ダンスの天地
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出演者写真・高瀬瑶子

高瀬瑶子

幼少よりモダンバレエを始め、16歳よりクラシックバレエを学ぶ。こうべ全国洋舞コンクール1位受賞。 現在はフリーとして活動中。骨で動ける身体を探しつつ、白井晃、森山開次、中村恩恵、近藤良平、青木尚哉の作品の他 、 CM等にも出演し、踊りを通して演劇やメディア活動での表現も探究している。

今回「ダンスの天地」に応募していただいた理由はなんですか?

「フィードバックがあるというところが大きいです。ただ作品を作って発表するというだけじゃなくて、ショーケースの前後で作品と向き合える機会があるからです。」

普段はずっと関西の方に拠点をおいて活動されているのですか?

「東京と関西で活動しています。東京と関西を行ったり来たり。」

東京へは年間、何日間ほど行かれていますか?

「出演する舞台にもよりますが、神奈川芸術劇場製作の舞台に出たときは3ヶ月間行ってました。」

高瀬さんはダンサーと振付家のどちらですか?

「ダンサーですね。」

今までご自身で作品を作られた経験はありますか?

「バレエをやっていたので、バレエの子供達に作品を作る機会はありました。自分で一つの作品を作ってショーケースに出すということは中々なかったです。」

今回なぜ、ご自身で作品を作ろうと思ったのですか?

「作ってみたい気持ちはあったのでその気持ちの輪郭がはっきりしてきたからです。今まで人の作品を踊ってきて、それはそれですごくやりがいもあるし続けていきたいですが、踊りと向き合う視点を増やしてみたい。特別なきっかけはないです。たぶん環境の変化というのもあると思うんですけど。」

環境の変化?

「3歳の子どもがいて、今まではダンサーとしてずっと人の作品を踊るということに比重を置いてきたんですけど、子供が生まれたらやっぱりダンスと生活の比重も結構変わってきますよね。日々そのバランスを上手いこと取りながらやろうとしているんですけど、やっぱりそういう生活面での変化も少なからず影響しているかなって思います。」

お子さんが生まれて、直接的にご自身のダンス観やダンスへの取組で変わったことはありますか?

「ダンス観や取組み方について、自分の中ではあまり変化はないです。でも時間の使い方は圧倒的に違います。今まで全部踊りに使っていた時間がなくなった分、その時間配分とダンスに捧げていた気持ちをどうもっていけばいいのかというのはすごい葛藤していて。うまいこと気持ちを切り替えて、全部同じ比重でできないかなって試行錯誤を続けて、やっと最近感覚を掴めてきた感じです。」

その感覚というのは、生活とダンスの割合の感覚ということですか?

「そうですね。あと、別に区切らなくていいんだというのはすごい思ったんです。生活と踊りを切り離さないといけない理由はない、生活の中にもダンスがあると思っていて。というのも以前、大谷さん(※神戸アートビレッジセンター館長 大谷燠氏)とお話しさせてもらったとき、出産後もダンスを続けたいけどどうなるか想像できなくて不安だということを言ったんです。そしたら大谷さんが「ダンスは人生そのものだよ」って仰って。そのときは、きっとそうなんだろうなという程度の感覚でその話を聞いてたんですけど、実際に子どもが生まれて、前とは生活のリズムも変わっていく中で、ダンスと真正面から向き合ってない時間も全てひっくるめて私の人生だし、「ダンスは人生そのもの」という言葉の意味を身体で理解し始めたんじゃないかという気がします。」

生活の中にダンスがあるっていうのは具体的にはどのような感覚ですか?

「何かを見て聞いて感じたこと、日常生活の動作(料理、掃除など)、所作、そういったものが全て踊りにつながっているのではないかなって思い始めました。それを100%実感しているわけではないですけど。」

どのような作品を作ろうと思っていますか?

「身体の持っている力に興味があるので、進化の途中である身体を浮き彫りにできたらと思います。最近読んだ本に、人間らしい作業をするために手足を使って生活しているが、四足動物性や魚類性の感覚が体の中に潜んでいる、と書いてあって、今考えていることとピッタリ合った感じがしました。身体運動能力は退化させてきたし、生活に根付いていた身体の文化も薄れてきている中、身体はどうなっていくのかと。そこで、進化、退化、身体、器官というワードが出てきました。また、そう思うきっかけになったのは青木尚哉さんのワークです。「骨を意識する」ということを仰っていて、骨と骨の間を広げるとか縮めるとか、相手からの反応を受けてそれに対して自分がどう動くのかとか、身体が変化していくのが面白い。身体の中心にある骨から動けると、人間の自然な状態、説得力のある身体で舞台に立てるのではないかと思って探求中です。」

自分の作品を他者に見せること、自分の表現を他者に見せるということは、高瀬さんにとってどういうことでしょうか?

「ダンスって一人でも踊れるじゃないですか。それでもなぜ人前で踊るのかというと、やっぱりコミュニケーションツールなのだと思います。人に見てもらうこと、その存在、空気や圧を感じて、ダンサーがそれを受け取って新たに生まれてくるものもあるし、このインタビューのように言葉で会話するのと同じことが身体とその空間全体で起こっていると思います。」

具体的にどのような人に見てほしいですか?

「特定の人に見てほしいとか思ったことはないですね。いつも見にきてくれる人からは「今日はこう見えた」というフィードバックがほしいし、ダンスをやっている人からは、同じ世界でやってるからこその意見もほしいし。もちろん今までダンスを見たことがない人にも是非足を運んでほしいなと思います。全く違う感想がもらえるのが面白いです。回っているところは喜んでいるように見えたとか。そういう意見をもらうとこっちも新たな気づきがあるし。それぞれいいところがあるから幅広く見てほしいというのはありますね。」

作品を作るということ以外で、何かご自身の活動を発信されたりしてますか?

「今はTwitterやインスタとか、誰でも発信できるし、みんな何かしら発信している時代だから、「ダンスを見せる/見る」だけの関係は難しいかもしれないですよね。例えば文化祭みたいに、作品の製作過程に自分も参加して、みんなで一つのものを作り上げて達成感を得るような体験が出来れば、公演にも人がきてくれるんじゃないかなって思います。お客さんとそういう関係を作った方がいいんだろうなとは思っていて、まずはネット上でコミュニケーションをとってみようと思って。「SHOWROOM」という仮想空間でライブするアプリがあるんですけど、私が配信したものにいろんな人のコメントがつくんですよ。「今日はこういうモチーフを作ったので踊ります」って踊って配信して、それに対してコメントをもらって話す。実験ですけどやってます。あとは、大人も子供も誰でも気軽にダンスに触れられる機会を作ろうとダンサーと計画中です。」

先ほど主に東京で活動されているとおっしゃってましたが、東京に拠点を移そうと思ったことはないんですか?

「もともと4,5年前まで東京で活動していたんです。関西には結婚とかそういう環境の変化に伴って来たんですね。関西にきたときは、一旦全部ゼロにしてみようと思って。」

ゼロにするというのは、ダンスをやめるということですか?

「辞めようと決意したわけではなくて、すべてリセットして真っ白な状態にしたら、どんな気持ちが湧き上がってくるんだろうと思いました。もしかして普通に生活することの方が楽しくなるかもしれないし、それでも踊りをやりたいと思うのかもしれないし、どうなのかなって。ゼロにしたんですけど、結局やっぱり踊っていたという笑。」

ダンス自体を辞めようと思ったことはないのですか?

「ないですね。もちろん思い通りに踊れなくて、もう辞めてやる!という気持ちになることはしょっちゅうありますけど、今のところ辞めようと思ったことはないし、たぶん人前で踊らなくなってもどこかしらで踊ってるんじゃないかと思います。」

もともとのご出身はどちらですか?

「出身は岡山です。もともと母の勧めでモダンバレエを始めて、それをずっと続けていました。高校生のとき親の都合で東京へ引越したんですけど、東京へ行くならちゃんとバレエの基礎を学びたいなって思って、遅いんですけど高校生からクラシックバレエの学校に通い始めました。」

ダンサーとして活動していこうと決意したのはいつ頃ですか?

「大学生のときですね。バレエ学校の先生にはずっと「骨格がバレエに向いてないから、、」と言われていて。でもそれって自分でも分かるじゃないですか。だからバレエの仕事は無理だろうって思っていました。同じくらいの年齢の子も海外のバレエ学校に留学したり、大学に行かずにバレエ団で踊っている子もいたから、プロになるというのはそういう人達のことを指すんだと思っていたんです。私は舞台に立てなくても踊りが好きだからやれるだけやろうと思っていました。それで普通の大学に行ったんですけど、大学の時にたまたまウィーンから日本に拠点を移したダンサーの方々に会ったんです。彼らは日本でバレエカンパニーを立ち上げようとしていて、そのカンパニーのオーディンションで選んでもらい、ウィーンに踊りに行ったり、カンパニーのクラスを受けたり公演に出演したりしてたんですね。そうしたら「あ、やっぱりダンスやりたい」って思いがすごく強くなって。実は就活をしようと思って、就活センターのような所にも行ったんですけど、全く何の情報も目に入らなかったんです笑。それならもう未知の世界の方へいってしまえ!と。あと、同じ時期にメディアの仕事をやらせて頂いたことも後押ししていると思います。 ウィーンの彼らに出会ったのは19歳の時なんですけど、19歳なのに、足を(バレエの型の)1番にして立ってなさいって言われたり笑。基本ができてないから。みんなが普通のレッスンをしてる中、立ってるだけっていう笑。クラシックバレエの作品であなたに主役はやらせられない、でも創作作品ならあなたの良さを活かせるだろうから、そっちなら任せられる、というようなことを言われて。ショックを受けなかったわけではないですが、はっきり言ってもらえて良かったです。それでバレエもやりつつ、創作作品もやって行く中で、25歳ぐらいの時に青木尚哉さんが振付している作品に出演し、彼の踊りを見たときに「私がやりたいのはこれ!」ってすごく感じて、コンテンポラリーダンスの世界に足を踏み入れました。」

昔からダンスを続けてきた中で、ダンス観や身体で変わってきたことはありますか?

「ダンス観でいうと、なんらかの形で相手の内側に触れることができたらいいなって思っていて、そのためにはそれを実現する身体、説得力のある身体が必要だと考えるようになったことです。変わってきたというより強く思うようになってきた。学生の時はもうちょっと考えがアバウトだった。お客さんに見てもらって何か感じてほしいとは思っていたけど、それよりも振りをこなすとか、振付家の要望にどう応えるかとか、そういうことばかり考えてました。身体の変化というのはやはりありますね。出産したというのが一番大きな変化で、出産後は足を45度上げるので一杯一杯で、もう終わりだ!!って思ったぐらい笑。」

出産はかなり負荷が大きいんですね。

「大きいですね。専門のトレーナーがいるわけでもないので、踊れる身体に戻すためにいつから何をしてよいのか分からなかった。出産後も踊っている先輩の話を聞いたり、専門書を読んだり・・・色々しましたね。出産前の身体と今とは確実に違うと思います。でも最近は、この身体もマイナスではないなって思えるようになってきて。昔は昔、今は今って考えられるようになってきた。」

高瀬さんは演劇の作品にも出ておられましたね。

「演劇の作品ですが、最初は森山開次さんの振付ということに興味を持ちました。好奇心もありました。もちろんダンスの作品もやりたいけど、他の世界も見ることで、自分の踊りを違う視点から見られるし、そこでつながる関係も面白いし、新しい感覚を得られるので。それがまた踊りに返ってきますし。」

演劇の作品とダンスの作品に出演するにあたって、両者に何か違いはありますか?

「見せ方の違いはとくに思わなかったですね。踊りを踊るという点については。ただ白井晃さんの作品ではダンサーもセリフがあって、声を出す点については同じ表現するにしてもだいぶ違うなと最初は戸惑いました。 ちょっと質問からズレてるかもしれないですけど、白井晃さん演出の『Lost Memory Theatre』(2014年/製作:神奈川芸術劇場)という作品に出演したんです。それは三宅純さんの音楽そのものを舞台化し、音楽、ダンス、演劇を交えたアートのような作品でした。その時に、バンドの方々が演奏している姿や歌っている時の身体を見て、ダンス必要なのかな、、って思っちゃった。 というのも、演奏するために使っているその身体だけで十分綺麗だったから、ダンサーは何をしたらいいんだろうって思いました。考えた結果、結局何もしないこと、着飾って舞台に立つのではなくて、全部取っ払ってシンプルにそこに立つ。それでやっとダンサーとしていられるんだなぁっていうのをすごく思った。」

ダンサー・振付家として、今後やってみたい企画やあったらいいなと思う企画はありますか?

「振付家の作品を踊る機会はもちろん、自分が作った作品を発表して終わりではなく続けて活動できる機会や、音楽家、美術家、衣装の方々と体を共有する企画があったらいいと思います。」

今回、作品を作られて、その作品を育てていこうという意識はありますか?

「あります。発表して終わりにするつもりはないです。作品を育てるためにもドラマトゥルク的な存在は必要だと思っています、特に今。」

あなたにとってダンスとは何ですか?

「生活の一部ですね。あって当たり前だし、言葉でもあるし。それこそ、大谷さんが仰っていた「ダンスは人生そのもの」だと思うんですけど、そう言い切るには、もうちょっと時間がかかるかな笑。」


本日はありがとうございました。本番がとても楽しみです。

出演者写真・京極朋彦

京極朋彦

京都造形芸術大学、映像・舞台芸術学科卒業後、 国内外の振付家の作品にダンサーとして出演。ソロダンス『カイロー』は2010年初演から4か国9都市で上演された。2012年「京極朋彦ダンス企画」設立と同時に京都の若手作家の作品発表と交流の場としてKYOTO DANCE CREATIONを創設。平成27年度文化庁新進芸術家海外派遣事業、研修員としてウィーンに滞在した他、中国、メキシコ、韓国等に招聘され、現地ダンサーと共に作品制作を行ってきた。作品制作以外にもワークショップ講師として活動している。

昨年、活動の拠点を兵庫県神河町に移されたとのことですが。

「僕自身、長いこと移住したいな、田舎に住みたいなっていう思いがありました。なかなか具体的にはならなかったのですが、奥さん(振付家・ダンサーの伊東歌織さん)が神河町の地域おこし協力隊に着任したことをきっかけに移住を決めました。全く違う環境に身を置いてみることで、そこで何が生まれるのかを試してみたいという気持ちもありました。あと、僕自身、東京、京都を行き来したり、ここ数年、海外にレジデンスに行く機会があって、拠点は日本のどこにあっても飛行機に乗っちゃったら変わらないし、拠点はどこでも活動できるなと思ったというのも、移住した理由の一つですね。」

これまで活動して来た京都や東京とは全然違いますか?

「違いはすごくありますね。時間の流れ方とか、環境とか。例えば夜の環境とか違いますね。ここは18時にはコンビニかスーパー以外やっていないので、18時以降の時間の使い方とかは違ってきますよね。京都にいたときは、みんな自転車移動で、終電がなかったし、やってるお店もたくさんありました。東京はもちろん24時間やっているお店がたくさんありましたが、時間の流れが全然違うなと思います。あと、人と人との距離感がとても近いです。噂とかも早く広まるし、東京から夫婦がきたということがホットなトピックになっているみたいです。歌織さんとかは自分が作った体操がケーブルテレビで定期的に流れているから注目されているんですよね。僕は僕で地域の人に関わるようにしていて、今は農業の手伝いをしてます。自分から行かないとなかなか関わりが作れないし、畑とかやったことないですが、そういった作業はダンスと根元的に繋がっていると思っているので、畑を耕したり、この土地の水を飲んだりすることは身体を変えていくのかなと思っています。」

今回の作品は骨や筋肉といった身体へのアプローチがコンセプトと応募資料に書いてあった印象がありますが、やはり身体が変わっていくっていうことは大きいですか?

「そうですね。ここに移住してからはあんまり焦らなくなったんですよね。やっぱり東京などで稽古場を借りるのに自分がお金を払っていたりすると、借りている2時間の中で何か結果を出さないといけないと思ってしまったり、結果を急ぐということがあったのですが、ここに来てからは稽古場も当日行ってもその場で借りられたりするので、一つの動きに対して吟味するみたいなことがじっくり出来ています。骨とか筋肉とか解剖学的な知識としては分かっているけれども、実感を伴うまでに時間がかかって、今まではそれを知識だけで作品に盛り込んでいたのが、実感を伴って作品に繋げられるということが起きてきています。だから大きく何かが変わったというよりも、今までやってきたことがより丁寧に出来るようになっていると思います。」

拠点が変わり環境や時間が経って、ダンスに対する意識やダンス観みたいなものが変わって行っているというのが今のお話を聞いて感じました。作品を発表するということについてはどう思いますか?作品という形式に落とし込む意味とはなんなのか、それを人に見てもらう意味はなんでしょうか。

「僕のキャリア自体が、いきなり作品を作ることから始まったんですね。ダンスを習ったこともないのに、踊り始めてしまって。ダンサーとして舞台に立つ以前に、ソロダンスを作って発表するということを大学の卒業制作でやりました。いきなり作品を作るところから始めたという経緯もありますが、一番最初は承認欲求でしかなかったと思います。「俺を見てくれ!」みたいな笑。とにかく承認してもらいたかったんですね。もともと役者をやりたくて京都造形芸術大学に入って、まさかダンスをやるとは思っていなかったですね。でも今思えば承認欲求を満たすためには役者をやるよりもダンスの方が手っ取り早いって思ったんでしょうね。それが段々そのことを超えて、踊りを通じて対話したいという気持ちになってきました。ダンスが他者と話をするきっかけになってきたなと思っていて、僕自身コミュニケーションが得意かって聞かれたら、そうでもないんですよ。ただ、踊っている自分を話題に、人と話を始めたいという気持ちがあって。何もしていなかったら話せないけど、ダンスをやっているからダンスについて話せるということで、対話のための一つのツールでもあります。なぜ自分は踊るよりも、作ることにこだわっていたのかを振り返ってみると、その対話が人の作品に出演するよりもダイレクトにできる立場でいたかったのだと思います。」

京極さんは自作自演が多い印象はあります。自分の身体で作って、踊ってと言ったソロダンスの印象がとても強いです。自分自身の中でダンサー、振付家って区別があったりしますか?

「人に振付けるのって怖いなって思っていました。自分にだったら幾らでもナイフを突きつけることができるけど、人にナイフを突きつける覚悟がないと振付できないなと思っていた時期がありました。2009年に初めて女性とのデュエットを作りました。それからも幾つか作品は作っていたのですが、ほとんどの作品に僕も出演していました。完全に僕が出ていない作品を作ったのは少なくて、それはやはり人にナイフを向けるような恐ろしさがあります。自分に向ける方がよっぽど楽なんですよね。ただ海外に行ったときに、それが素直にできたんですよ。英語でコミュニケーションするんですけど、知っている単語が少ないからダイレクトにものを言うしか手段がないってのもあって、英語を喋ると気が大きくなるじゃないですか。普段のキャラとちょっと違うんですよね。しかも。日本語だと匂わすとか色んな手段が使えるから、結果よく分からなくなってしまうけれども、英語だとこれをやってくださいとしか言えないということもあって、スッとできましたね。その経験はやはり自分の中でも面白くて、今まで自分はソロしかできないかもしれないとか、人に振付けるのが怖いなとか思っていたものが段々となくなってきました。自分が振付家かダンサーかって言う話になると、やはりダンサーは経験が少ないと思っていて、人の作品に出ていることはあったけれども、経験値としてはソロをやっているというのが多くて。ソロをやっている時もダンサー脳で考えている時と、振付家脳で考えている時と、演出家脳で考えている時と、プロデューサー脳で考えている時があります。僕は明確に、この時はこの脳をって使い分けるように意識していて、プロデューサー脳まで行くと集客のことを考えたりとか、どんな場所でやるとかどの人とやるとか、お金いくらにするといった角度から作品に切り込んでいく考え方をしていて。ダンサー脳で考えたらそんなこと関係なくて。ダンサー脳っていうか身体ですね。ダンサー脳でとにかく振付を作っていって、それを振付家脳の段階で調整して形にしていき、演出家脳でそれをどういった照明とか音響とやるのかと考えています。それを意識的に時間で区切ったりとか、稽古が終わって家に帰ったら振付家として今日やったものをフレーズ化してみようとか、それを今度は演出家脳で照明どうしようとか考えます。それをうまくやるのは大変なんですが、ソロをずっとやってきた中で割と自分なりに意識してできるようになってきたかなという気がしています。」

生活の何パーセントをダンスに費やしていますか?生活にダンスはありますか?

「最近思うのは、結構前までは生活とダンスって離れているものだと思っていました。稽古場に行ってダンスをする、終わって帰る、みたいな。「Life is Dance」とか「生きることがダンス」というのも解釈としてはそうなんだろうなと思ってはいたけれど、僕にとって作品を作ることは特別で、日常とは切り離されたラボみたいなところで作る、作業場みたいな場所で作るというイメージがありました。それに対して変なプライドもあったのかな。容易く自分のやっていることは生活と一緒ですと言いたくない、もっと特別なことをやっているんだという意気込みもあったと思います。でも段々年齢を重ねてくると、自分が特別にプライドを持ってやっていることが挫折しそうになった時に、生活全体からの支援がないと作品が作れなくなるような、身体全体とか生きること全体のパワーで押し返さないと作品を作れなくなるときがあります。もちろん体力とかもあるかもしれないけれど、意識として、総力戦で行かないとできない。寝ている間とか、ご飯食べている間、ダンス以外のことを考えている間といった生きてるってことを充実させて、そこからパワーを持ってこないと年々上がる作りたいもののレベルと釣り合わないと感じるようになってきました。だから、段々年を重ねるごとに年上の方たちが言っていた「Life is Dance」の意味が少しづつ分かるようになってきましたね。」

現在のコンテポラリーダンス界についてどう思いますか?

「2007年に京都造形芸術大学を卒業した時は未来に希望を持っていた時期というか。夢見ていた時期で、白井剛さんがトヨタコレオグラフィーアワード2006で「次代を担う振付家賞」を受賞され、きたまりさんが最終選考にノミネートされた時に、演出助手できたまりさんの作品に入っていたんです。そこでトヨタの現場を感じていた時には、僕もゆくゆくはこういった場で踊ったり、こういった賞があったりしてやっていけるんだって思いがありました。ある意味、スター制度みたいなものがまだ見えていた時かな。それが今どうなっているかと聞かれると、スターシステムは崩壊しているなと思っていて。一つしかない大きな山が、割と色んな小山に分かれていったという感じがあります。それは別に良い悪いとかではなくて。コミュニティーダンスをはじめ、ダンスが良い意味で多様性を持った色んな山に分かれていったというイメージがありますね。でもその分大きな時代のうねりみたいなものを生み出す力は分散している気がします。その小山同士が連結している訳でもなくて、割と点在していているのかなと思います。 ただ、今のコンテンポラリーダンス界では、小山が分散して行ったその山々で、危機感を持った人が色んなところで生まれてきていて、そういう人たちがそれぞれの場所で面白いことを始めているのを感じます。一つの頂点を目指すのではなく。地方にダンサーが帰っていったりとか、東京から分散して行くという流れもあって、それがある意味で一時期のコンテンポラリーダンスブームへに対する反省みたいな形で出てきていて、コンテンポラリーダンサーたちは意志を持って地方に散って行っているのではないかなと感じています。」

プロフィールにも書いてありましたが、京極さんは海外への滞在歴もあります。

僕が海外に行って一番思ったのが、アーティストが市民権を持っているということです。やはりコンテンポラリーダンスの歴史が積み重なっていて、市民権を得ており、ダンスをやっていることに対して一般の方からの尊敬の念があるというか、文化に根付いていますね。僕が2015年に2か月半ほどウィーンに文化庁の芸術家派遣制度に採択されて行ったのですが、ウィーンには「インパルスタンツ」という、毎年夏に「ダンサーの天国」と言われているWSが行われ、世界各地から優れた先生とダンサーが集まっているんです。それも覗いてみたのですが、とにかくポジティブなパワーに溢れている場所でした。そのWSは一般の人も普通に受けることができるんですね。カフェで知り合った全然ダンサーでもない人に、自分はダンスやっているという話をしたら、僕もインパルスタンツのWS受けたことあるよみたいなことを言われて。文化の中にダンスがちゃんと根付いているという環境があって、それでいうと日本ではそういうことって無いなって。」

ダンサー・振付家さん同士でご結婚されて、ご自身のダンスやダンス観で影響受けたことはありますか?

「僕はすごい影響を受けてます。すごい喧嘩するんですけどね笑。作家同士ではあるけど方向性は違うし、性格も違いますから。奥さんは18歳からこの世界にいて、僕が経験してないことを経験してきている先輩でもあって、尊敬しているところは沢山あります。そもそも一緒に移住してきているっていう時点で相当影響力がある笑。」

(歌織)「私が尊敬するところは、海外とかいったときに、私ぜんぜん英語できないので、英語喋ってなんかやってるのはすごいなと思うけど笑」

「そこだけ!?」

(歌織)「でも京極くんは粘り勝ちするタイプで、あたしは結構諦めが早いんです。それは作品にエネルギーを注ぎ込んじゃう分、ダメだった時にダメージが大きくて疲れちゃうんですよね。そういうときに諦めたくなったり、助成金やコンペが通らないこととかに対してネガティブに感じることが多いんだけど、京極くんは意外とめげないタイプっていうか、ずっと助成金だし続けるとか、コンペに応募し続けるみたいな笑。そういうところが結構学ぶとこではありますかね。」

「歌織さんは感覚的なところがあって。アーティストとしてすごい繊細だったり、感覚が豊かだったりとかっていうのは、羨ましいって思う部分がある。僕は結構引いて見ちゃうタイプなんで、論理的にものを考えて、没頭できないところがあるんですけど、その辺の没頭し具合っていうのは羨ましいなって思うときもあるかな。」

今回の作品はどのような作品ですか?

「ダンスを始めた頃、感覚的にただただ動きを作って並べていたということを、もう一回やってみたいなって思って。というのは、さっき振付家脳とかプロデューサー脳とか言ってましたけど、僕は客観的にものを見る能力ばかりずっと鍛えてきちゃった気がしてて。じゃあ、一番最初にダンサーとして身体を動かすことが楽しいと感じた、それこそ学生時代、砂連尾理+寺田みさこクラスでやった最初の5分くらいのシーンにもならない動きを作っていた力や熱量をもう一回取り戻したいっていうか、もう一回やってみたいと思って。今、住む場所も変わったし、ソロダンスを作り出して10年くらい経ったので、もう1回最初に戻ってみようかなって気持ちではいるんですけど。それは歌織さんのような感覚的に考える人の影響もすごいあって。」

ダンスを辞めようと思ったことはありますか?男性だと、30歳を境にダンスをやめる人が増えるっていうのをよく聞きます。

「僕は辞めようと思ったことはないんですよ。ただ、やっぱり30歳って節目としてはでかくて。それこそ30歳のときに、僕は京都を出て、出身地の東京に戻ったんですけど。それは3年間僕が主催していたKYOTO DANCE CREATIONが終わったっていうのもあるし、京都ってユートピアな感じがあって、このままここにいていいのだろうかって。それがちょうど30歳のタイミングで、本当にお金なくなって京都の家賃すら払えなくなったので、なんとか自分のやってきた経験をお金に変える方法を見つけなきゃってなって。ちょうどそのとき東京のカンパニーのオーディションに受かったこともあって東京30歳って言ったときに、お金稼がなきゃって思ったんですけど、自分がやってきたダンスをお金に変換するというのは、京都では出来ないって思ったんですよ。それは別に京都が悪いって意味じゃなくて、その方法が京都に10年住んでて見出せなかったんですよ。東京に戻って、ダンスを活かした仕事とか、ダンスをやってきたことが無駄にならない仕事を探した時に、友人の紹介で発達障害児の療育スタジオに出合って、働くようになりました。そこでの経験は今の僕にとってダンスだけでなく、生き方にまで影響を及ぼしてるんですけど、この話すると長いのでまた別の機会に」

コンテンポラリーダンスの批評に期待することってなんですか?

