが適切な答えな気がしています。」

自分のダンスを、他者に見てもらうというのはどういうことですか?

「私の作品を見て下さる方には「どうぞお好きに観て下さい」っていう感じで踊りたい。もちろん作品を作る時には、感動したり心動かされたりしたことを、どうしたらお客さんと共有したり共感できるかなって考えてはいるんですけど。でもいざ作品を発表するって時には、自分を「こう見せたい」っ ていう邪念が働くと上手くいかなくて。作品を発表する段階では、作品を見る人に委ねたいって思っています。作品が一人歩きして、見ている人の想像力に入り込んでほしいなって・・・。
自分が作品を作る時に思っていたことと全く反対の解釈をされても、見て頂けたこと自体が嬉しいことだなって。会話が生まれるような作品を作りたい。あるコミュニケーションのきっかけになる、対話ができるような作品を作りたいなって思っています。」

母校である神奈川総合高校で教えるようになって今年で何年目になりますか?

「9年目です。23歳から教えているので。」

生徒にダンスを教える経験が、木村さんの作品作りに影響を与えている部分はありますか?

「生徒に教えるようになってからは、何かを他者に伝えたいと思った時にはまず、共通言語として存在する「言葉」で自分の言いたいことを言えないと相手に伝わらないんだってことを身に沁みて感じるようになりました。もともとわたしは言葉が苦手です。それから本も以前より読むようになりました。小説ばかり読んでいたのが、新書とかも読むようになったり。本も振付もそうですけど、読んでると慣れるもので、読めなかった本も読めるようになってきたりするんですよね。あと生徒にツッコむためには自分も勉強しなくちゃいけないっていうのがあって。生徒に教えてるっていうよりも、生徒に教えられることの方が多い気がしています。」

そもそも木村さんにとって、ダンスとはどういうものなのでしょうか?

「難しい~(笑)。生徒にはいつも言ってるんですけど、ダンスって、振付を踊ったり、音楽に合わせて身体を動かすってことじゃなくて、自分が「こうしたい」って思い浮かべたイメージを、稽古場でどんどんどんどん練習していって、本番ではその身体を差し出すっていうか、捧げていって・・・その生身の身体がさらけ出されていく瞬間に、お客さんが立ち会う。だから一瞬一瞬生きている身体が、生きているお客さんの身体と同じ場を共有して、一瞬一瞬を一緒に生きる。それがダンスなんじゃないかなって思っています。」

ダンサーとして踊っている時は、どのような身体の状態が理想的な状態ですか?

「いい状態の時は、本当に・・・何が起こっても大丈夫って感じですかね。何事にも即対応できる身体がいい状態。逆にストレッチ不足などで怪我しそうだなって少しでも思っていたりすると、もう集中出来ない。また踊っている最中に、「お客さんにこういうことを思って欲しいからこういうふうに踊ろう」なんて、何かを考えながら踊ると言うのは邪念ですね。そういう意識が働いている時はダメで。
踊っているその場に集中して、その場その場で自己判断が出来て、なおかつ身体をぼんって投げ出せる時が一番いい。 そしたらお客さんの客席からの音も聞こえてるし、見えてるんですよね。公演のあの時に救急車が通ったとかってこととかも全部聞こえてる。「その場」ってものをリアルに把握できている時がいいです 。」

木村さんにとって拠点はどこになりますか?

「横浜ですね。横浜の人って横浜大好きなんですよね。住みやすいし。」

いま一番分からないことは何ですか?

「わりといろんなことが分かんない(笑)。踊っていても「こんなところにこんな筋肉あったんだ!」っていうのを日々発見したりしています。作品を作っていく中で、ちょっとずつ何かを発見していって、分からないことが分かるようになっていくってことをするために、ダンスをやっているような感じもあります。ある彫刻家の先生は、もう70歳を超えられているんですけれど、未だに「そっかぁ、足はこうなってたのか!」とか「鎖骨はこうなんだ!」って発見されています。そういう姿を見ると、幾つになっても勉強なんだなって思います。」

出演者写真・野口友紀

野口友紀

幼少より、踊りに触れる。2008年よりストリートダンスに没頭する中で、身体による表現への関心が高まり、2016年よりコンテンポラリーダンスを三浦宏之に師事。 2017年に初のソロ作品「某所」を上演。今年3月には、三浦宏之作品Works-M Vol.9「未だ来ぬ時へと過ぎ去るからだ」にダンサーとして出演。身体と向き合いながら、自らの表現方法を日々模索中。

ダンスの天地に応募していていただいたきっかけは何ですか?