「批評って結構いろんな側面があると思ってて。つまり、この批評文を読んで、次もお客さんが見に行きたいって思う批評文を書く人もいるし、率直に「クソだ」って書く人もいるし。プロのダンス批評家としてやってる人って、一緒に育てようって意思がある文章を書くと思う。それは特定のダンサーを売り込もうとか、すげーよかったから次も来いみたいな嘘を書く詐欺商法でもなくて、批評家自体が一見さんで終わらないというか、その人が見たダンスが、その先にどうなっていくのかってことを示してくれる文章。今見たものに対して、未来の射程の広い文章が書ける人がいいなって思うんですよね。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「やっぱダンスって言葉は未だに馴染みないんですよね。「踊り」っていうとしっくりくることがあって。ダンスってちょっと敷居が高いっていうか。でも矛盾してるんですけど、ダンスって、敷居が高くてラボで作るものって思っているんだけど、一番自分が出せる場所っていうのもあって。僕は直感とか感情を出す前に論理でまとめる癖があるんですよ。ダンスはそれを一旦ぶちまけることができる場所で、それがなければストレスで死ぬって思う。実際に僕大学生のときに考えすぎて道でぶっ倒れたことがあって。なぜ生きるんだろうとか、そういうことを。それでこのままじゃちょっとやばいぞってなったときに、ダンスと出会って。それは即興のダンスだったから、何者でもなく自分を出せる場所としてダンスがあって。だから自分にとってのダンスというのは、自分が一番好き勝手できる場所かなって思ってます。」

出演者写真・大熊聡美

大熊聡美

クラシックバレエを杉山聡美に師事。お茶の水女子大学舞踊教育学コース卒業。大橋可也&ダンサーズ「ザ・ワールド(A)」「プロトコル・ オブ・ヒューマニティ」、Nibroll「イマジネーション・ レコード」などに出演。行定勲監督映画「ピンクとグレー」(矢内原美邦振付) に出演するなど、メディアにも活動の場を広げている。2017年よりBATIKに参加。

今回「ダンスの天地」に応募していただいた理由はなんですか?

「私いまバーでバイトしてるんですけど、毎年バイト先でクリスマス会をやってて、そこでダンスを踊ってくれって言われて。そこで去年の12月に踊ったやつが結構出来がいいなと思って。で、どっか出したいなと思った時に、facebookで応募を見つけたので出しました。」

普段はどのような活動をされていますか?

「去年からBATIKに入って、BATIKの作品を踊るのが中心です。あとは自分で作品を作りたいなという時があったら作るという感じです。」

Nibrollの作品にも出演されておりますね。

「「Nibrollは完全新作に出たのは去年が初めてですね。学生時代から付き合わせて頂いてて。もう一つ、大橋可也&ダンサーズっていうカンパニーがあって、そこも学生時代からちょこちょこ出させてもらってます。」

そもそもダンスを始めたきっかけは何ですか?

「ちっちゃいときからバレエをやっていたのがそもそもですね。田舎だからデパートの中に入っているスポーツジムのクラスにずっと通ってました。コナミにずっと通ってました、高校生まで。でも、それまでに教室は3回くらい代わってて。最初はよく分かんないビルに入っているよく分かんない先生がやっているやつで。次は地元のスゲー金持ちの人がやっている教室に移って。そこから、大阪にある法村友井バレエ団に杉山先生という方がいるんですけど、その方がコナミに教えにきていたので、最後はそのコナミに通ってました。」

高校卒業後は、お茶の水女子大学へ進学されたんですね。

「そうですね。お茶の水へ行った理由は、高校の頃に「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」をテレビで見て、こういうのやってみたいな、と思ったのがきっかけです。高校までは創作舞踊とかコンテは全くやってなかったんですけど、同じ法村友井バレエ団の本部の教室の子とかが、コンテの振付を受けているのを見てて、こっちの方が踊れそうって思ってました笑。それでコンテに興味はありました。」

お茶の水は大学院まで行かれたんですね。

「そうですね。」

大学院を卒業されて、そのあとすぐダンスの道へ進まれたのですか?

「いや、違いますね。大学生と大学院のときは、とにかく踊りたくて、色んなところに応募して、その時出会ったのが、BATIKやNibrollや大橋可也&ダンサーズで。その時は本当に「踊りたい!」という気持ちしか頭の中になくて。でも卒業して、一回就職したんですよ。大学院を卒業して、1年間ニートして、1年間就職して。就職してる時も、実は完全にダンスと縁を切ったわけではなくて、大橋さんの作品に出たりはしてたんですけど。でも結構1人でぼーっとしてて。片道5時間かけて、チャリをこいでどっか行ったり笑。で、またダンスに戻ってきました。出戻りです笑。」

ちなみにどういうお仕事をされてたんですか?

「ヨガのインストラクターしてました。たぶん心のどこかで、何かあったらダンスに戻ってこれるようにしてたんだと思います。だからちょっとダンスに近い仕事にしたんだと思います。」

今はちょうど出戻って1年目ということですよね。何故またダンスをしようと思ったんですか?

「まぁ、普通に社会に適応できなかったというのと、やっぱり、ダンスをやっていたときに、すごい大事にしていた感覚、例えば、リノを踏むときの足の裏の感じとか、指先の細かな感覚とか。そういうものって普通に生きてたらスゲーいらないものじゃないですか。でも私にとってはすごい大事なことで、そういう一番大事だったものが大事では無くなってしまうところに自分を置くのが嫌だと思って。それを大事にできるところに居たかったんです。」

BATIKに入られたのは何故ですか?

「BATIKがちょうどオーディションをやってたというのもあるんですけど、大学入る前にBATIKの『SHOKU』という作品を映像で見て、すごい影響を受けてました。で、大学4年生の時に神奈川芸術劇場でBATIKのWSがあって。そこで『SHOKU』を踊らせて頂く機会があって、自分に合ってるかもなと思いました。カンパニーに所属したのは、1人だと気持ちがどこかダンスとは別のとこにいってしまうと思って。つないでおいてくれるものが欲しかったというのもあります。」

個人の活動としては何かされておりますか?

「直近だと、先月2月に「北千住 BAP Night」という、深夜の1時から始発くらいまでずっと踊るイベントがあって、そこに作品を出品しました。」

今回の応募資料の中に、「振付は呪文、踊りは魔法」と書いてありましたが、それはどういう意味なのでしょうか。

「単純に自分が踊って、ダンスってそういうものだと思ったということです。」

失礼な言い方になってしまうんですけど、「振付は呪文、踊りは魔法」というのが、コンセプチュアルな意味で用いているのか、それとも本当に大熊さんがダンスをそのように捉えているのか、応募資料だけでは判断できなかった部分があって。今のお話だと、本当にダンスを「振付は呪文、踊りは魔法」として捉えているということでしょうか。

「そうですね。結構いままで関わってきた人の振付が影響してもいるんですけど。例えば、大橋可也さんの作品の作り方って、テキストがあって、そのテキストを大橋さんが振付にし、私たちダンサーが踊るっていうものなんです。そのテキストは、作品ごとによって、小説だったり、街を歩いて見えてきたものの文章、例えば「ここの歩道橋を渡ると漬物屋があって・・・」みたいな感じだったりするんですけど。それってすごい呪文っぽいって思って。で、大橋さんから貰った「振付」=呪文を練習して、魔法を発動させるのが「踊り」だと思うんです。でもその呪文も、人によって違くて、Nibrollの矢内原さんの場合は、めちゃくちゃ速く動け、って言われたりとか。同じことを何回も繰り返せって言われたりとか。それもすごく呪文っぽい。そんな感じです。」

今回は自作自演のソロ作品ですよね。

「振付はすでにあるので、それをやるだけなんですけど、自分で振付をして自分で踊るときって「これはやりづらいから、こうしちゃおう」ってズルができちゃうじゃないですか笑。それはダメダメダメって思う。踊りやすくしちゃうと、それは違うじゃないですか。だから、振付はなるべく守りたい。呪文だから。『BLEACH』って漫画知ってますか?そこに「詠唱破棄」っていう概念が出てくるんです。『BLEACH』の世界だとワザを発動するのに呪文が必要なんですけど、戦闘レベルの高い人が「詠唱破棄」って言うと、呪文を言わなくてもワザを発動できるんですよ。つまり呪文を省略できるんです。それはでも、そのレベルに達した人、詠唱破棄できる人にしかできないので、そのレベルに私はまだ達してないので、ちゃんと呪文を唱えないといけないんです。」

すごく分かりやすい笑。

「あと、学生の時とかは群舞の振付もやってたんですけど、今は自由に使える人がいないというのが、ソロになっちゃう一番大きい理由かも。同じ大学出身で、研究しててダンスは今あまりやっていない友達とかに、作品できたら見せて感想を聞いたりはしますけど、一緒に作品を作るダンサー仲間とかはいないかもしれない。」

今回の応募作品は「ダンスの天地」以降も継続していく予定ですか?

「今回の作品はしばらく深めたいなと思っているので、色んなところでやって、形にしていきたいです。今はバイト先のクリスマス会と「北千住 BAP Night」でやったのみですね。北千住の方は7分の作品だったんですけど、今度は20分以内なので、もうちょっと長くやろうかなって思っています。」

自分の作品をどのような人に見てもらいたいと思いますか?

「誰でもいいです。」

そもそもダンスを人に見てもらうのってどういうことでしょうか。

「私は日本語が苦手で、喋るのが上手くないから、踊ります。」

言葉の代わりってことですか?

「たぶん。相手とコミュニケーションが取れてるかどうかは分からないけど、踊っている間は言いたいことが言えてる感じ。普通に喋っていると、言っちゃいけないことってあるじゃないですか。そういうの分かんないですし、私。でも踊っている間って、そういうこと言われないから笑。見たあとに言われるかもしないけど笑。」

年をとるに連れて、大熊さんのダンス観で変わってきたことってありますか?

「ありますね。「待っててもこない」っていうのが分かった。踊ったり作品を作っていると、「これがやりたかった!」ってなる瞬間があるじゃないですか。昔は、それがたまたまやってくるのを待っている感じがあったけど、今は、それは待っててもこないものだし、それがくるためには日頃の積み重ねがないと、くるものもこないんだなっていうのが分かったところです。例えば、振付とかだと「振りが降りてくる」って言い方をよくするじゃないですか。降りてくることも実際にあるけど、でも待ってても降りてはこないから、そのための準備をするということですね。」

大熊さんにとって拠点ってどこですか?

「東京ですね。出身は関西ですけど、別に関西に帰ろうって思ったことはないです。」

大熊さんの生活の中でダンスってどのくらいの割合を占めてますか?

「割合は、単純にいうと、朝3時間働いて、その後バレエのクラスに行って、稽古場あればそのまま稽古行くし、なければバレエのクラスをもう1個受けたりとかして。で、夜は21:00-26:00までバーで働いているので。昼間は踊っている感じです。」

バレエのクラスはどこかの教室に通われているんですか?

「今はBATIKがARCHITANZからサポートを受けてて、ARCHITANZで開講されているバレエのクラスを受けれるので、ほぼ毎日受けてます。」

今後はどのような活動をしていくつもりですか?

「私、そんなに先が長くないので、とにかくいけるとこまで行こうと。私あの、40歳で死ぬらしいので。」

え、そうなんですか!?

「らしいんですよ。夜働いているバーのお客さんに手相見てもらったら「お前は40で死ぬ!」って言われたので。あ、そうなんだって笑。もちろん真に受けてるわけではないんですけど、40歳で死ぬってことにしたら色々やりやすいんだろうなって。ただ、ダンサー・振付家としてやっていく覚悟はまだなくて。学生時代は自分があまり踊れなかったというのも含めて、作品を作る方が好きだったけど、今は作家を名乗れるほど作ってもないし。踊れたらいいや、ぐらいです。踊りたいものがその時踊れたらいいかな、という感じ。振付家としてやっていきたい!みたいな、そんなすごい気合もないです。」

やってみたい企画や、こんなのあったら良いのにと思う企画ってありますか?

「色んなイベントや企画に結構手当たり次第出させて頂いているんですけど、意識だけ高い人が一杯だなって思う。語る前に踊れよっていう気持ちはすごいあって。ダンスの世界全体に言いたいのは、ちゃんと、踊ることを一番にしてほしいとうこと。アートとか言う前に、踊ってほしい。・・・全然企画の話ではないんですけど、ダンスの世界全体への希望として。」

大熊さんにとってダンスとは何ですか?

「何ですかね・・・。割と日本語の代わりです。うまく日本語を喋れないから踊っているところはあります。あと、アートじゃない。アートとか芸術は知らん。今のまんまだと、結構無くなっちゃいそうじゃないですか、ダンスが。無くなんないといいなぁと思うので、八百屋さんとかサラリーマンとか見てくれたらいいですね。夜バーで働いているから、サラリーマンのお客さんが多いんですけど、「アートとか俺にはわかんねえよ」って言う人がやっぱ多くて。そういう人って、ダンスを見る前は「アートとか分かんねえよ」って言うんですけど、見てくれたら意外と「あれってこうだろ」って感想とか言ってくれて。それが何の先入観もなく純粋だから、結構楽しいんですけど。普通に「お前の体がエロかった」とかそういうことも言うんですけど笑。それもそれで面白いじゃないですか。そういうダンスの意見として言っちゃいけないことも言ってくれるから、そういうのは楽しい。ダンスを見慣れてる人だとすごい、アーティスティックな意見を言ってくれて、それは「そっかぁ」ってなる。それはそれでいいんですけど。」

出演者写真・山﨑モエ

山﨑モエ

5才よりダンスを始め、上京後、コンテンポラリーダンスを学ぶ。龍美帆主宰NR6の国内外公演に参加。ソロやデュオで創作活動を行う。現在高知在住。ミュージシャンとのコラボや舞踏などの活動を通して、独自の身体表現を探る。

「ダンスの天地」に応募して頂いた動機は何ですか?

「いま高知でソロ活動をしているんですけど、近場の関西で活動できたらいいなと思っていて。それでとにかく踊れる場所をいろいろ探していて。神戸はコンテンポラリーダンスが盛んというイメージがあったので出たいと思い応募させてもらいました。」

山﨑さんは現在高知にお住まいですが、高知では普段どのような活動をされているんですか?

「高知では、いつも一人で練習してて、たまに高知のミュージシャンと小さなイベントでコラボしたり。あとは県外で作品を出したりとか。普段はゆっくりじっくり身体と向き合ったりしている感じですね。」

高知の中で同じコンテンポラリーダンスをしている知り合いなどはいらっしゃいますか?

「コンテンポラリーダンスの人にはあまり知り合えないですね。だから高知県内で自分の作品を出すよりも、県外で作品を出した方がやりたいことがやれますね。」

高知には、ダンサーが集う場所や機会はありますか?

「ないですね。高知の人が自分から発していく場所は少ないですね。」

元々のご出身はどちらですか?

「元々も高知です。小さい頃からずっと高知でダンスをやっていて。それで20歳頃に上京して、20代の頃は東京でダンスをしてました。普通にコンテンポラリーダンスの振付家の作品に出たり、一人でソロ活動をしてましたね。」

コンテンポラリーダンスを始めたのはいつからですか?

「上京してからなので、20歳ちょっとぐらいからですね。そもそも上京も、ちょっとダンスの勉強をしてこよう、色んなジャンルのダンスを勉強してこようと思ったからで、本当は半年くらいで帰ってくる予定だったんです。結局10年くらいいましたけど笑。」

高知に戻って来れられて、いま何年目ですか?

「4年目くらいですね。高知に戻ってきたのは、東京にいると、プロとしてとか、毎日踊らなきゃとか、月に何回も舞台に立たなきゃとか、海外行かなきゃとか、そういうことばかり意識してしまって。「自分が本当にやりたいこと」と「プロのダンサーとはこうあるべき」ってことが、いつの間にかすごいズレてて。気づいたら、全然やりたくないことに向かっているような気がして。まぁ周りに流されて行き詰まった感じですね。本当に踊りたい踊りを見失って。それで1年間ぐらい、ダンサー友達とかと一切会わずにずっと一人で引きこもって。1人で1年閉じこもってたら、やっと本来の自分が蘇った感じですね。それで「よし、高知に帰ろう」と思って帰って来ました。」

高知ではおもに一人で活動されているのですか?

「そうですね。ずっと一人で練習してますね。まあそんなにメリハリきいた生活しているわけではないんで、ぷら~っと家で踊ったり、ぬめ~と踊ってます。」

今は一人で稽古されているとおっしゃいましたが、自分の稽古を他人に見てもらうことはありますか?

「今はないですね。そういう存在がほしいですけどね。ただ、作品を出したときに、見てくれた人が意見を言ってくれるので、今はそこから考えていく感じですね。人からのアドバイスというよりは、その言葉を聞いて「いま自分はこう見えるのか」ということを頼りに、次につなげていく感じですね。」

東京ではカンパニーに所属されていたとプロフィールにありましたが、それを辞めて、ソロ活動に切り替えたのは理由があるのですか?

「カンパニー自体がしょっちゅう活動していたわけではないので、作品作るときに呼ばれたら行く感じでした。普段は、いろんな振付家のレッスン受けたり、WSに出たりしてました。あとはとにかく出る場が欲しかったので、クラブイベントに出たり。割と一人でずっと活動してました。」

普段、作品を作るときはどのように作られているのですか?

「今は昔とだいぶ変わってきてて。作り方が変化しているので難しいんですけど、今はイメージが強いですね。あるイメージをいろんな動き方でやってみるということをしていて。だから振付というよりも、ある言葉とかあるイメージを、感覚で動いたり、質感を探っていく感じです。今日はこの質感をずっと考えてみようとか、そこを重点的に考えてつなげていく感じです。今回出す「水のキオク」について話すと、水の質感で動くということ、つまり、水みたいにとか、水の中にいるように動くというエクササイズを自分の練習に入れていて、その動きがよく面白いねって言われるので、それをそのまま作品にしようと思いました。テーマとして一貫性もあるし、色んな捉え方ができるので、作る方も自由に作れると思っています。何年かかけて作り続けたいなと思っています。」

どういう人に作品を見てもらいたいですか?

「すごく自分に共感してくれる人、例えば、動きへの興味が自分と似てる人とか。それとは逆に、全然自分の作品を理解してくれなくて、なんかよく分かんないって思ってくれる人ですかね。極端な方が面白いと思います。そういう人たちに見てもらうと嬉しいなって思います。好き嫌いは別として、感覚として共感してくれる人と、全然分かんない人。」

山﨑さんは振付家・ダンサーのどちらですか?

「分からないですね。いつもぬるってしてるんで、キレイにカテゴライズできる人間じゃないんで笑。ただ、他人のダンスを見ても、この人はダンサーだとか振付家だとか、そういう区別はあまりしてないです。自分の中ではダンサーと振付家の区別ってそんなに重要じゃない気がしてます。」

最近、何かダンスの作品を見ましたか?

「YouTubeのダンス動画ばっかり見てて・・・。全然記憶にないですね。何を見ても作品がイメージに残るというよりは「動き」が好きなんですよ。動きが面白かったら、変な作品でも見てよかったって気持ちになるので。だから、誰のどんな作品かってあまり覚えてないんですよね。ちょっとした動きでも「これどうなってるの?」っていうのが好きで、きれいな動きよりも、不思議な動きの方が好きです。」

今のコンテンポラリーダンス界の状況はどう思われますか?

「そのことについてはあんまり考えたことないですね。基本、自分のことしか考えていないので。でも、今の状況が良くなっても悪くなっても、面白いものがある限りはいいんじゃないかなって。踊りたい人はどこでも踊ると思うし、ネットでもいくらでも自分の作品を載せれるし。わたし、基本的に引きこもりなんで、ダンスは部屋の中でもできるって気持ちでやってるんで。別に今の状態が良いとか悪いとか考えたことはないですね。」

今後どのような企画があればよいと思いますか?

「今回のような場がもっとあればいいなと思っています。この「ダンスの天地」はただのショーケースと違って、評価もしてもらえるし、言葉を貰えることもありがたいです。あと、映像作品のショーケースのようなものがあっても面白いと思いますね。いま、高知のいろんな変な場所でダンスの映像作品を作っていけたらいいなと思っていて。全くアナログな人間なので、スマホで撮るとかしか出来ないと思うんですけど、自然の光も面白いし、夜中に街頭の下でやるのも面白いかなと思っていて。それは単純に、そこに自分の動きが入ったらどうなるんだろうってことに興味があるだけなんですけど。」

今回はダンスの批評があるのですが、自分の作品が批評されることについてどう思いますか?

「そうですね。最近は批評のようなものがすごく欲しいと思っています。厳しい目で見てもらうことがすごいありがたいことなので。批評があると客観的にどう思われているのかが分かるので、例えば「こう見られているのなら、もっとこうしよう」って考えるようになると思います。」

山﨑さんはダンスで食べていこうとか、ダンスで生活していこうって思いますか?

「ダンスで生活した方が、身体にはいいなとは思いますけどね。仕事をしてから踊りに入っていくと、まず身体を戻さないといけないというのはありますよね。身体を戻さないと振付すら出来なかったりするから。」

「身体を戻す」というのは、生活とダンスのモードを切り替えるということですか?

「そういう精神的な話のことではなく、身体自体のことですね。骨が動かないとか、筋肉がこっちにいかないとか。それだけですね。気持ちとしては、仕事してても踊ってても変わらないので。」

仕事をしている時と踊ってる時で気持ちは変わらないんですか。

「変わらないです。私いまマッサージの仕事をしてるんですけど、マッサージ中もダンスっぽい動きしてみたりしてます笑。そもそもマッサージ自体が人の身体を考えることなので、そういう意味では仕事もダンスも変わらないですね。自分の身体のことも他人の身体のこともずっと考えながらやっているので。今の自分のダンスって、自分に語りかけるみたいというか、独り言みたいにずっと踊っているんで。私も若い時は、人に向かって何かを伝えるのが踊りだって考えてたんですけど、今は踊りを、自分の身体の中で遊ぶことのように思っているので。だから多分、身体に意識を向けている時は、踊っている時と同じような感じですね。」

昔と今で、そのようにダンス観が変化されたのは何か理由があるのですか?

「引きこもって一人で踊ってた時期がずっとあって、今もそうで、もう4年以上一人で練習してるので、そのせいだと思いますね。人前で踊ってもあまり意識が変わらないというか。むしろその方が外の空間をよく見えるようになって。自分が踊りで何かを発しても、自分の形が分かる。自分の中から何かが出ているのが、今の方がよく分かりますね。それが良いか悪いかは分からないですけど。」

普段の生活の中で、何%くらいをダンスに費やしておりますか?

「本当に生活にメリハリがないので、ここから仕事、ここからダンスっていう意識がないから、よく分からないというのが本音です。よく分からないですね笑。」

年齢を重ねるにつれて、身体やダンス観で変化はありますか?

「昔と今とでは同じ踊りをしていないので、あまり自覚ないです。ただ、今は自分の好きなようにダンスを踊れるので、とにかく省エネで踊ってますね。私は身体をよく傷めるんですけど、なるべく身体を傷めないように、踊りそのものが楽しようとしてるんじゃないかと思います。だから無駄なことはしないようにしてますね。普通のダンサーが必ずやってるようなトレーニングでも、自分に必要ないなって思ったらやらないですし。昔はみんなやってるから、このトレーニングは必ずやるとかありましたけど、今はないですね。」

山﨑さんにとって、拠点はどこですか?

「高知ですね。地元で創作というのが一番いいですね。田舎が好きで、もっと山奥へ行きたいぐらいです。刺激がほしくなくて。静かに余生を・・・。でも日本中行きたいなとは思いますね。古いものが好きなので、古いものがあるところに行って、踊りたいですね。廃墟とか、お寺とか、お墓とか、いいですよね。」

劇場で踊るよりも、そのような屋外で踊る方に興味があるのですか?

「劇場で踊るのは楽しいなとは思いますが、ただ自分の踊りに合ってるか合ってないかでいうと、合っていないと思うので。劇場やステージで作品を踊るときも、ソロ作品のときは、照明とかですごい狭い空間にしてもらうので。」

今後の活動の展望や目標はありますか?

「今はとにかく静かに作品を作るのが大事なんです。その一方で、だんだんと外に出て行く機会が増えているので、もっと大きいショーケースやコンペにも出してみたいですね。そういうのは今までは自分には必要ないと思っていたんですけど。評価を貰ったりとか、本気で褒めて欲しいですね。」

外に出ていこうと思うのは何か理由があるのですか?

「ずっと同じことをしててもきりが無いというか、飽きるので。そういう出て行く時期もあっていいかなって。いま気合いがちょっと入っているので、今のうちに笑。色々挑戦すると、きっと良いことあるから。」

山﨑さんにとってダンスとは何ですか?

「・・・・普通に日常的なものですね。日常です。今は、日常と非日常の区別がないので。東京で活動していたときは、日常と非日常の区別はあったんですけど。ダンスをするためにイヤイヤ働いてって意識が強かったので。今は、働いてても踊ってるような仕事なので。仕事自体も日常って感じがしないですね。」

本日はありがとうございました。

出演者写真・SickeHouse(シッケハウス)

SickeHouse(シッケハウス)

振付家・舞台監督の下村唯と、音楽家の仁井大志によるパフォーマンスユニット。観客との対話をそのまま作品に取り込む「ダンスコミュニケーション作品」を展開。ダンスの新たな出会いを求め、演劇祭や展示系アートフェスティバルを中心に活動。フィジカル・シニカル・シアトリカルなダンスを観客とともに立ち上げる。代表作は「嘘つきのトッカータ」「日本現代舞踊大学」など。近年は長編ダンス作品「亡命入門」のためのリサーチと、ショートピースの作品発表を行っている(右:下村唯、左:仁井大志)

「「ダンスの天地」に応募したきっかけを教えてください。

(下村)「「ダンスの天地」に応募する前に、いま、長編フルイヴニング作品「亡命入門」を作ろうと思っていて。それの作り方をいろいろ考えていたんですけど、長編作品を作るのに当たって、例えば三ヶ月まるまる使ってガーッと長編作品を作るのではなくて、一つ一つショートピース作品を作って、段階を踏んで、それらをもとに最終的に長編作品を作り上げていくってことをやってみようと思っていまして。2月の末に「亡命入門:壁ノ国」というショートピース作品を発表しました。で、また今年の1月に「ダンスの自明性を問ふ。」ってタイトルの「ダンスの天地」ってイベントがあることを知って。僕はもともとダンスっていうのを結構うがって見ているというか、僕はダンスを踊るためのダンス作品って基本的に好きではなくて、お客さんに楽しんでもらったり考えてもらったりしながらお客さんと一緒に舞台を作っていくことがすごく重要なことだと思っているので。「ダンスの自明性を問ふ。」って企画内容は、根本的に僕のスタイルにあっているのではないかと思って応募しました。」

今回上演する「亡命入門:夢の国」は、長編作品「亡命入門」の一部(ショートピース)ということですが、長編作品「亡命入門」の構想を教えてください。

(下村)「構想自体は1年前くらい前から考えていています。長編作品を作ったこと無かったので、まぁ30歳を過ぎたしいっちょ作るか、という感じで。構想を練るきっかけとしては、社会的な問題を、どうやったらお客さんとダンスで共有できるのかということを考えています。今回はいろんな角度から社会の問題を持っていけるようなタイトル=「亡命入門」が思いついたので、そのタイトルをベースにして、どういうふうに自分達がお客さんとダンスを使って関わっていけるのかを考えようと思っています。「亡命入門」ってタイトルである以上、「どこからどこへ行くのか」というのが作品コンセプトの大きな一つの要素になっています。「どこからどこへ行くのか」「そこからまたどこへ行くのか」っていう、ある種、漂流していくような、逃げていくような、逆に追い求めていくような一つの繋がりの中のほんのワンストーリーみたいなイメージです。」

SickeHouseの近年の主な活動内容や経歴を教えてください。

(下村)「結成はいつだっけ?」

(仁井)「2014年ですね。当時、下村君が神戸に住んでいて、それに合わせて僕も神戸へ引っ越したのが2014年なので。2人での継続的な活動はそこからです。」

(下村)「SickeHouse結成以前に、僕と仁井君でやっていたのは「嘘つきのトッカータ」って作品です。これは淡路島の廃校になった旧野島小学校って所でやりました。当時、淡路島でアートと農業で地域活性化をするプロジェクトっていうのを大手人材派遣会社がやっていたんですよ。そこで仁井君と知り合って。そのプロジェクトの中でアートの展覧会を主催することになって、僕がこういうことがしたくて、そこに音楽が欲しいってなったときに、ちょうど仁井君がいて音楽をお願いした感じです。それが一番最初で、そこから一旦分かれて、また2014年から一緒にやってる感じですね。」

(仁井)「下村君に僕の音楽のライブに出てもらうときは、2人で同じ作品を作っているというよりは、2人とも別々のことをやっていると思うんですよ。別々なんだけど、結果同じものとしてあるみたいな感じですかね。」

(下村)「僕が仁井君のライブに出始めた頃から、僕が執拗に「客をいじる」ってことをやり始めて。」

(仁井)「音楽のライブにダンサーが出てくるんでアウェイなわけですよ。じゃあ、どうするかってなって、客いじりに活路を見出すっていう。」

(下村)「上裸になって抱きつくとか、客が飲んでいる飲み物を飲みに行ったりとか。あと、逆立ちしながらタバコを吸おうとして客に火を付けてもらおうとする。そういうふうに客いじりするのは、仁井君が音を出してみんなを楽しませていくのと同様に、僕もダンスを使ってみんなを上げていくっていう感じですかね。」

(仁井)「1つの作品を作るというよりは「関係性」で遊ぶみたいな。僕と下村君の関係性であったり、下村君とお客さんの関係性とかで遊んでいる感じですかね、茶化すくらいのつもりで。」

(下村)「それで仁井君といろいろ一緒にやって、SickeHouseを立ち上げて。これも、仁井君と一緒に住んでいた家が、湿気くさかったんでSickeHouseって言い出して。で、2人で何かをやるときにはSickeHouseプレゼンツって言っていたら、いつの間にか団体名になるっていう。」

(仁井)「そうね。SickeHouseはパフォーマンスチームであったり、イベントのプロデュースチームであったり。2人が何かをやるのに名前がいるってなって、SickeHouseにしている感じです。」

お二人がずっと一緒に活動している理由は何ですか?