「漠然と今年は「ソロ作品をやるぞ」っていうことだけは決めていたんですけど、何に出すかとか、いつ出すとかは全く決めていなくて、いろいろ出せそうなやつを探していて、「ダンスの天地」を見つけて、あっ出せる、出しておこうって感じでしたね。」

ダンスを始めたきっかけはなんですか?

「最初は、家の近所の公民館でやったお稽古みたいなジャズダンス教室でしたね。実際は全然ジャズダンスじゃなかったんですけど。普通にリズムダンスみたいだったんですけど。それまではサッカーをしていて。サッカーの女子部が人数少なくて廃部になってしまって。でも、身体を動かすのは好きだから、なんかやることないかなって。で、友達と一緒にジャズダンス教室に見学に行って。小さい時から踊るのは好きだったらしいんですよ、母親いわく。記憶ないんですけど。で、やったら?って言われて。やるやるって言って始めた。それが7歳の時ですかね。けっこう飽き性なんですぐに何でも辞ちゃうんですけど、ダンスだけですね、今もやり続けているのは。高校はダンス部で、創作やったり、神戸で毎年やっている『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』に出たり、『ミスダンスドリルチーム』にも出たりしてました。私の時は東京で5位以内になったらアメリカで開催される世界大会に行けて。行きました、ヒップホップ部門で。
高校終わってからはストリートダンスがやりたくて、大阪にとりあえず行こうってなって。近場でストリートなら大阪だろって思ってたんで。大学もどこでもいいからって適当に受験して関西大学に。で、そこのサークルに入って。他大学の子とかともチーム組んでいたりして、色々やりました。」

なぜストリートダンスをやろうと思ったんですか?

「高校の時に初めてやって、もともと小学校か中学校くらいの時に『チャンプル』っていうストリートダンスの番組があって。それを見て、これやりたいって感じになってましたね。で、高校のダンス部に入ってやって。さらに大学でもやるぞ、みたいな。大学終わってからもやっていたんですけど、就職を最初大阪でして、そのままクラブで踊ったりしてました。けど、転勤して宮崎に1年半くらい行って、で、知り合いが一人もいなくて、どこで踊るのかも分からないから、その間はもう何もやっていないというか、一人で公園とかで練習するみたいな感じで終わってて。で、仕事辞めて岡山に帰ってきて。岡山帰ってきてからも1年くらいはストリートやって。地元に友達がいて、その子が一緒にやろうって言ってくれたんでクラブのイベントで一緒に踊ってました。」

コンテンポラリーに興味を持ったきっかけは?

「自分のストリートダンスに限界を感じていて。音楽に合わせて全部作るんですけど、もう音取りで遊んでも別におもしろくないやって感じになっちゃって。クラブで踊るのとかも飽きてきて、もうちょっと変わったこと、ストリート以外のこと、音取りとか以外の何かでやりたいなというのがあって。それって何なんだろってなって、バレエでもないしジャズでもないし創作ダンスもちょっと違うしな。みたいな感じでコンテンポラリー。名前は知っていたんです。神戸の『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』で、大学とかは結構コンテンポラリーっぽいものを出してきたりしてたんで。あと、大阪にいた時に知り合いにコンテンポラリーもやってますっていうストリートダンサーがいて、自由そうってイメージがあって。ストリートだと「それはヒップホップじゃない」みたいな考え方とかいろいろあるんですよ。そういう枠を取りあえず越えたくて、それがちょうどコンテンポラリーなのかなって。岡山でコンテンポラリーってどこで出来るのか知らなかったんで、とりあえずネットで調べて。で、三浦宏之さんのM・L・I M-Lab Instituteに2017年から参加してます。」

普段の活動として、ご自身での稽古もされているんですか?