(下村)「僕は根本的に仁井君の音が好きだってことがまずあって。昔はそうでもなかったんだけど、ここ2年くらいでめちゃくちゃ僕の要望を拾ってくれて、それをさらに膨らませてくるようになった。最初はすごい退廃的だったんですよ、精神的に。ちょっと皮肉っぽいというか。最近は皮肉っぽさはどんどん無くなって、洗練されて綺麗な音になっていっている。ガサツさがどんどん無くなっていって。」

(仁井)「最初はそうだったってこと?」

(下村)「だって最初キーボード壊してたじゃん。バッキバキに壊してゴミ箱にバサッって。」

(仁井)「それは当時の自分が考えた最強の演出だったんですけどね。コレはいいぞ!って。今思うとイタいなって思うけど。」

(下村)「あと、2人で活動している理由としては、ダンスと音楽ってすごく密接で、切っても切り離せなくて。作品を作るのに当たっては、音楽って絶対誰しもが悩むし考えるし、失敗もしていくような関わりだと思うんですよ。そして僕は、既成の音を使うってことに神経質になる。作られた音が持っている力が、自分の作品にどうしても交わらない時がある。逆に皮肉的になるんですよ。「音楽ではこう言ってるけども」って視点が入っちゃう。その視点が仁井くんの音には入らない。既成の曲を使っているとうがった印象で見てしまうので、それがないってことは、僕はすごい助かっている。作品に対してストレートに音楽が関わってくるというのは、ダンスにとって健全な関わり方だなって。」

SickeHouseでは、作品を作る時は2人で一緒に作っているんですか?

「(下村)「作品を作るときに、上手くいくときはポンポンとアイデアが出てくるんだけど、何も思いつかない時や、自分の頭の中に構想やイメージがあっても、いざダンサーを使ってやるってなったときに、全然面白くないっていう時があるんですよ。それを今までは騙し騙しやってたんですよ。自分が持っているスキルでなんとかごまかすみたいなことをやっていたんだけど、「亡命入門」に取り掛かってから、それを仁井君がけっこう質してくれた。「亡命入門」の「亡命」ってどういうこと?とか、「亡命入門」の中でやりたいことって何なの?とか聞いてくれて。一人で考えているとだんだんブレていくんですよ。それをごまかしきれなくなった時に、仁井君みたいな存在がいてくれるとすごく助かる。で、僕はダンスで「亡命入門」の世界観を作るし、彼は音楽でその世界観を作る。今までは僕から仁井君に音楽のオファーをしていたんだけど、最近はその関係ってどうなの?ってなって、どんどん仁井君から歩み寄ってくれる。」

(仁井)「僕も下村君と何回も一緒にやっていると、分からないけど分からないなりの「立て方」みたいなものが分かってきて。それは下村君の作品の立て方かもしれないけれど。それで下村君がブレてるなって感じたときに「普段の下村君だったらそこに気をつけているはずだぞ」ってことを伝えているだけですね。」

作った作品をどんな人に見せたいですか?

(下村)「僕は一貫してダンスを知らない人です。そっちの方が面白いんじゃないかと。今のコンテンポラリーダンスの客って、それこそダンスの自明性を求めてくる人の方が多い気がしていて。ダンサーや振付家が、踊っている時、作っている時に何を感じているのかではなくて、見ている人が何を思うのかに興味がある。初めて劇場に入って、作品を見て、劇場を出たときに、何か世界が変わって見える―例えばキラキラ輝いて見えるとか、この世の中って本当に腐ってるなって思ったりとか―それくらいに風景が変わるような体験を一番求めているんじゃないかって思うんですよ。」

ご自身の経験とともにダンス観はどのように変わっていっていますか?

(下村)「僕は他の振付家の作品に出演をすることが多いんです。で、そこからたくさん持って帰ってくる。だから僕は他の作品に関われば関わるほど、自分自身が変わっている感覚がある。作品の根本に一番影響しているのは維新派の思想です。これは見ればわかると思います。最近だとセレノグラフィカさんの作品に関わったことで、僕の作品は結構変わったなって思う。例えば、今回の「亡命入門:夢ノ国」では、初めてダンス作品で「愛」について考えたシーンを入れるんです。そういう気持ちになったのは今回が初めて。それはセレノグラフィカの隅地茉歩さんと阿比留修一さんがずっとデュオをやり続けていていく中で、ふんわりとした言葉では言えない何かっていう関係性があって、それがすごく愛に近いような気がして。それにすごい感化されてしまいました。自分の内発的なものをやるっていうよりも、エッセンスをヨソから貰って、それを「自分ならどうするか」って広げていく感じ。」

影響をうけたアーティストの方はいますか?

(下村)「一番影響を受けたのはマーヴィン・ゲイ。あとは、キャット・スティーヴィンス。」

(仁井)「本当に?ちゃんと答えたほうがいいよ。」

(下村)「いや、影響は受けますよ、誰からでも。面白い身体の動かし方は目黑大路さんでしょ。あとは山本和馬でしょ。維新派でしょ。黒沢美香でしょ。ヤザキタケシでしょ。北村成美でしょ。セレノグラフィカでしょ。仁井君でしょ。大きく言うと野田秀樹、永井愛も。あとモンゴルズの増田雄にはかなり影響を受けてます。」

影響を受けた人々に共通していることってありますか?

(下村)「んー、なんだろう。観客をしっかり見ていながら、好きなことを好きなだけやってる感じがあるかな。」

舞台監督の経験は、作品作りに役立っていますか?

(下村)「もちろん役立っていますよ。使う頭の部分が全然違うんですよ。何ができて何ができないかを、自分で判断できるのは強いですよ。小屋の人に突拍子も無いことも言わないし。かといって、現場に入ってリクエストを出して「無理だね」と言われた時にこっちから反論できる。舞台監督も振付家も、見ている目線は違えど作品を見ていることは一緒だから。まだできてはいないけれど、舞台監督の目と、観客の目と、演出家の目で見ることが出来る、目の切り替えができると最強になれると思うんだよね。」

拠点についてはどう考えていますか?

(下村)「どこでやってもほとんど一緒だと思うんですよね。どこに住みたいかってことだと思う。そんなにダンスのコミュニティってしばり強いか?って思うし。土地柄ってものはあるかもしれないけど。拠点を置くってことは、そこの土地の恩恵を受けるかどうかってこと。今はDANCE BOXの舞台スタッフとして働いているので、その身の上で言ったら恵まれてると思います。拠点なんか関係ないって言ったらスタッフから怒られそう。 いま関西に拠点を置いているのは、実家が近くて、支援してくれる人がいるから。DANCE BOXもそうだし、実家もそうだし、見に来てくれる友達も多いし。応援してくれている人が多いから拠点になっているだけかもしれない。だから、海外や東京に移住したとしても、拠点は関西かもしれない。」

生活の中に、ダンスはどれくらいありますか?

(下村)「ありがたいことに全てですね。DANCE BOXで舞台監督しているし、実際にダンスもしているし、ダンスで彼女作ったし、ありがたいですね。バイトしてないし。何でもかんでもダンスにつながるとは思わないけど。」

下村さんはこの4月から東京へ引っ越すとお聞きしましたが、それは東京へ拠点を移すということでしょうか。

(下村)「拠点の意識はないですね。東京でも、踊って作って、今のダンスの関わり方をもっとブラッシュアップして、ダンスと密に関わる部分をもっと大切にしていきたい。ダンスを踊ることもそうだけど、作品を育てていくことで海外での上演につなげていくとか、そういうことをできるようになりたい。そういう機会のあるところに積極的に足を運びたい。消費されるのではなくて、観客との関係の中で遊びが生まれてくるようなダンスを続けていきたい。」

それはダンスで食べていくことにつながりますか?

(下村)「昔はダンスで食べていきたいって思っていたけど、実際いまダンスに関わることで食べていけてるしな・・・。別にバイトもしていないし。ダンスを踊ることだけで食べていくなら、ショービジネスの方に入っていかないといけないし、それをしたくなかったら何か考えるしかない。それで僕は舞台スタッフをしています。そのおかげでいろんな人の作品を見ることもできるし。まぁ、これはダンスを「踊ることや作ることだけをダンスとしない」って前提がありますけどね。」

あなたにとってダンスとは何ですか?

(仁井)「考えたこと一回もないわ。ここでいうダンスってコンテンポラリーダンスでしょ?よく分かんないです。下村君のことは好きだけど。ここに関してはコンテンポラリーダンスが嫌いでも下村君が好きだから、僕はやりますよってだけ。これがダンスの自明性ですよ。ダンスなんてどうでも良いけどやる。これは自明性を問われていますよ。説明できていないし。で、下村君は?」

(下村)「うーん、なんだろうな。・・・飽きないしな。・・・遊びです、これは。職業じゃない。遊びですね。」

出演者写真・原和代

原和代

富山県生まれ、大阪在住。グループでの活動を経て、 これまでに自身の作品を東京・大阪・仙台・ソウルなどで発表。『un face』にて2015年Seoul Choreography Festivalファイナリスト。JCDN主催「踊りに行くぜ! !Ⅱvol.5」Bプログラム選出。 1996年以降演劇作品の振付を多数手掛け、近年では劇作家との 協働作業を積極的に行う。 神戸学院大学人文学部芸術文化コース非常勤講師。

今回「ダンスの天地」へ応募して頂いたきっかけは何でしょうか。

「もともと「ダンスの天地」とは関係なく、今年の秋ぐらいに竹ち代さんと高瀬さんの二人で何かしらやりたいなと思っていて。2015年にお二人と初めて『un face』という作品を作って、そこから時間が空いているので、また二人と一緒に何かやりたいなと。そしたら「ダンスの天地vol.1」がちょうど秋ぐらいにあったので、それで応募しました。それと、私が今年の3月と5月に関東で踊る機会があって、それは昨年作った『a frame』(さなぎダンス#11にて初演)という高瀬さんとのデュオの作品をソロにしたものを私が踊ったんですけど、それは結構真面目に作ったもので、何かもうちょっと楽しいものというか、見た目面白いものをやりたいなって。」

今回の上演作品『呼び合う声、朝と夜。』に出演されるダンサーの高瀬瑶子さんと竹ち代毬也さんとは、いつからのお付き合いですか。

「竹ち代さんとは長くてもう20年以上ですね。2000年前後に「ENTEN」っていうグループに参加していて、当初バンドとパフォーマンスが合わさった集団だったのですが、竹ち代さんはそこではダンスパートのリーダー的存在でした。竹ちゃんの他にダンサーの佐藤健大郎君、池端美紀ちゃん、現在は富山で活動中の峠佑樹君や、花嵐の古川遠さん他、音楽の舩橋陽さん、束ねていたのはパフォーマーでデザイナーの吉岡(魚谷)彩会さんで、結構大所帯でした。今はないですけど扇町ミュージアムスクエアという劇場でも公演しました。知らないか。通称OMSって言ってね、閉館間際にダンスの公演がちょこちょこありました。あと、アイホールでも2作品単独公演があって。ちょうど砂連尾理さんと寺田みさこさんがデュオで公演されていたり、割とアイホールでもダンスの企画をされていた時期ですね。 高瀬さんとは出会って4年程ですけど、高瀬さんが東京から関西に越していらした時に、私が所属しているバレエスタジオに彼女がレッスンでいらっしゃって、そこで出会って。綺麗やし、踊れるし、話もイケるって思って。それで2015年にメイシアターのDecision Pointsというダンスのショーケースでやらせてもらえることが決まって、デュオの作品を作ろうって思って誰にしようか考えていた時に、竹ち代さんは信頼のおける人やし、高瀬さんは頼れるからお願いした感じですね。私の頼れる人を引っ張ってきたらこの二人だった!っていう。 実際にやってみると、二人とも互いに面白がっていて、それは自分でセッティングしておいてアレなんですけど意外だなって。で竹ち代さんと高瀬さんは、なんか似ているなとも思ったんですよ。自分自身への冷静さというか、ある種の冷ややかさみたいなものが近い感じがして。それはいい誤算でしたね。」

そのお二人の特徴というのは、今回の上演作品にも繋がっていますか。

「そうですね。できたらもうちょっと二人の特徴が色濃く出るようにしたいなとは思っていて。2015年に『un face』を作った時は、私のナビに二人が沿ってもらうような感じだったんですけど、今回は既にお互いのことを知っているので、もうちょっと二人の言葉みたいなものが出てくるといいなと思っています。」

原さんがダンスを始めたきっかけは何ですか。

「子供の頃に始めたクラシックバレエです。それも宝塚歌劇団受験のために始めたので、バレエを始めるにしては遅い小学6年生くらいから始めたんですけど。でも結局、宝塚の受験を落ちて。以前『月刊デビュー』っていうオーディション情報誌があったんですけど、グラビア、テレビ、歌手、舞台とかのオーディション情報が載ってて、東京がほとんどで、関西は2ページくらいしかない。そこにアイホールプロデュースの演劇公演のオーディション情報が載ってたんです。で、宝塚も落ちちゃったし、気持ちがぽっかり空いちゃったんで応募したら、そのオーディションに通って出演できたんですね。竹内銃一郎さんの『みず色の空、そら色の水』で1996年でした。で、その作品で共演した劇団鉛乃文檎の武田操美さんに「今度の芝居でダンスあるねん。バレエやってるならダンスシーン作って。」って感じで声をかけてもらって。演劇での振付はそこからですね。 それから、大学に入った時に竹ち代さんとお会いしたんです。大学の構内に竹ちゃんが白塗りをして森の中に佇んで、パフォーマー募集って書いてあるポスターが貼ってあって笑。私はなんか知らんけど電話してしまったんです。で、いついつ京都で稽古しているんで来てくださいって言ってもらって。で行ってみたら、既に色々予定が決まっていて、ファッションショーやライブ、アイホールでの公演も決まっていて、そこからレールに乗ってやり出していった感じですかね。その後「ポポルヴフ」というENTENにも参加されていた徳毛洋子さんのグループにも並行して参加して、2007,8年くらいから自分の作品を作り始めました。」

『呼び合う声、朝と夜。』のリハーサルと並行して、現在されている活動はありますか。

「先月は劇団太陽族の『Sumako』公演がアイホールであって、その振付をしていました。それと、今月島根で上演されるPlant Mの樋口ミユさんの作品『凛然グッドバイ』の振付に雲南へ行きます。それは2011年に解散した劇団Ugly ducklingの解散公演が初演で、今回は島根の現地の役者さんが出演される公演です。」

演劇公演の振付が多いですね。

「そうなんです。演劇の人からは「この人ダンスの人だから」って言われて、ダンスの人からは「この人演劇の人だから」って言われてどこに行ってもよそ者だなって笑。本当に演劇の振付ばかりやってきました。数えてみたら50弱作品がありました。演劇の振付を始めた最初の頃は「芝居のこのシーンをこの曲で踊るからその振付をして」って演出家に言われて、その通りにやるみたいな感じだったんですけど、2010年以降、極東退屈道場の林慎一郎さんと作業するようになってからは、私も演出面関わりながら作品を作るということが多くなってきてますね。」

原さんにとって、役者の方とダンスを作っていくことと、ダンサーとダンスを作っていくことには違いはありますか。

「全然違いました。同じ人間相手なら同じはずと思ってましたし、今もそう思ってるんですが。BGM的なダンスシーンの時は体のスキルを見定めれば大丈夫です。ですが、演出的に関わって作業するとなると、役者さんのダンスの経験値、例えばダンス作品にも出てるとか、振付家と仕事したことがある、何らかのダンスをやっているとか、そういった差は大きいです。こちらが無意識に求めるダンスの文脈のようなものがきっとあって、それらをすぐに共有するのは難しい場合が多いですね。ダンサーとはやはり早いです。例えば、役者さんにエチュード的に動きを求めるとするじゃないですか。即興で動いてみてって。で、動いてくださる回路というのが、やっぱり発語ありきだったりするのか、ゼスチャーとかセリフに当て振りとか。もちろんダンス的に動ける、踊って見せられる役者さんもいらっしゃいます。でも、ずっと演劇の中でダンスを作ってきて、これでダンスを作っている気になったらマズいと思ったんです。それで、ダンス作品を作ろうと改めて思って、2015年に竹ち代さんと高瀬さんにでてもらって『un face』というダンス作品を作ったんですね。そしたらすごい楽だったんですよ。外国から日本に帰ってきた時の安堵感みたいな笑。私が1を言ったら二人が10動いてくれて。だから改めて、役者とダンサーに振付けるのって全然違うって思いましたね。」

今回上演される『呼び合う声、朝と夜。』は、どんな作品になりそうですか。

「まずタイトルにある「声」をモチーフに作ろうと思っています。実際に二人の声を舞台上で聞かせるかはわかりませんが、体固有の声、声が届くことは距離なのか時間なのか。今いるここと地球の裏側では、同時でも時差があって、でも同じことを思っている、というような。竹ち代さんと高瀬さんの丁々発止のやりとりが作品のリズムとなって展開されればいいなあと考えています。」

今日が『呼び合う声、朝と夜。』の初リハーサルだったとお聞きしました。

「そうですね。現段階で割と構成を作った状態で、二人に進行表を渡して、とりあえずそれをなぞってみるということをやってみました。自分の作品のリハーサルに入る前って、すごく緊張するんですよ。お腹痛くなっちゃう笑。今日の初リハーサルでも、一昨日くらいから寝る前に「あ~もうヤダ!」ってなってました笑。」

作品を作るときは、いつも先に進行表などの構成を決めてから作っていくのですか。

「前回の『un face』はそうではなくて、冒頭のシーンだけイメージがあったので、そこをまず重点的に作って試して、そこから後ろを作っていった感じです。でも冒頭のシーン以降、作品をダンス的に展開させるというのがよく出来なかったというのが前回の課題としてあって。だから今回は、お客さんの目にも飽きさせず展開させるということにトライしたい。20分なら20分の中で完結させて、一つの品物として仕上げるようになりたいなと。それと今回は、初めから終わりまでのイメージの断片はハッキリあるので、それを竹ち代さんと高瀬さんのお二人には試してもらっています。」

そのイメージの断片というのは、原さんの頭の中では映像として浮かんでいる?

「映像ですね。二人がKAVCシアターの舞台で動いている様子がありますね。ココで動いて、ココで明かりが入って、っていうのは映像としてありますね。・・・でもコレ危ないなって思ってて。」

危ない?

「頭の中の映像にダンサーを当てはめていこうという考えを取っ払わないと。やっぱり目の前で面白いことが起きるのを見たいというのが肝心だと思うので。」

実際に振付する際は、原さんの頭に浮かんだイメージの断片を、ダンサーに振り写しするんですか。

「実際に私が踊ってみてどうこうするというのはあまりないです。具体的に振付けする部分もありますが、作り初めはもっとざっくりですね。「こんなテンポでこんなことがしたいんです、お願いしますっ!」ってダンサーに言う感じ笑。実際、ダンサーに動いてもらって、そこで初めて分かることもあるので。それで出てきた動きを写し鏡として、「私は本当はこういうことがしたいんだ」とか「これは違う」とかって決めますね。 事前に頂いた質問項目に「あなたにとって、ダンスを人に見てもらうのはどういうことですか?」というのがありましたが、この質問面白いなって。他人の目だったり、他人の身体っていうのは、結局写し鏡ですね。自分自身が今どういう状態だったり、何を考えているのかって、自分が一番分かってないって思ってて。他人に喋ってみて初めて「ああ、私はこう思ってたんだ」って気がつくというか。」

なぜ今回、改めて新作を作ろうと思ったのですか。

「今年の3月に上演した『a frame』のソロは、結構ストイックに作ったつもりだったんです。あわよくば次につながったらいいなと単純に思って出場した5月のコンペは何にも引っかからなくて。で、そのコンペで他の方の作品もいくつか見てきたんですけど、賞に残った作品より、引っかかってない作品の方に面白いものがたくさんあるなって思った瞬間があって。その時に吹っ切れて、なんか、じゃあもういいわって。そうしたら今回の作品のイメージがばーっと浮かんできました。次のためにとか、評価されたいとか考えるとダメですね。今回は、「こういう作品をやりたい」という思いが応募のときにあったので。そうしたら、(このダンスの天地に)通ったので。」

普段はどれくらいダンスのことを考えてますか。

「普段?仮に私の心の中に天使と悪魔がいて、天使の立場だったら、「そりゃ普段の時間は全て考えてますよ」って言いますけどね笑。でも、それも嘘ではないですよね。今こうしてインタビューで山本さんと喋ってますけど、山本さんの佇まいが面白いな~って何となく引っかかって、それがある時ダンスに何らかの形で出てくるのは有り得ることだし。それとか、ここから帰る時に階段から転げ落ちて、頭打って、星がとんで、その時に見えた何かがダンスになるかもしれないし笑。こういう言い方したら、全部ダンスですけどね。」

いま一番分からないことは何ですか。

「自分の身体のことですけど、肩ですね。肩の位置が未だにつかめません。私の日常的なトレーニングがバレエなので、それをやりながら考えてるんですけど。自分の身体ってまだまだ分からなくて、肩とか、肩と腰の関係が難しい。バーを持った最初のときに、まっすぐってどこだろう、肩ってどこにあればいいんだろう?って。そんなことを考えながら地味に体動かすのが好きです。でも、昔はこんなに身体のこと考えてなかったですね。単純に、次、誰と踊るとか、どこに呼ばれたとか、そんなことばっか考えてました。」

それだけ自分の身体を意識するようになったってことですか?

「そうですね。怪我も沢山したし。怪我をしたら身体に向き合わざるを得ないじゃないですか。私のまわりでは、23,4歳くらいとか30歳前後や37,8くらいで一旦がっつり怪我する人が多くて、私もそうでした。徐々に劣化する身体と気持ちがアンバランスになって怪我をしてしまうタイミングなのか、厄年的なものですかね笑」

年齢を重ねるにつれて、ご自身の中で変わってきたダンス観はありますか?

「この頃特にですけど、目の前の相手、例えば舞台なら、漠然とお客さん「みんな」じゃなくて、目の前の「あなた」と私だけみたいな、そういう狭い中でのやりとりが一番強くて説得力もあるし、その人だけが持つ、ごく私的な動機に一番気持ちが動かされるなって思うようになってきました。今思えばですけど、むかしは人前で踊ってても、とりあえず、「みんな」の方を向いて踊ればいいと思っていた。それこそ、評価されたいとは思っていたけど、誰に何を評価されたいのかはぼんやりしている感じ。自分の向かいたい対象が自分で分かってなくて。何になりたいか分からないけど、資格だけ取りたい人みたいな笑。昔はもっと広い目で見なきゃいけないとか、ダンスとは何かを考えないといけないって思ってたんです。でもそれでやってきても、自分自身満足しないし、何も他人に伝わらないし。それなら、目の前のことだけをするしかないなって思って。私が26歳の時に父親が急に亡くなったんですね。で、まぁポカーンとするわけですよ、親が急に死んで、空虚感というか。そういう時期があったんです。その時ちょうど、当時参加していた「ポポルヴフ」での新作のリハーサルで、この時は自分のその空虚感に対する穴埋めというか、主宰の徳毛さんとのやりとりから、そのアクションを欲する動きが自分の中から出てきて、ソロの作品になりました。だから、自分の中で動機が具体的になると、すぅーっと届くというか、通じるというか。この時作ったのは『マチルダ』という作品で、その後いろんな場所で沢山上演の機会をいただきました。やっぱ、心底やろうと思ってないことをやることが一番良くない。一番それが罪悪だと思って。人も巻き込むし、お金も時間もかかるし。その見極めは注意深くしようって思ってます。」

これからの活動のビジョンや展望はありますか?

「私の動く動機はおそらく好奇心なんだと思います。都度、知ってみたいことを知りたいです。それが例えば、公演で違う土地や海外に行くことだったり、知らない人と出会うことで広がっていくと面白いなって思います。ダンスを理由に、知らないことを知っていける。あと、それとは全然関係ないんですけど、今、教職免許を取りたいなと思っていて。別に先生になるかはわからないんですが、取るなら国語かなと。中、高校時代の国語の先生とは大人になっても交流があって、そのことが影響しているかもしれないです。今はバレエスタジオでバレエを教えたり、大学の授業で学生と踊りを作ったり、高校生や大人たち相手にダンスのWSをしたりと、人前に立って何かをするって機会はあるんですけど、人に教えるってことをちゃんと教わってみたいなと思ってるんです。やっぱり人が思考したりするのって言葉が土台なのかなと。体を伴った言葉って何なんだろうって考えます。大人にバレエを教えていても、言葉ありきだと思うことが多いです。単純に「爪先を伸ばして」って言っても中々すぐには出来ないけど、例えば、「爪先をシャーペンの芯みたいにして」って言ったらみんなピーンっ!てなる笑。子供を見ていても、持っている言葉が多い子の方が、自分の気持ちを表明できて安定しているような気がします。あと、教職免許取るためには、それに向けて本読んだりレポート書いたりしなきゃいけないじゃないですか。そういう「枷」もいいですよね。以前札幌で「踊りに行くぜ!!Ⅱ」Bプロの滞在制作をやらせて頂いたときに、林慎一郎さんに作品の為のテキストを書いて頂いたんです。そしたら林さんから、事前に色々と擦り合わせるために「これ読んでください」って、林さんの過去戯曲や太田省吾、イヨネスコ、ベケットなどの戯曲をドンって渡されて笑。それらをお腹が痛くなるくらい読んで笑。まぁそういう枷ですよね。読んだぞって後で言える。そういうのは面白いですよね。」

出演者写真・...1[アマリイチ]

出演者写真・...1[アマリイチ]

...1[アマリイチ ]

2015年夏に結成した斉藤綾子と益田さちによるダンスユニット。
あらゆる物事は「区切らないと余りが出ない」ことから命名。余った「1」という数字が限りなく範囲のわからない概念であることにも惹かれている。
2016年2月29日(閏日)に自主公演『…1[アマリイチ]』でデビュー。
2018年5月に新作「punk・tuate[パンク・チュエイト]」を京都芸術センターCo-pragramカテゴリーDで発表。

...1[アマリイチ]を結成したきっかけは何ですか?