「今はこの「ダンスの天地」に向けたクリエイションの最中なので、一人で場所を借りて、やってます。ストリートダンスをされてる人が自宅のビル一角を改装してスタジオにした場所があるんですよ。そこが一回500円で3時間借りることができるので、ものすごく立派な場所ではなくて床とかこんな斜めになっているんですけど、まぁ安いからそこ借りたり 、あと天神山文化プラザも空いていたら。結構埋まってるんですけど。近場で借りてやるか、あとはもう散歩しながら、その辺で。もともとストリートだから、野外とか外で普通にやってたんで。でもコンテンポラリーだと床でゴロゴロしたりするんで、土の上はダメだし、汚れるから。コンクリートは裸足で怪我したらあれだしなぁって。」

コンテンポラリーダンスを始めて、変わったことはありますか?

「呼吸ですかね。ストリートダンスを踊っている時って私ほとんど無呼吸なんですよ。コンテンポラリー始めて、呼吸が変わりましたね。呼吸した方が動きやすいということに気がついたというか。私って今まで息止めて動いていたんだなってことが発見でしたね。コンテンポラリー始めてから身体って面白いなっていうか、人間の身体ってよくできているなって。あとは脱力。意外と力入れて生きているんだなってことに気がついて、力抜いたら楽に動けるもんだってことも面白かった。」

呼吸や脱力、骨、身体の使い方や仕組みはコンテンポラリーを始めて興味を持ち出した?

「そうですね。知ったというか、もともとあるのに知らなかったみたいな。」

その変化はストリートダンスにも影響はありますか?

「ストリート踊るときにも呼吸とか入れますね。今までは無呼吸で踊っていたんで。踊っていての感覚の変化としては、疲れにくくなったっていうのは結構あるかな。体力はそんなにある方じゃないんですけど、ガンガン動いても息が上がらなくなった。」

野口のストリートダンスをご覧になった方からは、野口さんの変化は何か聞きますか?

「今はあんまりストリートストリートしてないやつをクラブで踊ったりしているんですよ。作るもの自体がおかしな方向にいってて。まぁストリートのイベントで踊っててもあんまり感想とかもらわないんで。言われない。「良かったよ」ぐらいしかないですね。」

野口さんにとってダンスの作品を作ることとはどういうことですか?

「ソロは自分との戦いって感じですね。作るのも踊るのも一人じゃないですか。だからずっと自分自身といないといけなくて、ソロを作る時は孤独な戦い。誰かに振りつけるっていうのは去年のカリキュラムでもしたんですけど、作品を作ること自体は喋ることに似てますね。あんまり喋るの得意じゃないんですよ。自分の思ったり感じたりしたことを言葉にするのがすごい苦手で、それの代わりに踊るみたいなところがありますね。」

作品を通してどんなことを喋っているんですか?

「その時気になっていることとか。作品によりけりですけど。作品のテーマとか。」

その喋るというのは、作品としてお客さんに見せることで、お客さんと喋るということ?

「そうですね。誰かに振付してとかだと、出演している人たちともですけど。」

一番に最初に作品を作った時はどんな感じでしたか?

「何からどう作ればいいのかな?みたいな。振付家さんそれぞれに自分の作り方みたいなのがあると思うんですけど、全くそれも分からない。ストリートダンスのショーケースしか作ったことなかったので。ただ、三浦さんのカリキュラムの中で作っていったので、アドバイスをもらいながら、試行錯誤しましたね。」

作ること自体に抵抗はありませんでしたか?

「それはなかったですね。もともとコンテンポラリーをやりたいってなった時から身体表現をやりたいって感じだったんで。喋りたいことがあったんでしょうね。」

それはストリートダンスの発表では出来ないようなことだったんですか?