斉藤「私と益田さんが出会ったきっかけは、『京都の暑い夏』で私が受講していたWSで彼女は通訳をしていました。WSの最後にみんなで写真を撮ったんですけど、その写真がSNSでタグ付けされていたのを私のバイトの先輩が見て「なんでマッスー知ってんの?」と。よく聞いたら益田さんの昔のバイトの先輩が、今の私のバイトの先輩だった(笑)。それでみんなで一回飲みましょうってなって、一緒に呑んで、それから舞台を観に行ったり、呑んだりする関係が半年間続いて。で、2015年の夏に、「二人で公演しますか」ってなったんです。その日は、天満で昼の2時くらいから2人で呑んでたんですけど(笑)。それで…1[アマリイチ]を立ち上げました。名前の由来としては、2月くらいに公演しようとなって、そしたら2016年の2月は閏年で29日がある年だったので、29日がいいよねってなって、余った日=…1になりました。」

では...1[アマリイチ]としては2016年2月29日から活動をしているってことですね。

斉藤「そうですね。その次にやった活動はちょっと間があいて、今年の5月に京都芸術センターで『punk・tuate[パンク・チュエイト]』という公演をしました。」

これからの活動の計画はありますか?

斉藤「暫く何かはやっていくんだろうなって気はあるんだけど、どうやっていこうかまでは考えてないですね。ただ、2人で色々と話していると、いつも最終的に辿り着くことがあって、それはやりたいことなんだと思ってます。」

辿り着くことというのは?

斉藤「ダンスと違うことを喋っていても、ダンス以前か以後か、ダンスの内側か外側かって話になっちゃうというか、そこに結局話が辿り着く。だからそういうことを色んな方法で試していきたいかなって。」
益田「私は、それが2人の活動であろうがなかろうが、そういう思考はある気がします。ダンスって何だろうとか、ダンスとダンス以外とか、自分の体の境界線とか意識していて、それを作品として2人で作っていけることが私にとっては大きくて。続けていきたいとは思ってる。」
斉藤「今回も『ダンスの天地』への応募文章作っている時もずっとそのことを喋っていて、前回公演と同じこと書いてるなって(笑)。でも作品の見た目の印象はガラッと変わっていると思います。」

ダンスに対する興味というはずっと変わらないけど、表現の方法が公演によって変わってきているということでしょうか?

斉藤「そうですね。興味関心あることはいつも同じですね。そこへ色んな角度から行けると思うので、前とは違う道から行けたらいいかなって思います。」
益田「綾子ちゃんが最近ハマっている山みたいに?」
斉藤「そうだね。」

山、登ってるんですか?

斉藤「はい。最近は山に夢中なんです。わたし箕面市出身で、昔はよく箕面の山の滝まで登ってたんです。ああ、わたし山好きだったんだぁって最近また思って。」

益田さんは何かハマっていることありますか?

益田「ハマっていること?神社とかスピリチュアルなスポットとか自然とか好きだし行くけど、なんかみんながいうほど感動できない自分がいるっていう。すごい寂しいなって思ってます(笑)。それよりは都会とかの方がハマる場所も多いかもしれない。」
斉藤「二人ともぜんぜん合わないよね。好きなものとかも。」
益田「そのくせ今日は靴が揃ってたり。色違いやったけどね。」
斉藤「変なところは揃うんだけど、一般的なプロフィールの趣味の欄とかは全然違うこと書いてると思います。」

ダンスを始めたきっかけはなんですか?

益田「母親が、女の子が生まれたらクラシックバレエをさせたいと思ってたんです。自分ができなかったから。そういう思いで、私を毎週バレエ教室に見学に連れていったら、ついに私がバレエをやりたいって言ったらしく(笑)。それが3歳の時ですね。正確には2歳10ヶ月らしいんですけど。」
斉藤「私のきっかけはこの環境しかないですね。(父親も母親もダンサーだったので)気づけば踊ってました。でも一応、色々と見学に行って習い事を決めようってなってたらしくて「ピアノ、バレエ、スイミングでどれがいい?」って全部見学して、私がバレエって言ったらしいんですよね。まぁ一人座りできない頃からお稽古場に座らされてたので、一人っ子だからポンって。それでずっと見てるわけだから、しょうがないですよね。」

年を経るにつれて自分のダンス観に変化はありますか?

益田「変わっていってる。自分の身体のことになるとそれはもう毎日変わっているし、毎日同じことは出来ないって思ってます。身体的にはそうですけど、ダンス観については、レッスンを受けていない時間や受けられない日があったりすると、前だったら焦りが強かったのが、今は家でただ寝転がっているだけでも、身体のことを考えることでダンスをしているような充実感がある。そういう意味での変化はありますね。ダンスに関わったと言う方が正しいかもしれないけど、それによる満足感。満たされる感じはあるので。前にはそんなことがなくて、ただ焦ってたかな。」
斉藤「わたし少し前まで、バレエができないとダンサーが出来ないと思ってたんですよ。私は全然バレエが出来なくて、それで大阪芸大に行きました。色んなものを観る機会が多くなってきて、バレエだけが全てではないし、もっと色んなものを体に入れてみたくなった。そういう意味では変化ですかね。最近は一回だけですけど、合気道もやりました。色んなことからダンスが出来ると思えてきて、新しいことを体に入れたいって思ってる。体を作ることに慢心してて、しかも体に入れるものも選べるようになってきてるので、今はその変化をとても面白がってますね。山登りも稽古みたいな感じですね。」

ダンス以外で昔からやり続けていることはありますか?

益田「私は語学ですね。というかアメリカ好き。ミュージカルとかディズニーとかの話をすごいしてしまうし。語学は興味を持って接し続けられるものですね。留学もしていたので。もともとアメリカ大好き・海外大好きってところから英語が好きになって。ただ何でこんなに英語が好きなのかなって考えた時に、ただただ発音してることが好きってことに気づいて。rの感じとか。意味の分からない洋書もただ読んでいるだけで満足感があるというか。言葉って綺麗だなと思います。汚い単語はあるけど、汚い言葉なんてない。最近フランス語も勉強し始めたんですけど、それも発音が楽しくてしょうがない(笑)。」
斉藤「そう!なんかいつだったか「清いダンス」って話になったことがあって、その時「清くないダンスなんてない!」ってやたら言いました。汚い態度はあるけど清くないダンスなんてない。」
益田「そうそう!」
斉藤「えっと、昔から続けている事。そうですね、私趣味がなくて。文房具くらいかな。あと人にものを贈りがちかな。自分のことが出来てないのに人のことを気にかけちゃうこともよくあるし。楽屋お見舞いもよくするし。人に会いたくて舞台観に行く感じもあるから。SNSとかもよく見てて、人が欲しがっているものとか覚えておいたり。気持ち悪いか・・・(笑)。でもそれが強いて言えば趣味ですかね。」
益田「趣味です。」

斉藤さん、益田さんそれぞれ、ご自身の拠点はどこだと思っていますか?

益田「ざっくり関西って思っています。」
斉藤「うん、関西って思う。でも一応、大阪感は出したいんですけどね。でも関西としか言えない。大阪で踊ってないから。私は関西に大阪に還元したいと思っているから、色んなところに行きたい気持ちはあるけど、軸足は関西においておきたいっていうのはありますね。だから拠点はいつだって関西と言いたいと思ってます。なんか誰かに「大阪は向こう100年草生えないからね」って言われて、クソーって思って(笑)。でも、結局は人がいるからだと思うよ。」
益田「そうそう。人がいるからっていうことが一番大きい。」

ダンス作品を人に見てもらうというのはどういうことでしょうか?

斉藤「ダンスを観て欲しいから、体がないと!っていう気持ちがあって。色々考えることはあるけど、とりあえず体を観てもらうためにやってる。人前で踊るときに、人として何かをちゃんと提示できるものは体の説得力しかなくて。動く体に対して自分はこう信じてるというものがあると、体に説得力が出てくる。体の説得力って何なんだろうって思うけど。」 益田「でもその体の説得力っていうのは、私が綾子ちゃんを初めて見たときにも思った。」
斉藤「私は今これをやっていますっていう、そこに嘘がないようにしたいとしか思ってなくて。だから私は振付家ではなくダンサーなんだろうなとは思います。自分が納得できるように、納得してダンスができるように作品を作ってる。」
益田「私はよく、器用とか言われるけど、絵も下手だし、写真も下手だし。でも昔からそういうことするのは好きで、めっちゃこの景色好き!ってなったときに、たくさん色の入った水彩色鉛筆を親にねだって買ってもらったりとかして(笑)。私が何か見たものとか、いいなって思ったものがあったときに、形にしたり共有したい欲ってあったりすると思うんですけど、人前で作品を踊ることって、そういう、私が見たものとか、いいねって思ったものをポンって人前に投げて、こんなもの見ましたよって、話題を投げるぐらいの、そういうことなのかなって思ってます。」
斉藤「お客さんと同じ空気を吸ってるっていいことだなって思ってて。舞台って、時間とか空気しか共有してないじゃないですか、お客さんと。同じ空気共有してるって中で、できるだけ何かは受け取ってほしいんだけど、それを何で伝えられるかってなった時に、人間が動いて出てくるものを信じているから、だから体に行くんだろうなって。ダンス、何も残らないから好きなのかもしれない。なんかこう、ここで今一緒にいる人だけの共有事項っていうのがけっこう好き。」
益田「でもさ、綾子ちゃんってけっこう覚えてるよね、このシーンのこういう動きが好きみたいなの。それってやっぱいいなって思う。」
斉藤「舞台の内容を忘れても、何かは残ると思うようにしてるかな。「今この瞬間を忘れたくない!」って思うことあるじゃないですか。作品とかも終わるのも寂しいし、好きな作品の座組みの解散も寂しくて。でも忘れたとしても身体には残っているし、それがなかったことにはならない。何も残せないけど、みんなで共有した時間はなかったことにはならないって思えるくらいの何かを、お客さんにはエネルギーとして出したいと思っていて。それは、今のところ体にしかないって思ってるから、それをちゃんと出せる環境を作るっていうのが作品作りかなって思ってます。動く体を観やすくするためのしつらえと、作品って。」
益田「ほんとにそう。作品を作るのって・・・踊るための言い訳みたいなことではあるかなって思うときもある。作品があるから踊れるっていう。」

斉藤さんも益田さんもご自身のことはダンサーとして考えているんですか?

斉藤・益田「うん」
斉藤「振付家って書けないね。私、手書きの名刺があって、そこになんて書こうって思って、ダンサーでも振付家でも無くて「ダンス」って書いてる(笑)。」

...1[アマリイチ]で作品を作られるときは、どのように作品を作っているのですか?振付はどちらか一方がしている?

斉藤「どっちも同じ比重を持ってて、最初はいろいろ喋るんですけど結局同じ話になって。でも割と先に音楽を決めるかな?」
益田「そうだね。」
斉藤「音楽決めて、2人であーだこーだいいながら振りを作る。どっちかだけが振付を作るっていうのはないですね。」

そのように2人で作品を作っていて、影響し合う部分はありますか?

斉藤「私が絶対しないポーズとか繰り出してくる。フォルムが似てるんですけど、出してくるものが違うので。だから一緒にやれてるのかもしれないですね。」
益田「お互い影響はされるよね、何かしら。」
斉藤「私けっこうすぐ影響されるから、最近見たダンスとかすぐ影響される。」
益田「それが2人の振付にもすぐ反映されるよね。」
斉藤「他人の振りとかも、この感じ自分で舵取れるなー、って思えたら人のものって思ってなくて。この振りの感覚は自分で一回消化したぜって思ったら、これもう自分のものって思ってるから(笑)。そういう影響のされ方はしてると思います。」
益田「綾子ちゃんのそういう他人の振りを「自分のもの」って言い切れる部分とかは、私けっこう影響されてます。自分がいま踊っているダンスって、自分のものだって言えなくて、結局全部人からもらったものでしかないって思ってた時期があったんです。振付作ることとか生み出すことって、結局今までと同じことしてるんじゃないか?新しいものって生まれないんじゃないか?って悩んでて。その時に綾子ちゃんがこんな感じで「私はけっこう自分のものだって思ってるから」って言ってて、あ~そっかそっか!って納得してしまいました。」
斉藤「正直新しいダンスってもう無いって思ってて。じゃあ、コンテンポラリーダンスの自由さって何だろうなって思って。これももう私の言葉じゃないんですけど、ある系列を辿っているダンスを、全然違うところに飛んでいける自由さはあるなって。組み合わせ順列では無限だなーって。そういう自由度はまだ全然ある。」
益田「ツールは出揃ってるから。」
斉藤「もう新しいことなんて、文明の利器しかないって思ってて(笑)。組み合わせの自由度だけかなっていう。だから別に、自分でこのアイテムコントロールできます!ってなったら使ってもいいかなって。」
益田「銃の使い方みたいな?」
斉藤「危険だわ(笑)」

自分で実際に踊っているときに、どういう状態でいるのが理想的な状態ですか?

斉藤「私、振付を踊ることが好きで。振り付けられるのでも、自分で決めた振りでもいいんですけど、決まった振付を踊ることが好きで。感情とか表現とかは言いたくないんですけど、一振りに色々な情報を入れたいんですよ。それこそ、この振りの時は稽古でこういうこと起こったなとか。だから、稽古期間長いのも好きだし。季節が変わるくらい一つの振付したいんです。そうなると本番で踊ってて、色んな景色が重なってくるわけじゃないですか。そういうこと思いながら踊ってる時って、わたし勝手にいい状態だなって思う。景色がかぶる感じがある。本番で、昔この振りはこうやってたっていう蓄積を感じるのが好きなのかな。」
益田「綾子ちゃんはけっこう細かいとこまで動き決めてるよね。」
斉藤「一回全部決めて、全部忘れるんですよ。ちゃんと振付を愛でて過ごしたら、本番何やっても大丈夫だってなって。そうなってくると、その先ができるようになる気がする。それができないとなんか、人と共有できる何かを体から出せる気がしなくて。だから私、即興はあまりできない。」
益田「それは私もそうで、自分が何をしているか分かってない状態で人前には立てない。踊れないかなって。そういう姿を敢えて見せるというのも手法としてはあると思うけど。」
斉藤「即興するにしてもすごく自分でいっぱい設定を作る。」

益田さんはどういう状態が理想的な状態ですか?

益田「その時その時によって違うかも。動きの幅とか、振付の種類でも全然違うし。でも今回上演する『うちそと』の話じゃないけど、すっごく内面に集中してて、外が全然見えてない時でも、周りに意識がいってる、意識できてる時とかはありますね。それこそ自分が何をしているか分かっている状態ですかね。」
斉藤「本を数行読んだけど、内容が頭に入ってなくてまた読み返すような感じで、とりあえず体は動いてますっていう時があるんですけど、そうじゃなくてすごくクリアに自分が何をするのかも分かってて動いている時は、すごく感動して踊ってる。浮いた!みたいな(笑)。」
益田「小指があった!みたいな。今まで自分が感じたことがなかった小指がいた!って思うことはある。」
斉藤「細かいことに感動しながら踊っているときは良いんだろうなって。そういうときはたいがい楽しそうだったねって言われる。」

今までで一番印象に残っている舞台って何ですか?ご自身の作品でも観客として見た作品でもよいです。

斉藤「一番って難しいな。2018年のベスト、上半期ベストは・・・きたまりさんの『娘道成寺』!あと、『RE/PLAY』マニラ公演もすごかった。どちらの作品も楽日が好きでした。始まってすぐ、序盤でもうこの公演良いって分かってる、何があっても最後まで良いって分かってる、って。雪道でスリップしたけど手を離しても大丈夫って感じ。」
益田「それはちょっとわからない(笑)。私は2017年のベストって言ったら『RE/PLAY』の京都バージョン。私は京都公演のときに通訳で入ってたんですけど。ナマモノっていい!って。そこに尽きるな。リハーサルも好きだったし。」

良い作品だったと言うのは「良いダンス」だったという意味ですか?

斉藤「全員が全員良いダンスを目指しているっていう状態かな。ただただひたすらに自分の良いダンスを目指している。全員がいい意味で探っているし、全員真剣にいいダンスを探しているってことかな。2015年だったら、シルヴィ・ギエムの引退公演がありますね、みんなで手を振ったあの『ボレロ』。あと、H・アール・カオスの白河直子さんが兵庫県立芸術文化センターのロビーで踊られた『瀕死の白鳥』。あの3分半はすごかった。仮設のステージで白河さんが踊ってくださるなんて。最後作品終わって自分に戻っていかれるときに、あんなに吸い込まれそうになったの初めてでした。ちなみに2016年ベストは『TITAN』です。きたまりさんのソロ。」
益田「『TITAN』はよかった!一緒に観たやつ。」
斉藤「ばっさーーん!って水かけられた気分。その時の自分の状態も相まって、あの『TITAN』のソロには心底感謝しています。『夜の歌』も2016年?」
益田「そう」
斉藤「あれも観てて「踊れ!踊れ!」って言われてる感じがしたなあ。」
益田「そういう「踊らなきゃ!」って意味だと、やっぱめぐさん(松本芽紅見)が一番印象的かな。心斎橋にあるDance studio Pointに通い始めた時、全然コンテンポラリーダンスするつもりもなく、その時ちょうど社交ダンスを趣味でやってて、それと合わせてジャズダンスとかやってみたいなと思って通い始めたんですけど。そこでたまたまめぐさんの踊り見て「あ、私このダンスするんだな」って思った。そのダンスの何が良かったとかは正直あまり覚えてなくて、エディット・ピアフの曲とか使ってたのは覚えているけど、それこそ水をばっしゃーんと浴びたような感じです。」

今一番わからないことはなんですか?

益田「こういう質問すごく深みにはまっちゃうじゃないですか。だからすっごい苦手(笑)。この質問はもう、ダメ。ダメです(笑)。」
斉藤「すごい冷たい言い方になるかもしれないけど、ダンスを辞めるタイミングって分かんなくて。人がダンス始める動機も分からないし。私、世界中全員舞台人だって思ってた時期があって、小さいときに(笑)。舞台に立たなかったとしても、週末とかになったらみんなダンス観に行く、劇場に行くのが全人類の日常と思ってた。それは私の周りの人々がみんなダンサーだったからっていうのもあるんですけど。だから「何でみんなダンス始めるんだろう?」っていうのはいつだって謎なんですよ。かつ、ダンスを始めてみて、辞められなさっていうのもあって。私はダンスってすごく良いものだって思ってるから。「いつだってそう思ってる訳じゃないだろ」ってけっこう言われるんですけど、私ダンスっていつでも楽しくて。ダンスは楽しいものだと思ってるから。でもダンス辞める人だっていくらでもいるじゃないですか。その辞め時も分からなくて。他の人の、ダンスとの関わりってどうなんだろうって常に思ってる。謎です。」

では斉藤さんはダンスをやめようと思ったことはないのですか?

斉藤「ないんですよね、私は。でもある作品で「十分なお金をもらったときにダンスやめますか?」って質問に答えるシーンがあって。3億円とか6億円とかではなく「十分なお金」(笑)。その十分なお金で私、大阪に劇場建てたいなって(笑)。ブラックボックスあって、大劇場あって、レジデンス施設あって。でもこれってダンスやめたことになるんですかね?って思う。人前で踊ることを止めることだけが、ダンスを止めることなのかな?って考えます。」
益田「ダンスを辞めるという線引きもけっこう難しいよね。」

益田さんはダンスを辞めようと思ったことはありますか?

益田「あります。あるけど、それこそバレエがしたくなくて、バレエのクラスに行きたくないとか、そういう感じですね。バレエは自分に向いてないっていう気づきから落ち込みもあったのですが、その時でも何かしら違うダンスをしたいっていう欲求はあって。アメリカかぶれの時期だったから、ヒップホップも好きだったし、ストリートダンスやってみたこともあったけど笑。だから、当時の自分の概念として、バレエを踊らない=ダンスを辞める、だったけど今はそれでもダンスを辞めてはいなかったと思います。」

出演者写真・遠藤僚之介

遠藤僚之介

大阪生まれ。幼少期をイギリスで過ごす。
油絵を学んだのち、京都市立芸術大学で環境デザインを専攻。卒業後、店舗内装のデザイナーとして2年間勤務。その後ヤザキタケシ氏と出会い、ダンスを師事。日本、イギリス、スウェーデンでダンスを学び、2018年よりダンスカンパニー「ヲミトルカイ」へ参加。現在は視覚障害を持った人たちと共に働き、多様な身体性のある日常に身を置きながら、関西を拠点にダンサーとして活動中。

ダンスの天地に応募していただいた理由はなんですか?

「踊れる機会が欲しいっていうのが一番大きな理由かな。」

今回は遠藤さん含め出演者3名の作品です。

「本当は一人の方が作品作りとかはやりやすい。あんまり今まで人に対して振付とかしてこなかったし、自分的にもダンス作品を作るってことにモチベーションが高いわけではないから。作品を応募するためにダンサーを集めて、作品を作るってことは、最初は全然考えてなくて、単に自分が踊れる場所が欲しいから応募したっていう。あと、インタビューがあるというのは面白いと思っていて、自分や自分のダンスがどういうものかってことを分析してもらうこともちょっと狙っています。期待しています。」

ハードルあげられましたね笑。作品作りにはあまり興味がないと仰いましたが、そういうスタンスの中で今回「ダンスの天地」にダンス作品を応募されたのには何か理由があるのでしょうか?

「今まで作品作りっていうことをあんまり積極的にしてこなかったんだけど、今後活動をしていく中で、年齢的にも今年が30歳っていう節目になるから、一旦立ち止まってみて、改めて自分はどういうことが出来るのか、そういう機会として今回の「ダンスの天地」を使いたいと思って。 それから、今後ダンス活動を続けていくには、作品も持っておいた方がいいんだろうなと。僕にダンスを教えてくれる人たちも、何かしら自分の作品を持っているし、ダンスについてプレゼンテーションする時に自作品を提示するのも見てきているし。自分は逆にそういう場面があったときに提示できるものが何もない。コンテンポラリーダンサーとして経験が浅いから、作品を作っていく必要はあると思っていて。ただ、将来的に自分のメソッドのようなものを確立できて、みんなと共有できるようになれば、そこまで作品を作っていく必要はなくなると思うんだけれども。」

今回の作品はどういうところに力を入れていますか?

「あんまり自分の中でもまだ固まってないんやけど、どんなことがあっても、ダンサーはただダンスを踊り続けているような状況。自分自身の投影みたいな感じやけど、人から何を言われようが、世の中がどういう状況になろうが自分は踊り続けているだけだよってことを映したい。それが具体的に作品としてどう立ち上がるかは、これから練っていかないといけないんだけど。」

遠藤さんは振付家ですか?ダンサーですか?

「ダンサーです。」

では、今回の作品作りにおいては「振付家」という意識は持っていない?

「持っていないと作品は作れないんじゃないかって気もするけど。でもそう聞かれてみると、ダンサーとして作品を作っているのかなって気はする。あと、今後活動していくためには、こういうことも出来ますよって言えないといけないプレッシャーの中で、やむかたなしに(ダンス作品を作る)って気持ちも無きにしも非ず。」

そういうプレッシャーがなく活動が出来るなら、作品を作らずダンサーとしてずっと踊っていたい?

「そうですね。」

なんで逆に今までご自身では作品を作ろうと思わなかったのですか?自作自演でソロ作品は発表されてますよね。

「そのソロの自作自演も、本当は進んでやっていることではなくて、踊れる場が欲しいからやってることで。その場を得るためには作品を作るってことが条件としてついてくるから「分かりました、作ります」っていう。」

じゃあもしタダで遠藤さんを振付けてくれる人がいたら、ぜひ振り付けられたい?

「全然もう(振り付けられたい)。」

それは誰であってもいいですか?

「あんまりそこは偏食ないと思う。もちろん自分がやりやすいってことはあるから、やってみての満足度は違ってくるんだろうけども。何かをやろうって段階では、どんなものであっても受ける気概ではいる。」

ダンサーがメインの活動だとして、遠藤さんは振付けられることが好きなんですか?振付を踊ることが好きなんですか?

「難しい言葉を使いますね。どっちかな。・・・それだったら振付けられる方が楽しいかな。人の作品に出ると、その人が何を考えているかを言葉だけでなく身体で理解できるというか。そういうのは楽しい。」

ダンサーとして踊っている時は、どういう状態が理想的な状態ですか?

「今起きている現象に対して、身体が滞りなくついていってる感じかな。感覚的すぎ?」

その現象というのは?

「例えば一つの作品を踊るとしたら、振付家が設定した何かしらの流れやストーリーのようなものがあって、それは振付家の思想やコンセプトに基づいているものやと思うんやけど、それを身体がしっかり受け入れているというか。そういう状態で舞台に立てることが理想なんじゃないかな。」

舞台を観に行く際は何を見ていますか?作品なのか、振付なのか、ダンサーなのか。

「一番見ているのは、やっぱりダンサーの動きと作品全体のコンセプトかな。観にいく作品はコンセプトで選ぶんだけど。チラシとかにあるじゃん、文章。それを読んで、面白そうってやつは観に行く。ダンスに限らず何でもだけど。」

最近見て印象に残っているダンスはありますか?

「僕、その時ジャンルの分け方みたいなものが分かってなかったから、別にそれがガールズヒップホップだと思って入ったわけではなくて、なんか身体を動かしていて楽しそうってだけで入って。で、その練習をしていて、休憩しとったら人が近づいてきて、「よかったらそこでダンスのイベントがあるので来てみませんか?」って声かけられて。『ダンスデイズ』って名前やったかな。それで見にいったら、双子の未亡人がぴょこぴょこ跳ねていて。本当はなんか四角い枠を渡されて、それを覗いて風景を切り取って見るみたいなコンセプトのやつやったらしいねんけど。あれは面白かった。」

それがきっかけでコンテンポラリーダンスを始めたんですか?

「きっかけではないな。でもそういう蓄積はあったと思う。そういうのを幾つか見て、自分もやりたいなって思いは募っていった。と思う。」

ガールズヒップホップの話もありましたが、ダンスを始めたきっかけは何ですか?

「きっかけは大学卒業してからだから、23の冬かな。24かな?もともとは高校の文化祭で演劇をやって、舞台で体を使って何かを表現するっていうことが面白いなって思ったのね。で、大学入ってから演劇部に入りたくて、大学の人に「演劇部に入りたいです」って言ったんだけど、演劇部が休部中で。どうしようかなって思って大学のガラス張りのギャラリーの前にいたら、ガールズヒップホップの子達が練習していて、体を動かして何かするって点では一緒かなって思って、それくらい雑な気持ちで入った。で、うちの大学って音楽と美術があったから、ミュージカルサークルていうのがあって、その子達が「遠藤はどうやら演劇部に入りたかったらしい」って噂を聞きつけてきて。ある日、授業の合間に、そのミュージカルサークルの子達に廊下で取り囲まれて「うちに来ないか」って言われて。芸大って9割女子だから、男性で、しかもキャストをやりたいって人は全然いなくて。で、僕は歌はちょっと・・・って言ったら「じゃあ歌わなくていいからやれ」って言われて。歌わないでいいなら・・・って入ったのに、結局ガッツリ歌うことになって。でも結局ハマってしまって、大学時代はミュージカル三昧な状態だった。でもやっぱり、声楽をちゃんとやっている子達がいるから、割とその子たちがメインで歌うキャストをやって、僕はその頃から運動神経は割と良かったから、振付を探してきて踊って。youtubeでヒップホップとかジャズを見て、こういうダンスがあるんやなって思いながら、みんなに簡単な振付を教えてたりしてた。全然基礎とかないのに。卒業して、ダンスについてそれまで誰か先生がいて何かを教わるってことをしたことがなくて、でも体を動かすことは続けたいっていう気持ちがあったし、働き始めてお金もできたから、どこかに通いに行こうと思って。で、どこがいいんかなって友達に相談したら京都にいい先生がいるよって言われて、ヤザキタケシ先生を紹介してもらった。」

それがコンテンポラリーダンスとの出会い?

「そうだね。実際に自分がやるっていう意味ではコンテンポラリーとの出会い。それに行くまではタップダンスをやったりとかあるんやけど、それはおいといて。」

その後はどのような活動をされてたんですか?

「日本だけにいても視野が狭くなってきちゃうなっていう気持ちがずっとあって、タイミングがあえば海外に行きたいって気持ちがあったのよね。僕はもともと建築系っていうか環境デザインの専攻で、会社も店舗内装の設計施工やデザインをしていて。ただまぁ、建築系なのか、はたまた全然違うことなのか、とりあえず海外に行って何かを学ぶって時期はちょっと欲しいなって。で、結局会社はなんか違うなって感じて辞めて、その時に一番自分的にアツかったのがダンスやったから、これで海外行こうかなって思って、ロンドンに3ヶ月だけやけど行った時期があって。昼間は語学、夜はダンスみたいな生活をずーとするみたいな。割とリリース系のテクニックが多かったかな、僕が行ったところはたまたま。当初思っていた視野を広げるってことについて言うと、やっぱ行って良かった。行動範囲が広がったというか。ただ、ダンスに関しては、日本も十分面白いじゃんって感じになっちゃって。日本でも自分がこれから得たいことは得られるんじゃないかなって気持ちになっちゃって。海外で生活をするってことはそれなりに力というかエネルギーをかけないといけないから、あんまりメリットを感じなくなっちゃって。で帰ってきて、どうしようってなって、飲食店で働いたりとかしてた。
会社辞めてから海外に行くまでにだいたい1年くらいあったんだけど、イスラエルのインバルオシュマンのWSオーディションがあって。応募条件にプロのダンサーって書いてて、「プロってなんや」って思いつつも、会社辞めてダンスするって決めた時やったから、思い切って売り込んでみたらオーディションに受かって。きたまりさんがそのWSを見ていて「あなた、どこの誰?」みたいな感じに言われて(笑)。で、その時に「Dance Fanfare KYOTO」の話をもらって、そこで山本和馬と益田さちさんに出会って。それが僕にとって、初めてコンテンポラリーダンスの作品を同世代のダンサー・振付家と一緒作る経験だった。」

今はどんなお仕事をされているんですか?

「グランフロントにある常設のイベント会場で、視覚障害を持った人達と一緒に働いています。」

遠藤さんはご自身の職業をプロフィールに書いておりますが、それはなぜですか?

「今の職場で働いていると、常に隣に、目が見えなくて、自分とは世界を全然違う見方している人がいる状況があって。自分とは違う感覚を持っている人がそこにいるって、話をするだけでは分からないというか、共有できないんだけど、その人の作品を踊ったりすると身体でそれが理解できるっていうか、そういう気になるっていうか。自分とは全然違う感覚の人が実はこうもそばにいるんだよっていう環境に、常に頭をシェイクされる。それは誰かの振付を踊ることにも近いなって思って。ダンスではないけど、共通する部分があるからプロフィールに書いてる。」

ご自身のダンス観について、ダンス以外で影響を受けたり、参考にしているものはありますか?

「学生時代から社会人2~3年目にかけては、ずっと美術・デザインをしてきたので、美術かな?高校も一応専門科の高校だったし。油絵専攻。具体的にどう影響を受けてるのかというと難しいけど、作品を作るときは、あんまりダンス的に「こうしたらこう見える」というのは知らなくて。そもそも自分の中に見たい景色があって、その美的センスというのはどちらかというと、絵とかデザインを勉強してきたときに培ったような気がする。」

今後の目標はありますか?

「目標じゃないし、ダンスに関係ないけど、住む場所は変えたいな。人生のどこか何年かは、東京で過ごす時期があってもいいかなって思ってる。あるいは、どっか全然別の場所。全然具体的な話じゃないけど。」

それは関西から出たいということですか?

「あー、関西以外がいいかな。生まれてからずっと大阪に住んでるので。海外に行ったことはあるけど、この30年間の8割くらいは大阪にいるから。そろそろ新天地を見つけたい。」

今回出演されるダンサー(山本和馬、いはらみく)から、遠藤さんが影響受けていることはありますか?

「自分が言葉足らずで、やりたいことが明確になってない部分もあるんだけれど、やってほしい動きが自分の中にあっても、二人が出してきた動きがその通りとは限らない。その出てきた動きを、自分のイメージの方に寄せていくか、それとも出てきたものが意外と面白かったら、そっちをやっていくか。それは取捨選択やと思う。自分から何かを伝えて動いてもらうという経験って実は意外となくて。面白いと思ったのが、ダンス経験がない人々を対象に「ダンススタディーズ1」というのを去年からやってるんですけど、その人たちに動きを与える感じと、ダンサーに動きを与える感じとでは、何か違うなという感じがあって。」

ダンサーの方がやっぱ動ける?

「そうとも限らなくて。ダンス経験がなくて0から積み上げていく人たちに、振付をしたことはあるけど、ダンサーは既にある程度の積み上げがある人たちで、ダンサーのその積み上がりは無視できない。作品作りで難しいのって、こういうダンサーの中で既に積み上がっている部分と自分のイメージとのすり合わせなのかなって思いながら作っている。自分のクローンが3人くらいいたら、情報の共有はすんなり行くんだろうけど、自分以外のものから出てくるものを作品に取り込めたら面白いだろうなとは思いつつ、自分に果たしてその力量があるのかどうかは、やってみないと分からない。」

いま一番分からないことは何ですか?

「自分の将来ですよ(笑)。分からない方が面白いけど。分からない方が好き。悪い癖なんやねんけど「できるわ!」って思ったら失敗したくなる。結果が見えちゃうともう興味がなくなってしまう。自分が予期しないことに出会いたいというのがあって。高校でも大学でも専攻を選ぶときは、何をやっているか分かっているとこよりも、分からないところを選んだし。むかし勤めていた会社も、このままいけば出世して給料増えて結婚してっていうのが何か見えちゃって「もうええわ」ってなって。ダンスは未知な部分が多いから続けている部分はある。」

人に自分のダンス作品を見てもらうというはどういうことですか?

「どういうことやろね。そんなに人に見てもらいたいという願望はなくて、見るなら見れば、という感じかな。どちらかというと、一緒にやらない?って感じの方が強い。場を共有できたらいいよね。何かしらの感覚とか考え方、その場所その時間を、一緒に過ごすことで共有できればいいのかな、楽しいなという感じかな。」

場を共有できたときは、遠藤さんも分かるのですか?

「ふわっとした感覚だけど、この公演、何かアツかった!という感じは無くもない。」

どういう方にご自身の作品を見てもらいたいですか。

「普段から割とダンスを見ている人かな。パフォーミングアーツとか見てる人。そういうのに元から興味ない人は、別に見て貰わなくてもいいかな。芸術とかアートを見る土壌がない人に、どう媚を売ったらアートを見にきてもらえるかって考えるの、あまり好きじゃなくて、そもそもそんなの気にしている時間ないし。好きな人だけでやってればいいじゃんっていうスタンス。勝手に高めていけばいいじゃんって思う。」

出演者写真・木村愛子

木村愛子

桜美林大学卒業。木佐貫邦子に師事。
2009年よりソロダンス「温かい水を抱く」をシリーズとして発表。
2011年「ダンスがみたい!新人シリーズ9」新人賞受賞。「横浜ダンスコレクションEX2013」コンペティションⅠファイナリスト。
ソロダンス活動の他、笠井瑞丈、酒井幸菜、白神ももこ、北尾亘などの作品に出演。
現在、神奈川総合高校身体表現非常勤講師。今年の3月まで、座間高校創作舞踊部部活動強化支援指導者。

ダンスの天地に応募したきっかけを教えてください。

「ダンスのショーケース公演は色々ありますけれど、セレクト(選考)が無かったり、もしくはコンペティションみたいなものだったり・・・けれど、「ダンスの天地」は、募集要項に「ダンスの自明性を問ふ。」とか「ダンスのためのダンスのその先」という表現が記載されていて、目指しているところがはっきりされていると、まず感じました。今回わたしは20分の作品を発表させて頂きますが、お客さんは公演全体、1時間半なりの時間に立ち合って下さる、しかも2500円のチケット代も支払って・・・そんなお客さんに対して、わたしは自分自身が出来ることを精一杯やりたい。そんなふうに公演に関わりたいです。「ダンスの天地」は、 どういった方向性のダンスを募集しているのかが明確なところにすごく惹かれました。
あと今は、20代前半くらいの新人の子が踊る場っていうのは結構あるんじゃないかなと思うんですけど、30代になってくると気軽に応募出来るところも少なくなってきました。しかし自主公演をするためには様々な準備が必要で、作品作り以外にもやらなければいけない事がたくさんある。もちろん、それによって勉強させられたり、得られたことも多くあります。ですが、 もっと純粋に作品を作ることに専念出来る場が欲しいなとも思っていました。
それと、今まで東京とか神奈川でしか公演をしたことがなかったんですけど、コンテンポラリーダンスの公演っ て期間も短いですし、射程距離も短いという感じがしていて・・・ぜひ関西の方にも、私の作品を見て頂けたらなと思いました。神戸には、神戸ダンスフェスティバルに座間高校創作舞踊部のコーチをしていた昨年までの5年間毎年行っていましたので、身近な気もしています。」

木村さんがダンスを始めたきっかけはなんですか?

「ダンスを始めたのは5歳の頃で、5歳から中学3年までジャズダンスをやっていたんですよ。高校はダンス部のある高校に進みたく、それで神奈川総合高校に入学しました。授業でも、ダンスや身体表現、舞踊研究といった授業があるというのがすごく魅力的だったんです。ダンス部も2つか3つあって、私はそれまでジャズダンスをやっていたので、ヒップホップもやろうかなってはじめは思っていた。けれど全部のダンス部を見学してみて、そしたらそのうちの一つに、現在はイデビアン・クルー等に出演している酒井幸菜ちゃんが一期上の先輩にいるダンス部があっ て。部活見学に行ったらそのときは幸菜ちゃん一人しかいなかったんですけど、「せっかく来てくれたからちょっ と踊るね」って言って、クラシック音楽をかけて即興で踊りだしたんです。高校2年生でですよ、それが衝撃で。今までは、先生から振り付けられたものを音楽に合わせて踊るっていうことしか知らなかったので「なん だこれは!」ってなって。「私、このダンス知らないと踊りやりたいなんて言えない!」なんて思って(笑)。そこからカウントに合わせて踊ることだけが表現ではない、表現って何なのか?ってことに興味を持ち始めました。」

大学時代はどのような活動をされていたのですか?

「まず週に一回、木佐貫邦子先生がダンスを教えて下さるクラスがありました。あとは上村なおかさん、近藤良平さん、伊藤千枝さんというダンサー・振付家の方々のオムニバスでWS形式の授業もありました。
それから、1~4年生学年問わずオーディションで選抜された20~30人の学生が木佐貫先生の振付作品を踊り、公演を打つというダンスOPAP(桜美林パフォーミング・アーツ・プログラムの略)というものがあったんですよ。そのOPAPの稽古はだいたい公演の3ヶ月前から週3回くらいで始まって、最終的には毎日稽古するようになって・・・当時の私にとっては、しっかりとした「公演」に出るっていうのがとても大きなことで、そこですごく育てられました。」

大学を卒業されてから現在まではどのような活動をされてきましたか?

「大学を卒業してからまず、d-倉庫の「ダンスがみたい!新人シリーズ」で、ソロダンス作品を発表させて頂きました。そこで新人賞を頂きました。またその年は横浜ダンスコレクションのコンペティションIIが丁度できた年で、そこでもソロダンスを発表させて頂きました。私にとってはこの2つのスタートがすごく大きくて、夏の「ダンスがみたい!」のフェスティバルで受賞者公演をした後も、フェスティバルには3回呼んで頂きました。あとはd-倉庫スタッフの林慶一さんが「一緒に企画しましょう」とお誘いくださり、2015年に共同企画「身体に対する態度表明」というテーマで一緒に公演をしました。
個人的に、年に1本は長編ものの作品制作をやりたいという思いがあり、フェスティバルなどに呼んでもらった年はそれを自分の自主公演としてやらせて頂くという感じで、それ以外の年は自主企画の公演をしています。」

劇場で公演を打つというのもお金かかりますよね。

「私のスタンスの問題もあると思うんですけれど、低予算でやろうと思えば幾らでもできると思うんです。 けれどお客さんがチケット代として支払うお金には、全てが含まれているはずです。だからなるべく悔いを残さないようにやりたい。自分がお客さんの立場だったらこうしてほしいと思うところは、自分で出来る限りの事はしたいです。」

直近の自主公演は、3月にSTスポットで開催した『dear others』ですか?

「そうです、『dear others』は私とダンサーの後藤海春さんとのデュオ作品です。私は大学4年生の時からずっとソロダンスを中心にやってきたんですけど、2、3年前からデュオやグループ作品を作りたいなって思いはじめて。けれどずっとソロでやってきたので、いきなりグループでやるというのは少し抵抗があり、デュオに挑戦してみることにしました。」

なぜデュオやグループの作品を作りたいと思うようになったのですか?

「私のソロを見に来て下さるお客さんっていうのは、作品よりも、舞台に立っている私自身の身体を見る、私自身を見にくるというスタンスの方が多い気がするなとずっと感じていて。私は私の身体でソロ作品を踊っているんですけど、 もう少しフラットな状態で「私」というよりも「人間」の身体という状態で見てほしいなと。で、デュオになると一気に客観性が増して、ソロの時よりもダンスの「作品」を見てもらえるんじゃないかと思いました。」

ソロの時とデュオの時で、お客さんの反応は違いましたか?

「ソロで踊っている時、私がよく言われるのが「出てきた妖怪!」って感じのことを言われるんですよ(笑)。「怪物出てきた!」みたいな。『dear others』の時は、 わりと人間関係のことをやっているということもあって、作風が全然違った。またソロの時はすごく緊張して見て下さっていたお客さんが、ふわっとして見れた、感情移入みたいなものがしやすかったって。でもその反面、私のソロの時の妖怪みたいなものを見たさにくる方もいるんですよ(笑)。その方達からしたら、なんか普通だったみたいです(笑)。 そういうのはちょっとありましたね。」

ダンスの対義語ってなんだと思いますか?

「対義語!?そんなの質問表にありましたっけ(笑)?・・・「生きた心地がしてない時間」かな。う~ん、でも死んでても踊れる気がするなぁ。身体がなくてもダンスは成立すると思うんです。」

生活の何%をダンスに費やしていますか?

「この答えとしては、ダンス以外のことをする時でも、全てがダンスにつながってると思ってるんですね。 ネット検索をしてたら面白い記事を見つけて、このことをもうちょっと詳しく調べたいなって思ってその関連する本を読んだら、たまたま作品になったりとか。わりと全部がつながっている気がします。疲れてて何も考えられない時などは、身体が「考えるのを辞めてくれ」って言ってるってことじゃないですか。で、次の稽古場に入った時にいい状態にするためには、その「何も考えない時間」っていうのも必要で。しっかり寝ることとか、食事を摂るってことも全部踊りにつながっていることだと思っています。日々、自分が活動的に生活や稽古できる状態にするように食べ物を選んで食べてるつもりです。だから「何か疲れたな」ってときは、あの栄養が足りてなさそう!なんて思ったりして。だいたい身体が欲しがっている栄養素が分かる気がするんですよね。だからダンスと生活は切り離せないとは思っているんです。なので生活の何%をダンスに費やしているっていうより、生活の全てがダンスにつながっている、っていうのが適切な答えな気がしています。」

自分のダンスを、他者に見てもらうというのはどういうことですか?

「私の作品を見て下さる方には「どうぞお好きに観て下さい」っていう感じで踊りたい。もちろん作品を作る時には、感動したり心動かされたりしたことを、どうしたらお客さんと共有したり共感できるかなって考えてはいるんですけど。でもいざ作品を発表するって時には、自分を「こう見せたい」っ ていう邪念が働くと上手くいかなくて。作品を発表する段階では、作品を見る人に委ねたいって思っています。作品が一人歩きして、見ている人の想像力に入り込んでほしいなって・・・。
自分が作品を作る時に思っていたことと全く反対の解釈をされても、見て頂けたこと自体が嬉しいことだなって。会話が生まれるような作品を作りたい。あるコミュニケーションのきっかけになる、対話ができるような作品を作りたいなって思っています。」

母校である神奈川総合高校で教えるようになって今年で何年目になりますか?

「9年目です。23歳から教えているので。」

生徒にダンスを教える経験が、木村さんの作品作りに影響を与えている部分はありますか?

「生徒に教えるようになってからは、何かを他者に伝えたいと思った時にはまず、共通言語として存在する「言葉」で自分の言いたいことを言えないと相手に伝わらないんだってことを身に沁みて感じるようになりました。もともとわたしは言葉が苦手です。それから本も以前より読むようになりました。小説ばかり読んでいたのが、新書とかも読むようになったり。本も振付もそうですけど、読んでると慣れるもので、読めなかった本も読めるようになってきたりするんですよね。あと生徒にツッコむためには自分も勉強しなくちゃいけないっていうのがあって。生徒に教えてるっていうよりも、生徒に教えられることの方が多い気がしています。」

そもそも木村さんにとって、ダンスとはどういうものなのでしょうか?

「難しい~(笑)。生徒にはいつも言ってるんですけど、ダンスって、振付を踊ったり、音楽に合わせて身体を動かすってことじゃなくて、自分が「こうしたい」って思い浮かべたイメージを、稽古場でどんどんどんどん練習していって、本番ではその身体を差し出すっていうか、捧げていって・・・その生身の身体がさらけ出されていく瞬間に、お客さんが立ち会う。だから一瞬一瞬生きている身体が、生きているお客さんの身体と同じ場を共有して、一瞬一瞬を一緒に生きる。それがダンスなんじゃないかなって思っています。」

ダンサーとして踊っている時は、どのような身体の状態が理想的な状態ですか?

「いい状態の時は、本当に・・・何が起こっても大丈夫って感じですかね。何事にも即対応できる身体がいい状態。逆にストレッチ不足などで怪我しそうだなって少しでも思っていたりすると、もう集中出来ない。また踊っている最中に、「お客さんにこういうことを思って欲しいからこういうふうに踊ろう」なんて、何かを考えながら踊ると言うのは邪念ですね。そういう意識が働いている時はダメで。
踊っているその場に集中して、その場その場で自己判断が出来て、なおかつ身体をぼんって投げ出せる時が一番いい。 そしたらお客さんの客席からの音も聞こえてるし、見えてるんですよね。公演のあの時に救急車が通ったとかってこととかも全部聞こえてる。「その場」ってものをリアルに把握できている時がいいです 。」

木村さんにとって拠点はどこになりますか?

「横浜ですね。横浜の人って横浜大好きなんですよね。住みやすいし。」

いま一番分からないことは何ですか?

「わりといろんなことが分かんない(笑)。踊っていても「こんなところにこんな筋肉あったんだ!」っていうのを日々発見したりしています。作品を作っていく中で、ちょっとずつ何かを発見していって、分からないことが分かるようになっていくってことをするために、ダンスをやっているような感じもあります。ある彫刻家の先生は、もう70歳を超えられているんですけれど、未だに「そっかぁ、足はこうなってたのか!」とか「鎖骨はこうなんだ!」って発見されています。そういう姿を見ると、幾つになっても勉強なんだなって思います。」

出演者写真・野口友紀

野口友紀

幼少より、踊りに触れる。2008年よりストリートダンスに没頭する中で、身体による表現への関心が高まり、2016年よりコンテンポラリーダンスを三浦宏之に師事。 2017年に初のソロ作品「某所」を上演。今年3月には、三浦宏之作品Works-M Vol.9「未だ来ぬ時へと過ぎ去るからだ」にダンサーとして出演。身体と向き合いながら、自らの表現方法を日々模索中。

ダンスの天地に応募していていただいたきっかけは何ですか?

「漠然と今年は「ソロ作品をやるぞ」っていうことだけは決めていたんですけど、何に出すかとか、いつ出すとかは全く決めていなくて、いろいろ出せそうなやつを探していて、「ダンスの天地」を見つけて、あっ出せる、出しておこうって感じでしたね。」

ダンスを始めたきっかけはなんですか?

「最初は、家の近所の公民館でやったお稽古みたいなジャズダンス教室でしたね。実際は全然ジャズダンスじゃなかったんですけど。普通にリズムダンスみたいだったんですけど。それまではサッカーをしていて。サッカーの女子部が人数少なくて廃部になってしまって。でも、身体を動かすのは好きだから、なんかやることないかなって。で、友達と一緒にジャズダンス教室に見学に行って。小さい時から踊るのは好きだったらしいんですよ、母親いわく。記憶ないんですけど。で、やったら?って言われて。やるやるって言って始めた。それが7歳の時ですかね。けっこう飽き性なんですぐに何でも辞ちゃうんですけど、ダンスだけですね、今もやり続けているのは。高校はダンス部で、創作やったり、神戸で毎年やっている『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』に出たり、『ミスダンスドリルチーム』にも出たりしてました。私の時は東京で5位以内になったらアメリカで開催される世界大会に行けて。行きました、ヒップホップ部門で。
高校終わってからはストリートダンスがやりたくて、大阪にとりあえず行こうってなって。近場でストリートなら大阪だろって思ってたんで。大学もどこでもいいからって適当に受験して関西大学に。で、そこのサークルに入って。他大学の子とかともチーム組んでいたりして、色々やりました。」

なぜストリートダンスをやろうと思ったんですか?

「高校の時に初めてやって、もともと小学校か中学校くらいの時に『チャンプル』っていうストリートダンスの番組があって。それを見て、これやりたいって感じになってましたね。で、高校のダンス部に入ってやって。さらに大学でもやるぞ、みたいな。大学終わってからもやっていたんですけど、就職を最初大阪でして、そのままクラブで踊ったりしてました。けど、転勤して宮崎に1年半くらい行って、で、知り合いが一人もいなくて、どこで踊るのかも分からないから、その間はもう何もやっていないというか、一人で公園とかで練習するみたいな感じで終わってて。で、仕事辞めて岡山に帰ってきて。岡山帰ってきてからも1年くらいはストリートやって。地元に友達がいて、その子が一緒にやろうって言ってくれたんでクラブのイベントで一緒に踊ってました。」

コンテンポラリーに興味を持ったきっかけは?

「自分のストリートダンスに限界を感じていて。音楽に合わせて全部作るんですけど、もう音取りで遊んでも別におもしろくないやって感じになっちゃって。クラブで踊るのとかも飽きてきて、もうちょっと変わったこと、ストリート以外のこと、音取りとか以外の何かでやりたいなというのがあって。それって何なんだろってなって、バレエでもないしジャズでもないし創作ダンスもちょっと違うしな。みたいな感じでコンテンポラリー。名前は知っていたんです。神戸の『全日本高校・大学ダンスフェスティバル』で、大学とかは結構コンテンポラリーっぽいものを出してきたりしてたんで。あと、大阪にいた時に知り合いにコンテンポラリーもやってますっていうストリートダンサーがいて、自由そうってイメージがあって。ストリートだと「それはヒップホップじゃない」みたいな考え方とかいろいろあるんですよ。そういう枠を取りあえず越えたくて、それがちょうどコンテンポラリーなのかなって。岡山でコンテンポラリーってどこで出来るのか知らなかったんで、とりあえずネットで調べて。で、三浦宏之さんのM・L・I M-Lab Instituteに2017年から参加してます。」

普段の活動として、ご自身での稽古もされているんですか?

「今はこの「ダンスの天地」に向けたクリエイションの最中なので、一人で場所を借りて、やってます。ストリートダンスをされてる人が自宅のビル一角を改装してスタジオにした場所があるんですよ。そこが一回500円で3時間借りることができるので、ものすごく立派な場所ではなくて床とかこんな斜めになっているんですけど、まぁ安いからそこ借りたり 、あと天神山文化プラザも空いていたら。結構埋まってるんですけど。近場で借りてやるか、あとはもう散歩しながら、その辺で。もともとストリートだから、野外とか外で普通にやってたんで。でもコンテンポラリーだと床でゴロゴロしたりするんで、土の上はダメだし、汚れるから。コンクリートは裸足で怪我したらあれだしなぁって。」

コンテンポラリーダンスを始めて、変わったことはありますか?

「呼吸ですかね。ストリートダンスを踊っている時って私ほとんど無呼吸なんですよ。コンテンポラリー始めて、呼吸が変わりましたね。呼吸した方が動きやすいということに気がついたというか。私って今まで息止めて動いていたんだなってことが発見でしたね。コンテンポラリー始めてから身体って面白いなっていうか、人間の身体ってよくできているなって。あとは脱力。意外と力入れて生きているんだなってことに気がついて、力抜いたら楽に動けるもんだってことも面白かった。」

呼吸や脱力、骨、身体の使い方や仕組みはコンテンポラリーを始めて興味を持ち出した?

「そうですね。知ったというか、もともとあるのに知らなかったみたいな。」

その変化はストリートダンスにも影響はありますか?

「ストリート踊るときにも呼吸とか入れますね。今までは無呼吸で踊っていたんで。踊っていての感覚の変化としては、疲れにくくなったっていうのは結構あるかな。体力はそんなにある方じゃないんですけど、ガンガン動いても息が上がらなくなった。」

野口のストリートダンスをご覧になった方からは、野口さんの変化は何か聞きますか?

「今はあんまりストリートストリートしてないやつをクラブで踊ったりしているんですよ。作るもの自体がおかしな方向にいってて。まぁストリートのイベントで踊っててもあんまり感想とかもらわないんで。言われない。「良かったよ」ぐらいしかないですね。」

野口さんにとってダンスの作品を作ることとはどういうことですか?

「ソロは自分との戦いって感じですね。作るのも踊るのも一人じゃないですか。だからずっと自分自身といないといけなくて、ソロを作る時は孤独な戦い。誰かに振りつけるっていうのは去年のカリキュラムでもしたんですけど、作品を作ること自体は喋ることに似てますね。あんまり喋るの得意じゃないんですよ。自分の思ったり感じたりしたことを言葉にするのがすごい苦手で、それの代わりに踊るみたいなところがありますね。」

作品を通してどんなことを喋っているんですか?

「その時気になっていることとか。作品によりけりですけど。作品のテーマとか。」

その喋るというのは、作品としてお客さんに見せることで、お客さんと喋るということ?

「そうですね。誰かに振付してとかだと、出演している人たちともですけど。」

一番に最初に作品を作った時はどんな感じでしたか?

「何からどう作ればいいのかな?みたいな。振付家さんそれぞれに自分の作り方みたいなのがあると思うんですけど、全くそれも分からない。ストリートダンスのショーケースしか作ったことなかったので。ただ、三浦さんのカリキュラムの中で作っていったので、アドバイスをもらいながら、試行錯誤しましたね。」

作ること自体に抵抗はありませんでしたか?

「それはなかったですね。もともとコンテンポラリーをやりたいってなった時から身体表現をやりたいって感じだったんで。喋りたいことがあったんでしょうね。」

それはストリートダンスの発表では出来ないようなことだったんですか?