「ストリートだとどうしても音楽ありきの文化なんですよ。音楽の歴史とともに踊りが生まれてジャンルがあるんですけど。だから、その流れから逸脱してはいけないみたいな。自分にとって、ストリートは表現するっていう踊りにはならないですかね。やっぱり。」

野口さんは振付家ですか、ダンサーですか?

「区別はしてるんですけど、振付家かと問われると言えない。まだ言えない。ダンサーの方が自分の中では強いですかね。人に振付をしたことはありますけど、振付家って言われるとどうか。私の中の区別でいうとまだそっちにいってないような気がします。」

振付家になるのに必要なことはなんですか?

「コミュニケーション能力ですかね。ダンサーは一人で完結させようとしたらでき出来ちゃうから。振付を貰う立場でのコミュニケーションはいけるんですよ。その能力はあるんですけど。自分のことを伝えていかないといけないじゃないですか、振付家だったら。それが苦手なんですよね。だからまだそっちの領域にたどり着いていない。目指してはいます。絶賛克服中なんです。まだまだなんですよ。」

自分のダンスや作品はどんな人に見てもらいたいですか?

「考えてません。強いて言えば、誰でもですかね。小さい子もありだし。未就学児童ダメみたいなの結構あるじゃないですか?べつに、子供の反応とかすごい面白いし。誰でも。犬でも猫でも。見てもらえるなら。」

相手からのリアクションは言葉とかの方がいいですか?

「いや、全然なんでもいいです。でも言葉にしてもらえるとありがたい。アンケート書いてくださる方はありがたいですね。あと、お客さんの反応は一番顔とかに出るじゃないですか。帰られる時の顔とか見れるだけでもありがたい。」

観客としてダンスを見る時は何を見ていますか?

「私あんまり文脈気にせずに見るんですよ。感受性がなくて(笑)。その作品が何を言いたいのかよく分からない感じなんで。身体とか、最近は結構照明とかすごい見てますね。演出の方の眼も増えました。ストリートダンスってクラブイベントだと照明は勝手に適当にやるんで、全然そういう眼で見たことがなかったんですね。最近その眼が増えて。あとは身体見てますね。表情とか。顔も見ますけど、指先とか。」

指先の身体を見ているのか、動きを見てるのか、どちらですか?

「動きも見ますけど、やっぱ身体のカタチの方を見ますかね。どうなってるんだろう?って。」

ダンス以外の分野で、ダンスに大きな影響を与えているものはありますか?

「大学が文学部だったんですけど、哲学専修で、その哲学をやったことはけっこう影響あるなって思いますね。ゼミの先生が変わった人で、大学教師なのに坊主でめっちゃオシャレで。「哲学は色んなことで出来ます」って仰っていて。卒業論文も題材は何でもよくて。私は舞踊学みたいなもので書いて。「ストリートダンスは芸術になりうるかどうか」って問いで。その問いについて論拠を立てて、結末を出すみたいな感じなんですよ。」

ちなみにどういう結論になったんですか?

「私は結局、芸術にしたかったんで、「芸術になりうる」って書きましたね(笑)。なりうるか?イエスって方の立場で書いていって。反論を何個か立てて、それにさらに反論する形で進めていって。そもそも芸術として認められているバレエとストリートダンスは何が違うのか?みたいなことを書いたりしたかな。ストリートダンスはそもそもあくまで大衆文化のレベルでしかなくって、バレエみたいに体系化されていないのではないか、みたいな感じだったような気がします。もう忘れましたけど。」

ご自身で踊っている時、身体がどのような状態であるのが理想的な状態ですか?

「感覚が全部開いている状態ですかね。私、視覚がすぐ消えるので、見えてないんですよね、周りが。全部開けてて、全部見えてる、全部聞こえてる状態が一番よい状態。理想ですね。なんか自分の内側に籠るように踊ってしまう時ってあるじゃないですか。ソロとかだと特に自分一人でやるので、お客さんいるのに籠りがちというか。それが開いたら全部ツーツーになるというか。その状態が理想ですね。」

それはコンテンポラリーもストリートも関係なく?