「ストリートだとどうしても音楽ありきの文化なんですよ。音楽の歴史とともに踊りが生まれてジャンルがあるんですけど。だから、その流れから逸脱してはいけないみたいな。自分にとって、ストリートは表現するっていう踊りにはならないですかね。やっぱり。」

野口さんは振付家ですか、ダンサーですか?

「区別はしてるんですけど、振付家かと問われると言えない。まだ言えない。ダンサーの方が自分の中では強いですかね。人に振付をしたことはありますけど、振付家って言われるとどうか。私の中の区別でいうとまだそっちにいってないような気がします。」

振付家になるのに必要なことはなんですか?

「コミュニケーション能力ですかね。ダンサーは一人で完結させようとしたらでき出来ちゃうから。振付を貰う立場でのコミュニケーションはいけるんですよ。その能力はあるんですけど。自分のことを伝えていかないといけないじゃないですか、振付家だったら。それが苦手なんですよね。だからまだそっちの領域にたどり着いていない。目指してはいます。絶賛克服中なんです。まだまだなんですよ。」

自分のダンスや作品はどんな人に見てもらいたいですか?

「考えてません。強いて言えば、誰でもですかね。小さい子もありだし。未就学児童ダメみたいなの結構あるじゃないですか?べつに、子供の反応とかすごい面白いし。誰でも。犬でも猫でも。見てもらえるなら。」

相手からのリアクションは言葉とかの方がいいですか?

「いや、全然なんでもいいです。でも言葉にしてもらえるとありがたい。アンケート書いてくださる方はありがたいですね。あと、お客さんの反応は一番顔とかに出るじゃないですか。帰られる時の顔とか見れるだけでもありがたい。」

観客としてダンスを見る時は何を見ていますか?

「私あんまり文脈気にせずに見るんですよ。感受性がなくて(笑)。その作品が何を言いたいのかよく分からない感じなんで。身体とか、最近は結構照明とかすごい見てますね。演出の方の眼も増えました。ストリートダンスってクラブイベントだと照明は勝手に適当にやるんで、全然そういう眼で見たことがなかったんですね。最近その眼が増えて。あとは身体見てますね。表情とか。顔も見ますけど、指先とか。」

指先の身体を見ているのか、動きを見てるのか、どちらですか?

「動きも見ますけど、やっぱ身体のカタチの方を見ますかね。どうなってるんだろう?って。」

ダンス以外の分野で、ダンスに大きな影響を与えているものはありますか?

「大学が文学部だったんですけど、哲学専修で、その哲学をやったことはけっこう影響あるなって思いますね。ゼミの先生が変わった人で、大学教師なのに坊主でめっちゃオシャレで。「哲学は色んなことで出来ます」って仰っていて。卒業論文も題材は何でもよくて。私は舞踊学みたいなもので書いて。「ストリートダンスは芸術になりうるかどうか」って問いで。その問いについて論拠を立てて、結末を出すみたいな感じなんですよ。」

ちなみにどういう結論になったんですか?

「私は結局、芸術にしたかったんで、「芸術になりうる」って書きましたね(笑)。なりうるか?イエスって方の立場で書いていって。反論を何個か立てて、それにさらに反論する形で進めていって。そもそも芸術として認められているバレエとストリートダンスは何が違うのか?みたいなことを書いたりしたかな。ストリートダンスはそもそもあくまで大衆文化のレベルでしかなくって、バレエみたいに体系化されていないのではないか、みたいな感じだったような気がします。もう忘れましたけど。」

ご自身で踊っている時、身体がどのような状態であるのが理想的な状態ですか?

「感覚が全部開いている状態ですかね。私、視覚がすぐ消えるので、見えてないんですよね、周りが。全部開けてて、全部見えてる、全部聞こえてる状態が一番よい状態。理想ですね。なんか自分の内側に籠るように踊ってしまう時ってあるじゃないですか。ソロとかだと特に自分一人でやるので、お客さんいるのに籠りがちというか。それが開いたら全部ツーツーになるというか。その状態が理想ですね。」

それはコンテンポラリーもストリートも関係なく?

「そうですね。ストリートダンスのときは割と開いている時が多くて。コンテンポラリーはやっぱ舞台と客席が明確に分かれているので。ストリートの場合は、わーってその辺でみんな飲んだり喋ったりしているところで、ハイ、ショーケースやりますーってなって。お客さんからも野次じゃないですけど、いろんな言葉が飛んできて。けっこう舞台とお客の境界みたいなものが無いんですよ、だからあんま閉じないんですけど。コンテンポラリーは明確に客席と舞台ってなってるので。まぁやる場所にもよりますけどね。閉じちゃうとやっていて独り言喋っているみたいになっちゃうんですよ。一方的に見られる状態だけになると、風通しがよくないというか。」

野口さんはダンサー・振付家であることに対して不安はありますか?

「不安はないですかね、別に。不安はないです。」

野口さんにとって拠点はどこですか?

「今は岡山です。」

生活の何%にダンスがありますか?

「寝てる間は費やしてないな・・・。クリエイションに入ってからは常に考えてるというか、頭にはあるので。でも働いたりしてるからな。60%ぐらいですかね。生きていかないといけないので、お金を稼ぐ時間もいるし。貧乏暇なし(笑)。100%って言いたいですけどね、実際まだ60%じゃないですかね。」

逆に100%ってどういう状態だと思いますか?

「お金を気にせずできる人ですかね。実際にお金をもっていなくても、「生活していかないと」って意識を持たなくてもなんかやっていけてる、って状態になれてる人。」

今後の夢はありますか?

「夢?・・・生活の100%をダンスに費やすことですかね。」

それはダンスで食べていきたいっていうことですか?

「食べていくって言ったら違うんですけど、「生活していかなきゃ~」ってことを考えなくてもいい状態になる。だからといって専業主婦になるのも無理で、働くこと自体は辞めれないと思うんですよね。生きていくためにもそうだし、働いている時間って社会とつながる時間じゃないですか。そういうところから気になることが出てくるというか。誰かとか、社会とか関わっていく中で「これ!」ってものを見つけて、そういうのがテーマになってたりしますね。」

今の世の中はどういう世の中だと思いますか?

「どういう世の中なんですかね?今回作品にも入れているというか、テーマにしてるんですけど、のっぺりしてますよね。均一化されてきているというか、色んなものが。個性が弱くない?みたいことをすごい思いますね。全員スマホ持ってるみたいな状態とか。進化していっているとは思うんですけど、進化なのか退化なのかわからない、みたいな。子供とかだって、私とかちっちゃいときとかフツーに、外で元気に遊ぶじゃないですか。まぁいま熱中症とかあるからかもしれないんですけど、公園行ってもほとんど子供いないですし。それって進化してるのか、退化しているのか。」

それが今回の作品のテーマですか?

「均一化してるんじゃないかってことですね。女子とか顕著なんですけど、一人では何もできない、トイレにも行けない、ラーメン屋にもいけない、みたいな人いるじゃないですか。群れる状態になると、こう、ある一人の子が良いって言ったら、みんなも良いって言うか、違うって言いづらいっていうか。なんか世の中的にはそうなりつつあるんじゃないかなって。そういうことを今回テーマにしてる。」

ダンスの対義語ってなんだと思いますか?

「なんだろう・・・。対義になるか怪しいんですけど、「死」ですかね。死んだら動けないんで。死んでも身体はありますけど、動かなくなる。そこにその人がなくなるじゃないですか。ダンスは生活とともにあるものだから、やっぱ死かな。」

死ってなんですか?

「終わりと始まりの境目ですかね。あるところまで生きてて、また次が始まる。なんなんですかね、死って。」

いま一番わからないことは何ですか?

「今一番わからないことは、自分ですね。基本分からないんですけど。」

自分の何が分からない?

「何考えてるか、何したいとか、どうしたいのかが分からない。ダンスに限らず全体的に。それを見つけていくというか、自分で確認していくというのがクリエイションだと思うんですけど。ソロ作品を作る時は特に、自分の分からない部分に向き合う時間ですね。世の中で一番分からないですね、自分が。」

それはストリートダンスを踊っている時は、あまりそういうことを考えない?

「考えないですね。」

出演者写真・宮脇有紀

宮脇有紀

幼少時よりクラシックバレエを始める。16歳でオーストラリアにバレエ留学。帰国後、日本女子体育大学に入学。在学中、太田ゆかり、じゅんじゅん、上野天志の作品に出演。企業に就職後、国内ダンス留学@神戸6期に参加、自身の作品『Accord』を発表。修了後、ダンサーとして鈴木ユキオ、岩渕貞太の作品に出演。自身の創作活動では”パブリックスペースでのカラダの記憶と気づき”にフォーカスし、ソロ作品を発表している。

ダンスの天地に応募したきっかけを教えてください。

「ダンスの天地がスタートしたが国内ダンス留学の終了ぐらいの時期で、ちょうど成果上演でグループ作品を作っている時に自分のダンスの言語力というか自分のダンスの言葉って何かなっていうところに結構つまずいて。それをまた人に伝えるってなったときに抽象的な言葉しか出てこなくて、最終的に結構ダンサーに助けられながら作品を創ったっていうことがあって。 その過程を踏んでいる中で自分のダンスの言葉っているよなって感じて、ソロ作ろうっと思ったのがきっかけです。そこからソロの創作を始めたのがダンスの天地への応募がきっかけだったっていう。で、ダンスの天地自体のコンセプトも自明性を問うっていうところもあったので、それって今まさに自分がないっていうところというかそのソロの作品を作って行く中で探っていこうというか作り上げていこうとしているところと被っていたので、ソロを作り始めたっていうのがきっかけです。」

ソロを作るまでに国内ダンス留学でグループ作品を上演していましたが、その時はどういうコミュニケーションとか言葉を使っていたのですか?

「自分のやってみたいことを行為的というか、見せたいものを言うのではなくてその手前の方法を一個ずつ伝えていってみて、何が見えてくるか、自分の見たいものにそれが変化するかを過程を踏んでやってみたので結構ダンサーには遠回りさせたというか、いろんなトライ&エラーばかりさせてもらったみたいな感じでした。」

クリエーションにおける方法論は様々あると思います。その方法があるってことを知ることができた、振付家としていろんな過程があると思いますが、その方法をとった何か影響されているものや人とかはいたりしますか?

「国内ダンス留学の時に山下残さんはダンサーに任せてくるというか、やって欲しい行為だけ与えてそこから出てくるものを見て作品を作っていくっていうことが多くて、個人的にそれがすごく面白かったんです。自分の体にそんなものがあったのか見たいな発見もダンサーとしてあったし、作品としてそこに表れたときも他のダンサーも同じことが起きていたのでそこに結構インスピレーションを受けました。 シンプルなことだけどこういう風に変化できるんだって。それと同時にがっつり振付として渡す山崎広太さんとかもその前でやっていて。でも広太さんみたいにがっつり保定してやってもその後にダンサーから引き出されて行くものもあって。その両方の要素を使って作れないかなっていうのがきっかけです。 行為としてアプローチするだけではなくて、フィックスした振付っていうところからダンサーの個を引き出す。両方を使ってやってみたいなって。」

作品を作ることに興味関心が移ったのはいつ頃ですか?

「作品を作るってこと自体は大学の時から興味があって。大学の時も部活動で小さめな作品創作はやってはいたんですけど、大学の時は人数もいたってこともあったし、学内外での活動もそれぞれバラバラで、そのメンバー同士でダンス感について作品を見た後とかに話すこともあまりなくて。いざ作品をそういう人たちと作るとなった時、これなのか?みたいなところでいつもつまずいて。研究室で振付家を決める時に、研究室でプレゼンもあるんですけど通らないですよ。創作の機会が取れなかったっていうことも事実。興味はあったけど、学内の大きな公演の機会で振付するチャンスは掴めなくて、外でやろうっていうモチベーションにはならなくて。」

どんな内容プレゼンでは通っていましたか?

「私はプレゼンに方法的な、こういう形式でやって見たら楽しいと思うんですみたいな。プロセスみたいなところでプレゼンしたんです。でも周りの子たちはこういうコンセプトについてやりたいんだとか感情をつくような。最終的に見るものの感情をつくような観点で話ていたんです。観客が本当にそのように読み取るかは知らないけれどそういう観点から話していたんで、それが全然違ったかなと。私だけだったんですよ、方法論で話していたのは。」

それは今振り返ってどういう過程でしたか?

「あんまり今と変わってない。その時はまだ最終的に見えるものに手がいってなかったところはあったけど、やってみたいこと自体は変わっていないですね。トライ&エラーから始めたいというか。作る過程の方法で手探りで遊んでみたいというモチベーションは変わっていないんだなって。」

宮脇さんにとってダンスを続けるモチベーションはなんですか?

「私大学卒業後に一般企業に一回就職してるんですけど、就職しようと思ったきっかけがコンテンポラリーダンスをやっている中で社会の人たちというか、身近なダンスやっているとかやっていないの壁関係なく、身体で語り合えるコミュニケーションが取れることにショックを受けて。自分もそういう活動がしたいって、コンテンポラリーダンスに興味を持ったんですけど。もともとクラシックバレエをやっていて、バレエは決まった型があって、こういう身体の条件がないとダンサーとは言えないみたいなことを自分も突きつけられたので、そんな体の共有の仕方があるんだって感動して始めたものの、実際活動全部ボランティアみたいな。アーティストとしての価値、社会と繋がるとか言っているけど価値はタダなの?みたいな。どうやったら深いところまで関われるのかなって考えたときに自分が社会のことを全然知らないからそう思っているだけかもしれないし、もっと客観的にダンス界を見た時にどう思うかなと思って就職したんです。就職してみて、様々な業界の人と出会って話していろんなところに可能性があると思った。たくさんのダンスとは違う視点をもつ人に興味を持つようになって。ただダンスと離れすぎてしまった、自分と身体が離れてしまうとダンスの距離もできてしまって。それは原点から離れてしまったって感じたので国内ダンス留学でもう一度叩き直そうと思って。」

国内ダンス留学を選んだのはなぜですか?

「一つは時期がちょうどかぶったということ。あとダンスだけで都内で過ごそうと思ったのですが、そういう環境はなくて当時自分がダンスから離れすぎてコミュニティーが無さすぎて。1から作って行くのは大変だなと思って、オーディションとか受けたけどカスリもしなくて。こんな状態で都内にいても仕方ないなって。それならきちんと環境のあるところに行って叩き直したほうがいい。創ることにも未練があったので何か自分で創るってことをしないと何も起こせないと思ったので選びました。」

今は都内が拠点ですよね?それはなぜ都内に戻ろうと思ったんですか?

「きっかけがあったっていうのが一つですね。鈴木ユキオさんの作品にでることが決まっていたので、最初は様子見というか。実際に戻ってみたら種類は多いというか、バラけているけれども人に出会う機会は多いし、作品に出会う機会も多い。作品をみるってこともしていきたいので、見ないと作れない。そういう機会を考えた時にしばらく都内にいようかなと思いました。」

拠点をどこに置くかでダンスや仕事も変わってくると思います。関西と関東の違いは何ですか?

「東京は多様なコミニュティがあるので、隣の派閥とかもないし自分でいろんな視点を持って動くことができる。同時にいろんなものに触って活動して行くってこともできますね。関西はダンス留学でしかいなかったのでそこまで知れてはいないんですが、出来上がっている気がします。コミュニティとしての強さは感じています。ただ舞台見に行っても周りが同じ人とかそういうのは違和感ですけど。それは都内・関西エリア関係なくって感じで。同じ課題だなって感じるだけなので。恥ずかしい話、都内に出てから人の作品には出ているのですが、グループ作品は作ってなくて。時間と場所確保するのも難しいし、自分的にまだそのタイミングではないって感じているので。」

今のソロの創作は、どういう位置づけでやられていますか?

「自分のダンスの言葉をソロ作品を作っている中で作っていっているので、人に渡すときもそれで渡せるようにって。 私は自分の言葉ってなった時に同じ言葉を出して欲しいとは思っていなくて、自分自身が使っている言葉を投げられるようにしていきたいと思ってやっています。」

自分のソロの作品で使う言葉とか方法と人に何かを伝えるときって、違いはありますか?

「グループ作品を作るっていう回路に行く手前の段階の言葉が足りないと思っているので。それが今作っている言葉なのかなと思います。」

例えば今どんな言葉を使っていますか?

「自分にタスクを持って行って作っているんですけど、そのタスクを変換して作っています。自分がわからなくなっていく。その状態を作りたくて。混乱している身体の状態を作りたいんです。それができるような言葉を出して行ってるんです。自分の身体を混乱させてくれる要素とかタスクなのでそれが人に振付る時にも使えるんじゃないかなって。」

身体が混乱する時って、それはどういう時ですか?

「日常でもカラダって9割混乱していると思ってます。電話しているときとか混乱してますよ。口が優先して行っているから全身ついていってないじゃないですか。ニュートラルの状態じゃなくなっているから。自分がいったことない場所にいった時、身体が馴染むまでに少し時間がかかると思っていて。舞台に立つって非日常的なことじゃないですか。身体にとっては混乱状態というか興奮状態だと思うんです。 それをあえて作品に落として行くって難しいと思うんです。それを作る言葉を考えているって感じです。混乱している状態っていろんなものと混ざっているから、いろんな人いろんなものを共有している状態だと思っています。舞台の上で一番したいことはお客さんと共有している状態を作りたいっていうのがモチベーションになっています。」

宮脇さんにとって他者に自分の作品を見てもらうってどういうことですか?

「裸より中を見てもらってる気分です。気分というか見せてます、自分は。作家によって意図が違うじゃないですか。こうであって欲しいみたいな。多少は被っているかもしれないですけど、ダンサーとしてそこに立つ時にはできるだけさらけてる状態でいようとしています。舞台って何が起きるかわからないじゃないですか。作品自体も。余越保子さんも作品は生き物だって言ってましたけど。作品と向き合っているときに何か纏っていると何か思ってもいなかったことが起きたときにすごく怖いというか。何か起きるのが怖いと思ってしまう状態になってしまうなと思って。だから何が起こっても作品になれる状態が良い。ダンサーとしてそういたいと思うし、自分が振付家であってもそういうダンサーにいて欲しいと思います。作品になるのってお客さんを通している、交通があるから作品になると思っていて、その前はそこを目指しているけどまだ作品になっていないと状態だと思っていて。お客さんと共有する時間と場所があって初めて作品になると思います。お客さん無しでは作品ではないと自分は思っています。見てくれるお客さんで作品も変わってくるし、変わっていないとおかしい。ダンサーとして出演する時もそれは感じていて。お客さんとの交通を生むのがダンサーだし、作家が交通させたいことを自分がつなぐ。一つの橋みたいなものかなと。」

今後の夢ってありますか?

「この間マリアのWSをしまして、その時ダンス経験ない人とか全部で10人くらい参加してくれたんですけど。みんなアート創る力を持っているよねってそれに気づいていないというかそこに焦点を当てる時間がなくて。そういう時間にできたらいいなと思って。やってみたら涙出るほど感動してしまって。最後に一人1分くらいの作品を創作してもらって発表したんですよ。荒川の河川敷で。それがすごくいい時間で、もちろんそれまでにふんできたプロセスもよかったんですけど、それぞれのダンスだったんです。それにすごく感動して、みんな持っているんだなと思って。どんな人のカラダにも創る力があるんだなって。それをもっといろんな人とやってみたいですよね。ダンスって敷居が高いイメージなんですけど、河川敷の雑草とかがキラキラ輝いているように見える瞬間があったんですよ。そういうことを知っただけで明日からの一日が楽しくなったりすると思うんです。そういうのをいろんな人にシェアしていくのが夢です。」

宮脇さんにとってダンスの自明性とはなんですか?

「自分に問いて相手にも問うみたいな、それってあっているのかな。自明性って言葉自体が抽象的ですよね。でも、そもそも自明性を問うためにソロを作り始めたんですよね。自分自身をめくっていくって話をしたと思うんですけど、めくっていくイコール作っていくことなので、自分の解釈としてお客さんとの橋を作ることが作品だとして。自明性ってその交通をどんどん広くしていくこと。私はそう思って、自明性を問うんだってソロをスタートさせたので。開くためにスタートしたので、そういうことです。 振付家の人ってスタイルが確立してきてるねってよくあるじゃないですか?その人のスタイルっていうか。それって作品を作ることを何度もなんども繰り返してその人の中で譲れないものっていうか作品を作る上でもダンサーに求めるものもそうだし、がすごい確立してきてスタイルが確立していくみたいな。個人的にはそういう印象があって。それって自明性問い続けている、作品を作り続けて人と一緒に作っていって、ダンサーと一緒に作り続けていってそこに向き合っている。それがさっき言っていた自明性だなって思っていて。自分の言葉がないって最初に話したと思うんですけど、ソロを作り始めたときに自分のスタイルってわけではないですけど、自分のダンスって何かっていうところを積み上げるために作り上げるために作品がある。まぁそれのためにあるわけではないですけど、そのために働いているもの?になっているからそれって自明性を問うになっているのかなぁ、だから惹かれたのかな。最近出会ったアーティストの人と話していてすごく思ったんですけど、自分のスタイルがボヤボヤだから今作っていて、ソロダンスに必死こいてやっているんですって話したら、何言ってるの?もうあるじゃん。って言われて。結構外から見えているものを自分で見ることってすごい時間差があるというか。振付家ってわかるじゃないですか?周りがわかっていても自分自身が掴み取るまでって一個でかい壁がありますよね。身体には起こっているというかその人自身にはあるもの。これを自分の立場でないところからとれるかっていうところじゃないですか。」

今一番わからないことはなんですか?

「それは何に対してですか?なんでも?何に対してわからないかもないってやばいですね。リアルなこと言ったらこの質問が一番わからないんですけど。自分のことって一番わからないんですよね。きっと。だから作品作ることが楽しいだと思うんですけど。解いていくから、自分自身もわからないから質問していくことができるじゃないですか。だから自分自身が一番わからないのかなと。 超ピンポイントで言ったら、私車の中で生まれたんですけどなんで車の中で生まれたのかわからないし。まぁ、ただ早かっただけなんですけどきっと。おじいちゃんの運転する車の中で生まれて、そんなことを起こした自分がわかりませんって。おばあちゃんが自分のスカートキャッチしたらしいんですけど。おじいちゃんが運転していて前にお兄ちゃんがいてお母さんがポンって産んじゃったみたいな。でもなんかそんな中で生まれたせいかおばあちゃんに超懐いていて、それって一番最初に見たのがおばあちゃんだからじゃない?って周りから言われるんですけど、そんな記憶ないし。身体が覚えているんですかね?小さい時はおばあちゃんのところばかり行っていて、今もおばちゃん見るたんびに泣きそうになるというか。不思議ですよね、そういうのって覚えているもんなんですよね、なんか。 わからないことは自分自身です。」

ダンスの対義語って何ですか?

「難しいなぁ。だって生きていても死んでいてもダンスだって思うんですよね。でも死んじゃだめか。死んじゃったらダンスじゃないもんな。いや、でも美しい人は美しいし、対義語。ダンスの対義語。ダンスさせられていること?これ合ってる?させられている人ってかわいそうですよね。そういう人の身体って普通に生活している時よりも辛そうじゃないですか?おいしいもん食べている方が絶対いいだろ的な。だからそういうのを見るとかわいそうっていうか、ダンスって言葉がそこに挟まっているってことが悲しいなぁって思う。」

ご自身はそういう時はありましたか?

「させられている?それでいうとちょっとあります。自分のバレエスクールが、最初に行っていた方のバレエスクールがミュージカルとかが好きな先生で、そこに行っている人はみんなやれよって感じだったんですけど、歌も歌ってダンスもやってアクタースクールみたいなのがあって。でその中でも私は一番演技が嫌いで、歌はわりと好きだんたんですよ。でも別に感情を込めて歌うとかでなくて、ただ歌うって行為が好きで声もその時はそれなりに出てて、歌うまいね。宝塚行きなよみたいな。そういうタイプだったんですけど。演技が本当に嫌で。発表会でミュージカルのアニーをやったんですよ、わりとしっかりと。主役だんたんですけどでもその時に演技が嫌すぎてセリフが全部棒読みだったんですよ。その時はダンスしてなかってですよね。当時の自分はとにかくバレエがやりたかったし動くことが好きだったから、踊ること?バレエが好きだったのでバレエやりたかった。歌はまぁいいけど、バレエに比べたら優先順位は低くて。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「ありふれた言葉で嫌ですけど、生きていくことです。それ以外あんまりないかもしれないなぁ。自分の中でダンスってものの境界線がどんどん開いていて、もはや生きていくこと以上のように思えてきて、ダンス自体ができることが大きいことだから。歴史だから。未来も過去も含めて全部がダンスだから。自分は結局ダンスの一部でしかないって思っているんですよ。なんで、そういうことです。」

出演者写真・オームアムア(中屋敷南・中瀬俊介)

オームアムア
(中屋敷南・中瀬俊介)

中屋敷南:ダンサー・振付家。人間の感情、感覚、そこに内包された欲望の表出を、繊細で表情豊かな動きで表現する。 横浜ダンスコレクションEX2015最優秀新人賞受賞。
中瀬俊介:映像作家・ドラマトゥルク。広告映像やコンサート映像の演出を手がけながら、舞台創作に関わる。 2014年、PerformanceProject デルトーカを発足。 2017年よりDance Company Baobabに加入。

ダンスの天地に応募したきっかけを教えてください。

中屋敷「下村唯さんのツイッターで情報を知りました。 ちょうど横浜ダンスコレクションが終わった後で、こんなイベントがあるんだ、と。」

中瀬「僕もこんな情報があるよ、と南さんに教えていただいて、一緒に参加させて頂くことになりました。東京でやっていると同じお客さんが多いので、神戸の知らないお客さんは魅力でした。要項のところにもあった”ダンスのその先”という文言が気になったのもあり。僕は作っているものがダンス作品ばかりでなく、基本的にはいつも”作品”として作品を創作しているので”ダンスのその先”ということは、ダンス以外の部分も見てもらえる機会があるのかな、と。そこは大きかったです。」

普段からそういった情報収拾のアンテナは張っているのですか?

中屋敷「そうですね、常にアンテナは張ってます。主には、SNSですかね。募集とか単語が目に入ると・・・ですね。」

中瀬「その時期に何の募集がかかるか大体把握していますよね?」

中屋敷「毎年同じような時期に募集が始まるものは、なんとなく把握してます。」

その中で出してみようと思うものと、そうではないものの違いや線引きなどありますか?

中屋敷「あると思います。ちょっと思いつかないんですが・・・お金がかかりすぎるものはちょっと。」

中瀬「僕自身はコンペではない場所を大切にしていて。コンペは審査員に向けて作りがちですけど、そういうのは1ミリもやりたくない。お客さんに向けて作りたいって気持ちが大きいので、僕はそこも判断の材料にしています。」

今回オームアムアとしてお二人でやられますが、お二人でやり始めたのはいつからですか?

中屋敷「2年前の岡山であったの”踊場”というダンス公演の少し前ですかね。」

中瀬「そうですね。”踊場”に出した作品から一緒にやることになりました。いつも中屋敷さんがやりたいと持ってきてくれることが多かったので、僕もそこに乗っかる形でした。」

中瀬さんは映像とドラマトゥルクを兼ねていらっしゃるとのことですが、普段どういう姿勢で関わっていますか?

中瀬「基本的には裏方ですよね。裏で見守る感じです。Baobabだったり、もう一つ別のチームもあるんですが。そこでは作品に関しても、一緒に創作する感じですね。プラス内部批評みたいなこともしています。関わり方の距離を測ることは難しいですが、演出やダンスに関しては、あまり口は出しません。あとは主に作品全体の話をしますね。」

中屋敷さんは普段どういうところから作品づくりをしていますか?

中屋敷「今まではビジュアル的なところから入っていて、例えばこの衣装を着たいとか、そういったところから。でも、私の作っているもののテーマはずっと一貫していて、その形を変えるために見た目を変えているようなところはありますね。」

中瀬さんにドラマトゥルクとして入ってもらって色々話されると思いますが、中屋敷さんにとってはどういう存在ですか?

中屋敷「最初一緒にやろうと思った時に、映像の方だと思っていたのでドラマトゥルクとか、そういう作品そのものに意見できる能力が、こんなにあると思っていなくて。でも、あるなと思ったから一緒にやろうと思ったんですけど。単純に会話ができる。今までは自分一人で作って来たので、相手からのレスポンスがあるだけで自分の考え方に影響があります。肯定にしても否定にしても。」

中瀬「そんなに否定はしないけどね。」

中屋敷「そうですね。否定はあまりしないですよね。やり方の提案をしてくれますね。なるほど、そういう手もあるのか、となって考えが深まりますね。」

作品のクリエイションにおいて、お二人はどういうところから共有を始めますか?

中瀬「初期のタイミングでは、なるべくなにも言わないようにしてます。オリジナリティがそこで生まれると思うので。そこを崩すと南さんが持っている世界観が壊れてしまうと思うので、ある程度形が見えて来た時に、ちょっとずつ言っていきますね。最初から話し合って作る場合もありますし、場によって人によって関わり方は違っています。」

中瀬さんから見た中屋敷さんの世界観ってどういうものですか?

中瀬「最初に作品を見た時にすごくふざけて踊っているように見えて、ちょっと嫌な気持ちになったんです。でも見ていくと、ずっとふざけていたので。ふざけているというか抜いて踊っていたというか。なんで、ちゃんと踊らないのかなって。それを見続けているうちに、そういう作品てことに気づいたんです。それにすごく衝撃を受けて、この作品は面白いぞ、と。そこから、この作品は映像に合うなと考えて。ちょっとポップなところが作品の中にあったんです。そういったところが、映像を入れることによって、もう少し強調されるんじゃないかなとか、自分にできることがあるような気がすると思って、アプローチさせていただきました。だから彼女からアプローチがあったわけではないんです。」

一番最初に一緒に作品作った時のお互いの印象ってどんなでしたか?

中屋敷「最初に打ち合わせをして初めて、わかってくれるな、という印象を受けました。汲み取ってくれる力があるなと。簡単に言うと、話がわかる人だなって印象です。会話をしていて、ここまで話が合う?と私は感じて、そこに結構感動しました。それまでそういう人と出会ったことがなくて。感覚的にわかってくれるダンサーはいたので、そういう人とやっていくんだろうなって思っていました。いわゆるドラマトゥルク的な役割の人と出会うとは思ってなかったです。」

そういう人と出会って具体的に感じた手応えや変化はありますか?

中屋敷「タイトルが先に決まることですね。それはわかりやすい変化なんですよ。それまでは本番が終わってからタイトルがこれだったな、となることもあって、私はそれでいいと思っていました。舞台に乗るまでに自分で答えを見つけよう、と思っていたので。とはいえタイトルって大事ですよね。」

中瀬「タイトルが作品だと思っているんですよ。一番最初にお客さんの目に触れるのはタイトルなので。タイトルがあると、ズレても戻ってこれる。本当に嫌だったら変えればいい。そういう話はしましたね。」

中屋敷「最近は、必ずしもタイトルが先である必要はないと感じています。ただ、タイトルの重要度は上がりました。今までは、タイトルが良くても実物が良くなかったらなんの意味もないので、まあとりあえず見てよ、みたいなところがあったんですけど。タイトルをつけると、作品として責任が生まれる感じがします。」

クリエイション中に使う言葉の変化とかはありました?

中屋敷「出会う前も言葉の重要性は感じていて、作品を考える時も文字に起こして見たりしていました。中瀬さんは的確な言葉を投げてくれるんですけど、私が頑固なので自分の中で拾いあげられてなかったりする部分もあります。自我が強いというか。本当はもっとやろうとしているんですけど、そこはまだ足りないなっていう気持ちがあります。」

中瀬「僕は、この人難しい人だな、という印象がありました。今でもわからないですけど。そこをいつも雲をつかむような感じで、作品の話をしているところはあります。だから初期の段階で口を出さない、抽象が強すぎるので。だから、ある程度形になってから初めて話せるんです。」

形になったタイミングとは?

中瀬「例えばですけど、振り付けができた、とかそれを見たときとかですね。僕は色々言いますが、結局南さんが決めたことに結局決まることが多くて。それはそれでいいとは思っています。」

中瀬さんが映像作家として関わる時はどうですか?

中瀬「自分で映像の形が見えている時は自分の方からプレゼンします。南さんはいい場所、やりやすい空間を提供してくれていて。リクエストが強いわけでもなく、受け入れてくれるのでやりやすいです。僕が得意なところも見てくれて、僕が持っているものを欲してくれてるなと。」

中瀬さんにとって映像作家とドラマトゥルクの割合ってどのくらいですか?

中瀬「意外と変わらない気がしています。境があまりないように感じていて、映像なので援護射撃みたいな、後ろから、という姿勢は変わらないかなと思います。」

中屋敷さんは映像とダンスについてどう考えていますか?

中屋敷「対等っていうつもりで最初から考えていました。中瀬さんとやり始めた時は、私は自分のダンスに飽きてきていて。 当初、中瀬さんは、映像なんて誰も見ない、お客さんはダンスを見る、って言っていたことがあったんですけど、そうではなくて私のダンスが映像に食われるくらいになりたいと思っていて。 中瀬さんは、私がいい場所を提供してくれる、といって言ってましたけど、私にとっては舞台上でダンサーが活きるように工夫する感覚と同じと考えています。」

映像を見てダンスが変わることはありますか?

中屋敷「一番最初に一緒にやった時に、出来上がってきた映像が自分が思っているものと全然違っていて、なんじゃこら~ってなったことはありました。映像に食われると思ったのは2作目ぐらいですかね。実際にお客さんからも、映像見ちゃうって声もあって。それはそれでよかったんですけどね。」

作品の最終的な責任ってどこにあると思いますか?

中屋敷「今までは自分の責任だと思ってやっているつもりでした。そういう感覚が強かったですね。」

中瀬「僕もそうですね、中屋敷南の名の下にやっていたので。今回は彼女だけではないと思っています。」

他者に作品を見てもらうことはどういうことだと思いますか?

中屋敷「ありがちですけど、コミュニケーションだと思います。共感とかしてもらえたら嬉しいなって。・・・言いたくなさとかもあって、言葉が出てこないんですけど・・・。自分が見たいものを自分の手で作り出したいと思います。それが必ずしも共感じゃなくてもいいんですけど。最近、そういうことをしたかったら部屋で一人でしていたらいいんじゃない?人に見せるものじゃないよ、と言われることがあって。私の自己満足と思われているのかなって思っていて、そうじゃないんですけどね。」

中瀬「こんなものもあるんだ、ということを業界の人にもお客さんにも経験してもらいたい。結構この業界って、いろんなことがやり尽くされてきている感じがしていて、その中において僕は映像の人間なので、違う世界からエッセンスを持ってこられると思っています。」

ダンサー、振付家であることに対しての不安はありますか?

中屋敷「常に不安ですよ、名刺渡すときとか。単純に日本だと職業になっている人が少ないので。どこかで職業じゃないと名乗っちゃいけない感じがしていて。そんなこと本当はないんですけど、無意識のうちにそう感じているのかもしれません。プレッシャーとか。」

その人のダンスの価値ってどれぐらい大事にしますか?

中屋敷「結果みたいなことですかね。結果に拘ることは、対外的に必要だとは思っています。客観的な信頼みたいな。ただ一番大事なのは、自分が振付家、ダンサーであるということに対しての態度。そこに自信を持って示すしかないと思います。」

エントリーするのにお金がかかるものあるじゃないですか。投資するもの。そういうところへの投資って変わってきたりしていますか?

中屋敷「そこのバランスは常に揺らいでいます。私の責任が作品を作ることだとすると、そこにかかるお金、自分が払うお金は作品を作るっていう責任に含まれると思っています。世に出すために必要なことかなと。」

ダンスの天地ではダンスの自明性を問うっていうキャッチコピーを用いているんですが、それに対してはどう思っていますか?

中屋敷「もちろん自分の中にもそう言った問いは常にあるので、この道のりで問うていけたらいいなと思っています。ちょうど自分のタイミングとしても、作家としてのタイミング的に今までやってきたことに疑問があって。今回2人で出るので自分自身にかけていたしがらみから、少し自由になれるなと思って。感覚的にそういうことをする場にすごくあっていると思いました。」

中瀬「この問いを、どれだけの人が言語化できるのかなと思いました。そこで篩いに掛けられる可能性がある言葉なので。その差は作品にも現れるのかな。この答えが如実に作品に現れそうだなと思いました。いいコンセプトだな、と。」

ダンス以外の分野で影響を受けているものってありますか?

中屋敷「音楽とか家族とか。最近はフューチャーベースというジャンルの音楽をよく聞いています。テクノっぽい、電子音の。あとはリミックスみたいなものですね。音楽は父の影響を受けていて、詳しいわけではないですけど。自分の原風景として、どこかで家族で聞いた曲と、自分がいいなと思う曲が繋がっていたりしてます。」

一番最近読んだ本はなんですか?

中屋敷「素直に言うと、中瀬さんが書いた本があるんですけど、それを読んでましたね。最初出会ったときに、映像とセッションするつもりでいたんですね。映像を作る人がどんなことを考えているのか知りたかったんですね。人のことを知りたがるんですよね。そういうのもあって、読ませて頂きました。普段話していることが別の角度から見える気がして。単純に描写とかに共感ができて、作家として合うかもなーって。少しズレてしまうかもしれないですけど、人の作った作品を見てコミュニケーションをとりたいので自分も作品でコミュニケーションとりたいなと思います。」

今一番わからないことはなんですか?

中屋敷「自分がわからないですね。自分が何を求めているのか、ですかね。自分のことはわからなくてもいいんですけど、自分の動機になっている周りのことはわかりたいです。」

中瀬「僕が一番わからないことは、いまは中屋敷南ですね。でも、できた作品を見たときにわからないけれど納得するところがあるので、そういうところはアーティストだなと思います。わかるっていう感覚は理解だけではないと思うんですねよ。彼女の作品を見るみるとどこか腑に落ちるというか、それを言語化するのは難しいんですけど。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

中屋敷「道具であり、能力であり、コミュニケーションツールです。」

出演者写真・敷地 理

敷地 理

人体彫刻におけるポージングの選定と舞踊における振付の類似点、またメディアとしての生身の身体への関心から留学先のベルリンでパフォーマンスを作り始める。 あらゆるものが均質化し擬似化していく中での現実感の獲得と、上演空間を批判的に捉えることを目指し制作を行う。 最近の主な活動に東京芸術祭2018APAF、中之条ビエンナーレ2019など。東京藝術大学大学院在籍中。

ダンスの天地に応募したきっかけはなんですか?

「まず批評をして頂けることが大きく、ダンスだけではないですが発表しても何が良かった、こういう風に感じたとかそういった意見をしっかりフィードバックしてもらえる場があんまりないじゃないですか。今回こういったしっかりとしたフィードバックが設定されていることが魅力的に感じました。そして何より劇場が2日間公演前に使わせてもらえるのが素晴らしいなと。」

普段はどのような活動をされているのですか。

「大学院に所属をしているのでそこのスタジオで制作しています。ダンスだけではないですね。悪い意味でもいい意味でも自分とダンスには距離感があるので。」

ダンスに興味を持ったきっかけはなんですか。

「バックグラウンドに美術があり、その中で彫刻をやっていました。私にとってこれは彫刻、これはダンスというような区別はあまりないのですが。ミクストメディアの工房に所属していたこともあり、素材と向き合うより何をどう表現するのか。という問いが先に来てそのあとに手段としてメディアがついてくることが多かったです。その中で生身の身体で彫刻を作る方向に向かいました。その転機はベルリンでの滞在にあると思っています。パフォーマンスを見る機会がたくさんあり、アビニョンの演劇祭にも行ったりもしました。UdKは美術の他に演劇や音楽やダンスなどの学生が沢山いてそういう人たちと物を作る機会があり刺激になりました。物質としてそこにあることに魅力を感じて彫刻をやっていたのですが、ライブアートの持つ一過性のリアリティの様なものの力強さに惹かれました。それがパフォーマンスへの転換期のように感じます。メディアが後からついてくると言いましたが、それではダメだなという思いが当時強くありました。素材と真摯に向き合うこと。頭の中での作業でなく、素材と、物質との無償の対話がないと感動できるものは作れないなと。学部の友人達といる中で素材に対する無償の愛を持っている人たちが沢山いて憧れていたんですよね。だからパフォーマンスを作り始めたときにこれだという感覚がありました。ダンスというよりもパフォーマンスを作り始める中で所謂ダンスというものに自然とつながっていったのだと思います。」

ベルリンにはなぜ行かれたんですか?

「交換留学です。UdKを選んだのはヨーロッパ、特に若いアーティストの集まるベルリンに行きたかったからです。」

留学に行かれる前の敷地さんにとってのダンスの価値観について教えてください。

「高校生の頃からストリートダンスをやっている友達もいたのでダンスは知っていました。ローザスとかピナ・バウシュとか好きな人も周りにいましたね。フォーサイスのコレオグラフィックオブジェクトとかティノセーガルは知っていました。クラシックバレエとかは全然見たことがなかったのですが、舞踏は一度見たことがありました。水戸芸術センターで田中泯の踊りを見ました。それくらいですかね。なのでダンスに対する何か特別な価値観というものはなかったように思います。」

ダンスを自分の身体に入れてみようと思ったきっかけはなんですか?

「ベルリンにいた時、お金がなくて樹脂とか木とか石とか素材が買えなくて言語も違うし使いづらかったんですよね。それで自分の身体で作れないかと思いました。そこから色々やっている間に時間をかけて身体を作っていくダンスに興味を持ち学び始めました。自分で動かないと人と身体を通じてのコミュニケーションが難しいし、共通の身体の言語が欲しかったのがありました。ダンスの人の言葉ってよく分からないことがあるじゃないですか。背中を意識してとか。意味はわかるんですけど、経験のない人にとっては実感が持てない。言語が違うんですよね。それが最初は新鮮で面白かったですね。何を作るにも身体は切り離せないので、もともと身体には興味がありました。」

ダンス以外の分野・ジャンルで敷地さんに影響を与えているものはなんですか?

「たくさんありますね。そもそも自分が作るものも別にダンスと呼ばれなくていいです。身体はメディアとしてとても大切にしているんですけど、それと同時に客席の作り方だとかどういうコミュニケーションを空間に設定した上でものを見るのかっていうのが僕の中ですごく重要です。他の分野だと一番は音楽かもしれないですね。」

これまでにどれくらい作品を作ってこられたんですか?

「本当に些細なものも入れると20ぐらいですかね。数えたことがありません。」

敷地さんにとって人に作品を見てもらうことをどのように捉えていますか?

「作品を作ることによって外の世界をどう見ているかということが少し分かってくることが面白いと思っていて、出てきたものに対して何が面白いのかを考えることが好きです。無意識的に選択しているものに対して、バックグラウンドになにがあるのか。見てもらうというのはそういう過程を観客と一緒にやるということでしょうか。でもシェアすることには臆病ですね。だって怖いじゃないですか。100%面白いとは思っていないし、1000人いたら1人がとても面白いと思ってくれる人がいたらいいかなと。それでもやっぱり色々な人達の支えがあって、表現をすることが出来ているからどこかのタイミングで返せるもの、何か日常から少し離れる時間の様なものを恩返しではないけどそういった体験を社会に返していきたいとは思っています。そういう瞬間が作れたら嬉しいです。後はパフォーマンスはお客さんを迎えてやってみないと分からない要素がかなりあるじゃないですか。ビジュアルアートとかとは違って。今回はどうなんだろうって、そういうところが見てもらうこと、見てもらい方が違うなとは思います。」

夢はありますか?

「幸せになりたいですね。作ることを通じて幸せになりたいです。作品を見てくれる人も含めて。環境に作らされることもあるし、辛いこともあるけど作ることを楽しみ、幸せでいたいです。作り続けていって、生きていてよかったなと思えるタイミングに遭遇したいというか。人間的じゃないですか?物も情報も溢れた社会の子どもとかって以外とクールだったりするじゃないですか。そのクールさが夢とか持たなくなるというか、よりリアリズムなのかなと。夢というワードに対して嘘っぽさとか薄っぺらさがある。目標と夢は違うし。質問から逃げているだけなんですけど。でも作品とかを作るって自分の理想を求めていく作業というか、それ自体が夢を作っていることでいいんじゃないでしょうか?少し近い次元のような気はするので。」

今一番わからない事ってなんですか?

「むしろ何がわかっているのかが知りたいです。分かるってなんなんですかね。自分が一番わからなくて、結局そこに対して作品を作っている。自分とか私という概念、それに対して物質的な自己との曖昧な繋がりだとかアウトラインだとか。自分の外側に自分と似たような対象としての相手とか世界があって、その周りの認識の一番最初の自分っていうものがいかに分からないか。それを広げていく形で作品を展開していく。ベースは全部一貫してそれらがあるつもりです。わからないことが面白いと思うんですよね。例えば、初めて会う相手や久しぶりの友人とは話すことがいくらでもある。けどずっと一緒にいると話すことが少なくなってきたり、退屈してしまうときがある。それも幸せな瞬間だけど、そこには一部に結局分かっていない相手に対して分かったと思っている自分がいるんだと思うんですよね。恐らく。理解したつもりになってる。家族や友人、恋人でもそうだと思います。未知で変化し続けていて新しいはずなのに、いつの間にか忘れてしまうときってあるじゃないですか。」

今回の作品について教えて下さい。

「この前構造主義についての本を読んでいて。フロイトから始まってレヴィ・ストロースとかジャックラカンとか出てくるんですけど。その中で大人になるための二つのプロセスの話があって。一つ目が子供が小さい頃に鏡に映った像が自分だって認識することで。それって大きな矛盾というか、つまり像だから自分じゃないわけじゃないですか。自分は自分で映っているのはあくまで像であって、その像と自分の関係をまず築かないといけなくて、そこにある大きな矛盾をまず受け入れないといけない。諸説あると思うのですが、他の多くの動物がそれはできないんですよね。これによって近代的な外側からの私という概念が自分の中に生まれる。そこから何の話が来るかっていうと、ラカンは精神分析の人で世の中に生きている人は全員3つの精神異常のタイプに分類できるっていう話をしてて。それがルールに対してその人がどう反応するかで3つのタイプに分けられると。1つ目はそもそもルールが入ってこない人。例えば時間の概念が上手く入ってこない、時間が連続したものだというルールにはまれない人。障がいのある人と会う機会があって、そのとき会った男性は、僕が会ったときピタって止まった状態でずっといるんですよ。話しかけたりしても。話しかけたら返してくれるのですが、本人の身体は止まっているんです。で、なぜなのか尋ねるとその人は時間が壊れてしまうからというですよね。つまり時間の継続性っていう経験的に獲得された世界の見方みたいなのが急に崩壊すると考えていてそういう行動に出ているわけです。ルールから抜け落ちちゃう。だから今自分が少しでも動いたら自分が今まで築いてきた世界が壊れちゃうんじゃないかと本気で考えていて心配で動けなくなっている。あとは抑圧。家をきれいにしないといけない、自分をきれいにしないといけないとかそういうのが入りすぎると、今度は潔癖症になる。倒錯はルールが入れ替わっちゃう。どこか自分の中で。で、程度の差はあるけど全員どれかに当てはまるって言ってるんですよ。その度合いが強く出てると社会的に異常と見なされる。その話が僕の中で結構ヒットしたんですよね。外側のルールっていつも不条理じゃないですか。生まれてくるタイミングとか状況とか、自分の能力とか、日常で突然あう暴力とか不幸とか。そこで見えてくる自分の限界とか人間の限界を見ることが僕にとってポエティックなんです。そういう意味でも人間を見るのがとても好きです。頑張っている人ってグッとくるじゃないですか。走っている人とか。怪我していて順位も確定してもう身体が壊れていて一見走る意味もないのに走る続ける人とか、コップの表面張力とかギリギリのラインって僕にとって魅力的で、それがある意味で不条理が結びついているんですよね。自分にできないことが前に出てきたときに、自分の無力感とか、有限性とかそういうものが突然立ち上がってくる。その中でそれらとどう向き合っていくのか。それが震災とか9.11とかISISとか今起きていることと概念的なものが繋がって来たんです。作品としては意味がわからないことが飛んでくるのが重要なんですよね。それまで成立していたものが、築き上げて来たものが外側のわけわからないものによって崩されていくことが。」

普段はどういう人から作品の意見や感想をもらったりするんですか?

「学部時代の友人とかダンスの友人とか色々ですね。ダンスの人と美術の人は見方が全然違いますね。美術の人の方が厳しいように感じます。その点ダンスの人は優しくて好きですが。美術の人はこれいる?とかこの要素一つだけで作品作れるじゃんとか。これ俺に見せる必要ある?とか。そもそもダンスを特別扱いしませんから。身体的なテクニックじゃないところに面白さを求めて来ます。」

どんな作品だったら観に行こうって思いますか?

「DMに惹かれたものですかね。DMとかトレーラーをみて面白そうなら見に行きます。あまり答えになっていませんが。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「難しいですね、、人間についているラベルのようなものが剥がれることでしょうか。いろんな記号とかこれまでの経験的にこの人はこうだとか、日本人ってこうだとか、太ってる人は、痩せている人は、女性は、って。そういういろいろなものから逃げようとすることでしょうか。いつも思うのが、いわゆるダンスになる前の部分が私にとってのダンスなのかもしれません。それが私にとって大切で、どうやったらダンスが生まれてくるか。どうやったら外側に内側のものが出てくるか。それが起こる空間の行き来?そのラインが私にとってのダンスかもしれません。明日には全然違うことを言っているかもしれませんが。」

出演者写真・久保田 舞

久保田 舞

1995年生まれ。埼玉県立芸術総合高校にて舞台芸術を学んだのち大東文化大学に入学。
モダンダンス部に所属し創作活動を本格的に始める。
韓国芸術総合学校公演、シンガポールM1 CONTACT Comtemporaly Dance Festival、福岡ダンスフリンジフェスティバル、韓国NDA International Festival等で振付作品を発表。
YDC2017コンペティションⅡ奨励賞受賞。

ダンスの天地に応募していただいたきっかけを教えてください

「出演者募集のチラシは見かけていて、その後は友人のプッシュで割と突発的に決めたんですけど、発表に前後に重きを置いているというか、その部分のサポートがあるというのが大きいです。最近出る公演やコンペティションも、、前後って大事だなって。最近はそう身に沁みているので。」

これまでご自身のクリエイションにおいて、前後というものをどう過ごされてきましたか?

「振付家としては、公演前とかは自分の世界にこもってしまうことが多いので、ソロだと自分だけになっていて、それを誰かにぶつけるってことはあまりなくて。ダンスについてどう思っているとか、参加する企画についてどう思っていますかっていうようなことオープンに話すことってあまりないし。その振付家やアーティストが何を思ってどう考えているか。そんなことを話すことができない。割とインになってしまうというか。後になると、見てくれた人と話す時間はあるけれど、ぱぱぱって終わっちゃったりとか深いところまで話せなかったりするのでそこの認識の違いだったりとか、どう感じてもらえたのか、何が伝わったのかをじっくり自分の中に落とし込んだり、聞いてみるってことがない状態。全てではないんですけど。」

今までどれくらい作品は作ってこられたのですか?

「初めて作ったのが、高校の時で、高校が県立の総合芸術学校だったんですけど、授業の一環でモダンダンスの授業で作品を作ることがあって、そこから興味を持ち始めました。大学に入ってからは、大学の自主公演とか全国大会にむけての作品を作ったり、卒業してからは一つ創ったものがフェスティバルに招待されたりと再演の機会が多かったので卒業してからは5つくらいですかね。そんなに多くないです。」

久保田さんの最近の活動について教えてください。

「最近だとオペラの舞台に関わっていて、1年前に受けたオーディションに合格して今稽古に入っているんですけど、広崎うらんさんが振付演出をされていて、演劇やミュージカルの舞台、コンサートなど幅広く演出や振付を手掛けている方で。で、なんでオペラかなんですけど、自分が振付とかする中でダンスが自分のまだ知らない現場で、今回でいえばオペラでどう活きているのか経験したくて。ダンスカンパニーに入ってその振付家のもとどっぷりと踊ることに浸るのも選択肢にあったのですが、ちょっと違うエリアを覗けないかなって思っていて。その稽古場が刺激的で、すごいストレートに振付とか表現を組み立てていく、その場で物語と音楽と身体が融合して伝わらないといけない。その瞬間瞬間が記録に残っていく、ダイレクトに伝わる感覚がすごいある現場で。エネルギッシュでオープンだなって。今自分に足りない要素だし、今までなかった環境なのですごい刺激的です。」

クリエーションの時の求めることはどんなことですか?

「その人の考えと身体を寄せようとしなくて良いって感じですね。ちょっとわかんないくらいでやってもらえると、違うベクトルに気づくことができるっていうか。で、そこから新しいアイディアが生まれることも多かったので、そこまで私の言ったことに忠実に臨まなくてもいいよって、むしろその人のスタイルとかが見えた方が嬉しいなって。最近はソロの活動が多くて自分の身体に対しての問いかけみたいなのが多すぎて、対ヒトになった時にどうなるんだろうって思うんですけど。これまでデュオはあったけど、トリオは初めてなんですよ。どうなるのかな、実験してみます。」

作品を作る上で人数についてどう考えていますか?

「作品をやりたいってなった時に、最初に浮かんだイメージが二人で。単純に自分の身体ともう一つの身体。対峙するものだったりとか、っていうのが出しやすいなって。2っていう数字が。デュオかソロかっていうのをこだわっていたわけではないんですけど、求めていた?そういう表現をやりたかったのかなぁ。コミュニケーションは、ダンスも全部そこにつながってくるなって思った時に、自分以外の対ヒト、大勢っていうかまず一人と向き合う。それが大事だし必要だなって思ったことと、途中からソロが多くなってきたことは、今一度自分の身体だけで何ができるんだ、ソロで何ができるんだってってことをやりたかったんだと思います。」

作品のイメージなどはどこから得ていますか?

「いろいろありますよ。音の時もありますし、使いたい道具とか、今回はラインとか線のイメージがあって自分たちの身体以外に違う物質があったらいいなって。ざっくりしたイメージですけど、そこから膨らんでくることもあるし、いろんなところから広がっていく感じ。いつもこれからみたいなルーティンは特にないですね。あと最近だとコラボレーションが多くて、相手も変わっているんですけど、どの作品も暗い?ちょっとダークだよねって言われます。意識は全然してないんですけど。明るいつもりで作っても暗いって言われますね。身体の持つ雰囲気なのか、何かが暗く見えるらしくて。」

久保田さんにとってダンスの作品を作るってことはどういうことですか?

「特別なこととは思っていなくて、初めて高校生の頃に作った作品、あれもやりたいことが確かあって、それが授業とかレッスンではないところで溜まっていて、それを形にしたいって思っていたんですよ。ある日突然、ポッておりてきて作りたいって欲求が出てくることが多いので、力んで作るっていうよりかは。でも作り始めると常に悩んでいますね。ソロだと同じところをループしちゃうようなイメージになってしまって。また同じところで悩んだ。とかなんでこうだったんだっけ?とか、最初にやりたい!って生まれたものが考えていくにつれて余計なもの、空回りみたいなことが起きてきて、そうなると全然おもしろくなくなくなっちゃう。こうしなければならないとか。テーマとか。そんなことを考えだすと全然楽しくない方向にいっちゃうかな。最初の純粋な気持ちを忘れかける瞬間があるんです。そういう時に考えていた事を人に話すってことをするんですけど、話すことで思い出したりするんですよ。」

これまでに影響を受けたダンサーや振付家はいますか?