「そうですね。ストリートダンスのときは割と開いている時が多くて。コンテンポラリーはやっぱ舞台と客席が明確に分かれているので。ストリートの場合は、わーってその辺でみんな飲んだり喋ったりしているところで、ハイ、ショーケースやりますーってなって。お客さんからも野次じゃないですけど、いろんな言葉が飛んできて。けっこう舞台とお客の境界みたいなものが無いんですよ、だからあんま閉じないんですけど。コンテンポラリーは明確に客席と舞台ってなってるので。まぁやる場所にもよりますけどね。閉じちゃうとやっていて独り言喋っているみたいになっちゃうんですよ。一方的に見られる状態だけになると、風通しがよくないというか。」

野口さんはダンサー・振付家であることに対して不安はありますか?

「不安はないですかね、別に。不安はないです。」

野口さんにとって拠点はどこですか?

「今は岡山です。」

生活の何%にダンスがありますか?

「寝てる間は費やしてないな・・・。クリエイションに入ってからは常に考えてるというか、頭にはあるので。でも働いたりしてるからな。60%ぐらいですかね。生きていかないといけないので、お金を稼ぐ時間もいるし。貧乏暇なし(笑)。100%って言いたいですけどね、実際まだ60%じゃないですかね。」

逆に100%ってどういう状態だと思いますか?

「お金を気にせずできる人ですかね。実際にお金をもっていなくても、「生活していかないと」って意識を持たなくてもなんかやっていけてる、って状態になれてる人。」

今後の夢はありますか?

「夢?・・・生活の100%をダンスに費やすことですかね。」

それはダンスで食べていきたいっていうことですか?

「食べていくって言ったら違うんですけど、「生活していかなきゃ~」ってことを考えなくてもいい状態になる。だからといって専業主婦になるのも無理で、働くこと自体は辞めれないと思うんですよね。生きていくためにもそうだし、働いている時間って社会とつながる時間じゃないですか。そういうところから気になることが出てくるというか。誰かとか、社会とか関わっていく中で「これ!」ってものを見つけて、そういうのがテーマになってたりしますね。」

今の世の中はどういう世の中だと思いますか?

「どういう世の中なんですかね?今回作品にも入れているというか、テーマにしてるんですけど、のっぺりしてますよね。均一化されてきているというか、色んなものが。個性が弱くない?みたいことをすごい思いますね。全員スマホ持ってるみたいな状態とか。進化していっているとは思うんですけど、進化なのか退化なのかわからない、みたいな。子供とかだって、私とかちっちゃいときとかフツーに、外で元気に遊ぶじゃないですか。まぁいま熱中症とかあるからかもしれないんですけど、公園行ってもほとんど子供いないですし。それって進化してるのか、退化しているのか。」

それが今回の作品のテーマですか?

「均一化してるんじゃないかってことですね。女子とか顕著なんですけど、一人では何もできない、トイレにも行けない、ラーメン屋にもいけない、みたいな人いるじゃないですか。群れる状態になると、こう、ある一人の子が良いって言ったら、みんなも良いって言うか、違うって言いづらいっていうか。なんか世の中的にはそうなりつつあるんじゃないかなって。そういうことを今回テーマにしてる。」

ダンスの対義語ってなんだと思いますか?

「なんだろう・・・。対義になるか怪しいんですけど、「死」ですかね。死んだら動けないんで。死んでも身体はありますけど、動かなくなる。そこにその人がなくなるじゃないですか。ダンスは生活とともにあるものだから、やっぱ死かな。」

死ってなんですか?

「終わりと始まりの境目ですかね。あるところまで生きてて、また次が始まる。なんなんですかね、死って。」

いま一番わからないことは何ですか?

「今一番わからないことは、自分ですね。基本分からないんですけど。」

自分の何が分からない?

「何考えてるか、何したいとか、どうしたいのかが分からない。ダンスに限らず全体的に。それを見つけていくというか、自分で確認していくというのがクリエイションだと思うんですけど。ソロ作品を作る時は特に、自分の分からない部分に向き合う時間ですね。世の中で一番分からないですね、自分が。」

それはストリートダンスを踊っている時は、あまりそういうことを考えない?

「考えないですね。」