「身近で行くと大学の先輩で10コ上の奥野美和さん、は結構影響受けていて、美和さんの作品を見ると絶対泣いちゃうし、いいなって思う瞬間がたくさんあるなって。動き方も受けていますし。普段ダンサーの仲間ともこういうことを話すんですけど、あんまりそういう人が出てこなくて。いいとこ取りみたいな感じはありますけど。あとはインバル・ピントやシディ・ラルビ・シェルカウイ、ピナ・バウシュも見るし。ホフェッシュ・シェクターとか。」

最近、印象に残った舞台は何ですか?

「2017年2018年にシンガポールで開催されたダンスフェスティバルに参加して、そこの舞台はアツかったですね。どの作品も面白かったんですけど、イタリアかな?男性のソロの作品がめちゃめちゃ良くて。たぶんストリート出身なんですけど、音もそうだし瞬きできないくらいすごく素敵な身体の使い方をしていて。美和先輩もそうなんですけど、想像しないような身体の展開をどんどんしていくんですよ。でもそれがテーマと合っていて、自分も共感してしまってグッとくるというか、三位一体っていうか。すごい印象に残っていますね。共感できる作品はすごくいいですよね。舞台に乗っているその人が何を思っているか、テーマとは関係ないかもしれないですけど、何を思って身体を動かしているのかがちょっとわかった気になるというか。その世界に入り込める余白のある作品を作るアーティスト、は観客として入り込んでいけるというか。共感って一つの言葉だけじゃない、共感みたいなもの。だいたい舞台に上がってから3秒くらい見ると、興味があるかないかがはっきりしてくるんですよね。その作品にどれぐらい向き合っているか、とってつけたその場限りのものかどうかが分かる気がするんです。だから舞台の前後を丁寧に過ごしたいと思っています。」

生活の何%をダンスに費やしていますか?

それこそあんまり区分していなくて、ただ単純に思い返すとベーシックな自分の身体を見返す時間がないですね。例えば、バレエで言うとバーレッスンする時間がないとか。作品の制作に追われていると、身体がどんどん凝り固まってくるなって気がするので、からだを見直したり整える時間も増やさないといけないなって。そういうダンスへの費やし方もまたしたいなって。」

今一番わからないことってなんですか?

「世界がこの後どうなっていくのかが不安すぎて、2020とか大丈夫かなって。オリンピックの時に爆発するんじゃないかとか変なことばかり考えていますね。今のアレですけど、先のこととかあまり考えたくなくて。10年先まで計画して歩んでいくタイプじゃなくて、その時その時で考えないと余計なことを考えてしまう。2030年とかどうなってるんだろ、ダンスってどういう形で残ってるんだろうとか。必要なのかとか、観る人いるのかとか。でもそれをどんどん逆算してダンスの可能性を追求したり変容を見届けたいとは思います。」

ダンサー・振付家であることに対しての不安はありますか?

「ないかな。無責任に聞こえるかもしれないですけど、ダンサー・振付家で生きていかなくてもいいと思ってたり、今のベースは確かにダンサー・振付家でやっていきたいと思っていますし、と思ってるんですけど、それが違うものに変わっていってもいいかなと思っているので、そこに不安はあまりないかな。今やれることは限られているし、アタックするものがあるから、ないって言えるのかもしれない。」

久保田さんにとって、作品を見てもらうことはどういうことですか?

「単純に自分がやりたいことが身体を使ってどう伝わるか。っていうことを答え合わせじゃないですけど伝わったかな?って。見てもらえないと返答がないじゃないですか?だからそこは本当に大切な落としどころというか。みる場所もそうだし、もちろん人もそうだし海外は韓国とシンガポールしか行ったことがないんですけど、見方が全然違っていて。お客さんの。今この瞬間に感動してるとか、拍手くれたり、身体を揺らしてくれたり、今伝わっているって感触があるんですよ。でも日本って割と静かな状態のこととかが多くて、どう伝わっているんだろう?とか静かに見ないといけないのかな?って雰囲気が海外はあんまりなくて。私が出た公演は。よかったら拍手と声援だし。同じ作品を、見てもらう場所を変えていっていろんなレスポンスをもらいたいですね。」

そのレスポンスは久保田さんにとって大切なものですか?

「伝わっていたことがあっている合ってないとかは捉え方なので様々あっていいんですけど、どれだけ渡せたかってことは大事かもしれない。何を思ったかとか、連想するものがあったとか。観てもらった人の文化や経験で返ってくるものは違うのでその分、より色んな場所で色んな方にレスポンスを頂けるのは貴重だと思っています。印象に残っているのは、学生時代のダンス部の監督の言葉なんですけど、形になっていたり、やっちゃおうとしてやっている、踊ろうとして踊っていると言われて、それは言われて以降作品創りや、踊る上ですごく気にするポイントになりました。踊っててもわかるんです、今これはやっちゃっているなとか、そう自分で感じると必ず言われる言葉だったので。」

ダンスの自明性についてどう考えていますか?

「身体として、時間を紡いで空間に残るもの。そこから、見いだせる身体の過去と未来みたいなものがこだわりを発信し続けることで見えてくるものかなと。言葉で表すのはわからない寄りなのでそれに対してどうアタックするのか、それは今回の公演の他のアーティストの人たちの作品も楽しみです。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「私の人生です。って感じじゃないし、ダンサー・振付家であることに対して不安がないっていったこともそうなんですけど、ダンスは通過点かもしれないし、最終的なゴールかもしれないんです。今歩いているところがダンスって感じで、きっと変わっていくと思うし今は身体表現が持つ可能性や限界をダンスとして求めていきたいです。」

出演者写真・みゝず(菊池航・高野裕子)

みゝず(菊池航・高野裕子)

菊池航と高野裕子が2018年に結成。 共にダンサー、振付家。 呼吸を感じ、互いの間に生まれる行為や言葉のない対話を重ね、晒し、踊りとしていく。 これまで京都、神戸、深野(奈良県宇陀市)、浜松、東京などで屋内外でのパフォーマンスを行う。 又、普段の稽古を公開し、本番と稽古の「間」を見つめる企画「みゝずの公開稽古」なども継続開催している。
https://www.facebook.com/mimizu2018

ダンスの天地に応募したきっかけはなんですか?

菊池「これまで1年くらいこのユニットで活動していて、いわゆる舞台のフィールドでパフォーマンスをすることがあまりなく、最初にこのユニットでパフォーマンスをやったのはダンススタジオで、「舞台」という感じでもなくて。その次にパフォーマンスしたところは奈良の深野というところの山とか。畑やその周辺の地域を借りるという形でいろいろと協力してもらって、そこで踊るってことをしていて。舞台やステージといった設えられたところでない場所で踊ってきて、コンテンポラリーダンスの文脈での舞台や場所的にも、京都のライブハウスUrBANGUILDではやっているものの劇場的な場ではパフォーマンスをほぼしていないので。という中で劇場でやる機会、また他にもダンスをやっている人が何組も出る、という枠組みの中で何かをやることもいいかなと思って応募してみました。」

なぜこれまで舞台以外の場所で踊ってこられたのですか?

高野「このユニット自体が、2017年に西宮市甲東ホールという場所で上演させていただいた「息をまめる」という作品のキャストの一人として菊池くんに出てもらって、それが終わったあとも今まで積み上げてきたものを続けていきたいね、って話になって。半年間くらいは稽古をずっとやっていてその流れでこの淀川の河川敷にも来て稽古したり。最初から自分たちの方向性は野外でとかこういうやり方でって決めていたっていうよりは、自然とそうなっていったってことはあるかもしれない。この場所で踊ってみたいねとかこんな面白い場所があんねんけど一緒に踊ってくれへん?っていうことの繰り返しで、たまたま野外とか劇場ではない場所でやってきて、その流れの中でまた次の場に 出会ってって感じかも。稽古だけをひたすらやっていたのが半年くらいで、そのあとパフォーマンスを2018年6月に神戸にあるSTUDIO BOX169という場所で音楽家の米子匡司さんと一緒にやらせてもらって。そこからFOuR DANCERSに2回出させてもらったり、奈良県の深野という場所や浜松、東京のカフェムリウイという場所で音楽家の舩橋陽さんと一緒にやらせてもらったり、なんやかんや結構やっている感じです。」

菊池「あとは公開稽古を6回、7回くらい、様々なところを借りて。最近は桃谷のnyi-maという飲み屋というか、説明するのが難しいけれどジャンルレスな場所があって、そこは元々演劇的なパフォーマンスをやっている人がやっているお店で。そこのイベントに結構出たり。あとは同じく桃谷にある古い倉庫でみゝずで企画をやったりですね。」

今回改めて劇場で作品を作ってみようと思ったのはなぜですか?

高野「二人とも今に至るまでは全然違う文脈で踊りを続けてきていて、私自身はわりと劇場やホールで作品を作ったり自分が出たりすることがあったり、でもそうじゃない場所でも踊ったり、差異があんまりないっていうか、自分がここいいなって面白いなって場所でずっと踊ってきていて、ギャラリーとかもそうだしここの河川敷もそうで。それを一緒にやることができる仲間が見つかって改めて今自分たちがやってきたことを劇場という誂えの場所でやるってどういうことなのかなとか、どういう風に自分たちがやってきたことをやれるのかなみたいなすごくいいチャレンジやと思っていて。じゃあそれをどういう風にやれるのかなって、いい機会をいただけたなって私は思っていますね。」

菊池「最近は自分のパフォーマンスではほぼほぼ劇場で、劇場のスタイルでやることが本当になくて。ここ数年だとしげやん(北村成美さん)のダン活、大阪の八尾市にある公共ホール、プリズムホールの、一般の方たちと一緒にダンス作品を作って上演するという企画に2年連続でアシスタントとして参加させて頂いて、それはプロセミアムのあるホールでステージに立って、客席にお客さんが座っていてという一般的な劇場の形での公演でした。それ以外だと最近参加させてもらっているのはアンチボ(ANTIBODIES Collective) とかなんで、そこも全部空間から作るので客席がどうでとかそういう感じではない、というところでやっているのでそこで培ったものやみゝずでやっていることを劇場に持って帰るというのはどういうことかなっていうことを考えてますね。」

劇場とそうでないところに対してのそれぞれの魅力はありますか?

菊池「ある種劇場は全部思い通りになるけれど、その分全部もっていかないといけなくて。そうでないところは、そこにあるものと一緒にやる。けれど全てが思い通りにならない。こういう風にしたいとか計算をすること、照明などもそうだし理想形みたいなものを求めていきやすいのかなと思います。劇場は何もないからこそなんでもできるとは思っていて、それぞれの劇場にも固有の持っているものとか雰囲気はあるけれど。そういうことを考えると劇場外の方が最近は楽しいですよね。」

高野「劇場ってそれを見るための集中力みたいなものを確保しやすい、見てもらうための空間を作りやすい場所だと思うんです。屋外ってのは突発的に何かが起きてしまったりとか雨が降ってきたり誰かが横切ったりとか。そういうことも含めて作品になるから面白いし難しいところもあるかな。あとは見る人の 見方ですよね、ここから見てくださいとかではなくて私たちの身体の在り方もそうだし観客の在り方も自由というか。だからこそ「こういう見方もあっていいんじゃないかな」って自分たちが思う場づくりを提示できる楽しさと難しさがある。私自身、劇場でパシって見ることも好きだし、見方を設定されていないことも好きなんで。自分なりの見方がそこにあるってことなんでしょうね。」

みゝず でのお二人の関係について教えて下さい。

高野「その時のからだの感じにもよるんですけど、それも含め隠さないで出来る相手ですかね。例えば人間やから、疲れている時もあるし、二人ともよし!って時もあるし、今日これやりたいってことがあったらそれを伝えることができる。言ってくれる時もあるし、その時その時でお互いの興味を共有できる、興味を磨いていける相手ですね。」

菊池「始めた時からそうだけれど、割とコンタクトのようなことを見え方としてはやっているものの、別にテクニックとしてのコンタクトインプロビゼーションというわけではなくて。裏側というか奥の部分のやり取りをしている。というのは、他の人とはできないことで。みゝずだからできること、結果そうなったというか。」

今まで見てきたもので印象に残っている舞台について教えて下さい。

菊池「最近面白かったのは、砂連尾理さんと佐久間新さん、野村誠さんが3人で豊中市立文化芸術センターでやっていた「問題行動ショー」はめっちゃ良かったです。奈良のコミュニティアートセンター&福祉施設のたんぽぽの家の方と、もともとこの企画のスタートが韓国の巨大な福祉施設に野村誠さんがアーティスト・イン・レジデンスに3ヶ月くらい行っていて。そこで向こうの方と一緒に何かするってことでたまたま砂連尾さんと佐久間さんが、野村さんが韓国で何か面白いことをやっているってことで見に来て、そこから一緒にやろかってなったみたいで。その舞台には韓国の施設の方も出演者として来ていて、それならと佐久間さんがたんぽぽの家の方と繋がりがあるので一緒にやろうかとなり、そして野村さんが日本センチュリー交響楽団のコミュニティプログラムディレクターをしているのでそこからも参加されていて。パフォーマンスはほんまに自由で、本人たちが本当に面白がってやっているし、もちろん客観視されていることなんだけど、みんなが楽しんでいる。奇を衒うわけではないし、ただただそれを一生懸命に楽しんでやっている。そしてちゃんと演出して見せてくれるし、それでも自然にやっているからそれが面白かったなって。最近はダンスよりも即興音楽とか美術方面から音楽に入ってきた人のパフォーマンスにすごく興味があって、僕たちが一緒にパフォーマンスさせてもらった米子さんって方もそうなんだけど、音を奏でるために作られた楽器ではなく、自作の装置からの物理現象によって音が鳴る。完成している楽器を鳴らして、音楽のために音を鳴らすのではなくて物理現象としてなっている音を音楽にしていくこと。逆の感覚というか。しかもその装置の音の鳴る仕組みに光の要素が加わっていたり。それも全部装置の物理現象として必要なこととしてやっていることが照明になっている。」

高野「月一くらいで大阪・此花区で開催されているPALADEという音楽イベントがあって。その拠点とされているPORTという場所に集まって、みんなで移動しながら、街中や公園、河川敷で一人や一組が演奏していく。
前回行った時、その時すごく疲れていて行くのを悩んだんやけど、行ってみると、良い意味で干渉されないというか。「ここから観てください」とか「この角度から観てください」とかでなく、各々の思うまま、感じるままに眺めたり聞いていて良い、寝転んでても、近づいても離れても良いという状態があって、それがすごい感動しちゃって、1人で涙ポロポロ流して観ていて。
その体験は私たち自身が、これまでやってきたことや今度やる作品にもどこかしら反映されているんじゃないかな。
ドレミファソラシドっていう音楽も音楽だし、ここにある音も音楽に聞こえてくる状態ってあると思っていて、自分たちが実際に行った場所の音とかをパフォーマンスで使ったりしてます。でもそれは旅行の思い出とかではなくて、そういう視野や聞き方、眺め方があっていいんじゃないかなみたいな気持ちがどこかにあるし、自分たちがそれを面白いって思っていることもあると思います。
あと私は2010年に10ヶ月だけベルリンに行っていたことがあるんですけど、即興音楽を聞く機会がたくさんあって。ミス・ヘッカー(Miss Hecker)というアパートの一室にあるイベントスペースで、トリスタン・ホンシンガー(Tristan Honsinger)っていうチェリストのおじいちゃんのパフォーマンスを見て。すごい近い距離でううーって唸りながら即興をしていて、その姿が忘れられないというか、なんやろ、身体全部で演奏している。なにがって言われたら言葉で上手く言えないんですけど、圧倒されるっていうか心に残っている。そういうところ趣味嗜好みたいなところで重なっているところはあるんじゃないかなって。ダンスももちろん見るけど、音楽やっている人のイベントを一緒に見に行ったりするし、菊池くんとはそういう共通点もあるのかな。」

年を経るにつれていってかわっていくダンス観はありますか?

高野「私は6歳の頃からクラシックバレエを習い事としてやっていたんですけど、小4か小5くらいからめっちゃ面白いと思いだしたんけど、やっぱりバレエとかは体型とかを気にするじゃないですか。で、私は本当に小さい時からこの体型やから、大好きなんだけどなんか違うなって思っていて。でも役とかを想像することがすごく好きで、そういう面を育ててくれる先生がいたり、一人遊びとかをずっとやっていたんです。そういうので大きくなっていったんですけど、大阪芸大に入る時にAO入試で初めてソロを作ったんです。で、大学に入ってから作品を作るって面白いなって思いだして、もう少しそれをやりたいってなった時にそのために必要な身体言語をもっと知りたいなって思って神戸女学院大学に入って。で、卒業してベルリンに一年行って帰ってきて。で、今から6年くらい前に腰の手術をしたんですけど、それまでは人に振付をしたり、作品を作るってことをしていて、自分が踊るとかってことに興味がなくて、っていうのはすごい劣等感の塊だったんです、どこかで。踊り手としてよりは、作ることも好きだったので、それをずっとやっていた。で、手術の時に本当に立てない状態からもう一回立つ歩くって動作からやりだした時に自分の身体感覚ってすごい面白いなって思って。そこから身体のことを学んだりし始めて、自分の身体の感覚とかそれを開拓していくことに興味を持ち出して、自分も踊りながら作品を作るって活動の中で菊池くんっていう活動を一緒にできる仲間と出会って。自分を繋げていってくれるものって感じがします。」

菊池「根本のところはあまり変わってない気がしています。昔からダンスにおけるムーブメントだけというよりもそうではないところ、振る舞いや行為から起こる動きのほうが大事なんじゃないかなと思っていて。淡水をコンスタントにやっていた時は構成やムーブメント、音などに注力していたけれど、自分の踊りとしてはあまり反映されてなくて。淡水をあまりやらなくなった時期からはいろんな方にダンサーとして作品に呼んでもらって、東野祥子さんもそうだし山下残さんや、しげやんもそうだし。そこからようやく自分が思っていたことを色んな方のメソッドを通して自分の身体に落とし込んでいく手段が少し分かったかなという気はしています。 それとは別に高野さんの作品に出させてもらった時に、今までの自分の舞台での立ち方というか存在のさせ方が全然違うなと思いまして。それまでは存在としてどう強くあるかを追求していたように思います、少しニュアンスが違うけれど「強く」という言葉しか今出てこないんだけど。高野さんの作品の時はいかに周りとつながることができるかが重要というか、形として何かが見えるわけではないんだろうけれど、感情の深いところ、すごくパーソナルな部分を共有することができたように思えて、それを作品の核として舞台の上に乗せることができること。それを認識できて、いいなって思えたことは転換点かもしれない。」

今一番わからないことはなんですか?

高野「なんで飛行機は飛ぶことができるんやろってことがずっとわからなくて。何回も乗ってんねんけど。毎回搭乗口でうーってなりながらゲートくぐってますね。はい、ごめんなさい。菊池くんは?」

菊池「人の興味の幅。みんなもっといろんな種類の舞台やパフォーマンスをジャンル関係なく見たらいいのにと思います。ダンスはダンスだけとか、音楽は音楽、美術は美術とか。それで収まるようなことはもはやしていないのに、そこだけしか見ていなかったら切り捨ててしまっている要素がすごい多そうだなって。僕が博識だとかでは決してないし偉そうなことを言うつもりもないんですが、もっとジャンルレスにものを見て欲しいなって思ったりします。」

なんで飛行機は飛ぶと思いますか?

高野「wikipediaを何回も見てるんですけど、多分閲覧数にだいぶ貢献してると思うねんけど、でもあんなに大きなものが飛ぶってことは全然わからん。自分の肌で確認できないと信じられなくて、っていう意味です。」

ダンサー・振付家であることに対しての不安はありますか?

菊池「質問として何に対しての不安なのかが、よくわからない。 例えば、経済的なことはなんとかしたらいいんじゃない?と思うし、それはダンサー・振付家であることに対しての不安ではないと思うし、問題が別なことで。自分がやるべきと思えることをやる。それで生きていけたらいいんじゃないかなと思います。」

高野「私もそんな感じですね。ダンサー・振付家だから不安ってことよりも生きていく上で、普通の生活の中で不安とか心配とか喜びとかあるけど、今自分ができることを丁寧に丁寧にやっていくことが大事なんじゃないかなと思います。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

菊池「自分自身とか?自分のダンスは表現というわけでもないし、そもそも表現は表現であると言ってしまった時点で本当の表現でなくなると僕は思っているので。何かの手段と言われればそうなんだけど、自分自身かなぁ。根底にあるのは自分なわけだし。それを誰かに伝えるかもしれないし、それで何かと繋がるかもしれないし。それは人なのかもしれないし、もっと違うものかもしれないけど、そんなことをやっているのは自分自身なんで、自分自身だと思います。」

高野「自分自身ってこともそうだし、それをやっていることで自分を見るきっかけになったり人と繋がったり繋がらなかったりってことも含めて、ここに居られる。それがあるからここに居られるってことかなぁ。それを通して居るっていうか。好きなんですね。それを誰かとやったり観てもらったりすることで、そこにいろんな循環が生まれていくことが面白いなと思っています。」

出演者写真・Umishitagi(中西ちさと)

Umishitagi(中西ちさと)

Umishitagiとは、ウミ下着のバンド編成版グループ。「バンドやろうぜ!」と呼びかけたダンサーで構成される。
ウミ下着:中西ちさと(振付家)、福井菜月(ダンサー)による五感に訴える身体表現をモットーに掲げるダンスパフォーマンスグループ。日常や無機物、天災等様々な素材をユーモアを交えながら踊りに変えていく。解説付き公演やラジオ番組型公演が普段ダンスを観ない人にも楽しめると好評を博している。

ダンスの天地に応募して頂いた理由を教えてください。

中西「最初は見られなかったんですけど、2回目(vol.1)の公演は見られたんです。そのとき結構面白いなと思って、あとフィードバックがあるっていうのがでかいなと思いました。最近自分で公演をうつとかは多かったんですけど、いろんなダンサー達がいる中で作品出すことがなかったので刺激をもらいたいと思い、応募しました。」

普段はどのような活動をしていますか?

中西「普段は自分のやりたいことを純粋にやる!って決めたときは個人名義で活動しています。劇場の外に出たいとか、踊り+違う仕組みを入れてお客さんに参加してもらう参加型パフォーマンスユニットが「ずぶとじぶ」です。 ウミ下着は劇場でやることが大前提で、普段ダンスを見ない人も楽しめるようなつくりを作ることに重きをおいているのと福井とやるってことですかね。」

最近の活動について教えて下さい。

中西「ここ2年継続してやっているのがウミ下着のハッピーラッキーレディオダンスと言ってUrbunguild(京都にあるライブハウス)でラジオ番組の形式をとってトークを入れつつ自分たちの作品とゲストの作品を発表するものがあります。それが近々の活動ですね。個人としては子供向けとか釜ヶ崎のおっちゃん達とのダンスもずっと継続してやっています。普段ダンスをしていない人達と何かを作るっていうことが結構多いです。」

釜ヶ崎での活動はどのくらいされていますか?

中西「釜ヶ崎は6年くらいですね。平均年齢が70くらいなんですよ。みんなの体が心配で。みんなやりたいこともモチベーションもバラバラなんで無理のない形で彼らのやりたいことをちょっとずつ引き出してあげられたらなーと思っています。もともとは全然興味がなかったんですけど、釜ヶ崎をやり始めてからみんな踊りたいんやな〜とか踊りの魅力に気づいてない人ってこんなにいたんだなっていうことに気づけて、これを続けていきたいなと思いました。」

どういった瞬間にそのようなことを感じますか?

中西「思ってもみなかった提案が出てくるときとかですかね。歩んできた人生が明らかに私たちと違うっていうことがあって、そこに触れさせてもらっている。短いダンスの時間でもそういうものが掴めたなっていう瞬間があることが面白いと思っています。」

ずぶとじぶでの活動について教えて下さい。

中西「ずぶとじぶは私がじぶで振付家・演出家。ずぶが言葉とかビジュアル担当。ずぶとは高校の同級生で1年生の時だけ同じクラスでした。めちゃくちゃ仲が良かったわけではないけど、面白いやつだなってお互い思っていたんですけど、ある日突然彼女がふっと「一緒にやりたい」と言い出して。
「私が言葉の部分を担当するから、あなたは踊りで参加してほしい」みたいな感じになって。高校のときから二人ともはみ出しものだっていう意識があって、彼女は高校の国語の先生だったんですけどそのときも普通の国語の先生ではなくてかなりぶっ飛んでいたみたいで。そういう二人で何か作って見ようってなったんです。
「注文の多い小劇場」っていう企画は空家になった家(インタビュー場所・旧ずぶ邸)をアジト的に使って何かパフォーマンスとかできないかなという話からはじまりました。彼女の周りにいる子は文学的な子が多かったので別の角度、身体を使うっていうことで私に引っぱっていって欲しいということで始まったんですけど。彼女は以前からよく私がお金がないことを気にしていてくれていまして(笑)ダンスの公演もよく見にきてくれていたんですが、「公演のチケット代が安すぎないか」とよく言われていました。スタッフにはきちんと渡すのに頑張っているダンサーにはあげないっていうのは「好きの搾取」なのではないかっていう話になって。こういう状況でやっていますっていうことをお客さんにも知ってもらう必要があるという話になったんです。「注文の多い小劇場」ではずぶとじぶ・アーティストで入場料を半々で割る。応援料をお客さんから直接アーティストに渡してもらうっていう形式を「注文の多い小劇場」ではとることにしました。応援料の金額は具体的には知らないんですけど、私達にくれるお客さんもいます。小さい手紙も一緒に入れてもらっていて、手応えはアーティストが嬉しそうっていうことですかね。応援料ももちろん、その小さい手紙がその理由だと思います。アンケートとはまた違っていて……例えばポエムとかが書いてあったりとかしますね。なんか生っぽいし、血が通っている、新しいコミュニケーション方法を生み出せたらなと思っています。
このずぶ邸は木曜日と土曜日に開けています。物作りをするサークルではないですけど物作ったり、句会を行ったり。ギャラリーとしても使えます。二階は人形劇の劇場もありますよ。」

ダンスを始めたきっかけはなんですか?

中西「ダンスを始めたのは大学からで、大学の授業でダンスの授業があったことが始まりですね。もともと身体をうごかすことは好きだけど、いわゆるボールを使ったりすることが多い体育の授業は苦手でした。苦手意識があったのでダンスとかやりたくないなって思っていたのですが、大学で即興の時間とか、先輩が踊るのを見たときになにこれ変なの、面白いなって思って。自分は踊りたかったんだって気づきました。普通に生きていたらダンスを見るってなかなか無いじゃないですか。初めて見たのがBATIKの「SideB」だったと思うんですけど、なんじゃこりゃ!って。なんて面白い世界なんだ!と思ってハマっていきました。
自分では授業内で作品を作ったりとか自主公演とかで作品を作ったりしていました。その頃は作家が作らなければならないって意識が強くあって、作家性ってものを確立したいって思っていました。ウミ下着は卒業するときに結成しました。」

ウミ下着としての活動はそこからどのようにしてきたのですか?

中西「コンペ出したりもしつつ、自分がいま訴えたいこととか社会と通じてテーマを決めてそれと格闘するっていう感じでずっと活動していたんですけど、だんだんそういうことに限界を感じていてもっと対話したりして作りたいなーって変化していきました。基本的に若いときは常に怒っていて、社会に対してだったり他人や自分に対してだったり。それがすごく原動力になっていて、私怒ると背中がとても熱くなるんですよ。このエネルギーを放出しないと生きていくのが無理だって思っていました。踊るとそれが落ち着いたし、表現して行くことでその怒りを潰して行くというかクリアしていく感じで作っていましたね。最近は怒りをそんなに感じなくなってきて。怒っていてもしょうがないなって考えられるようになりました。「怒る」ってパワーは大事にしていきたいなとは思っているんですけど。破壊衝動的ではなく建設的になりたいと思って。単純に稽古場がギスギスしたりするのが嫌になってきて。筒井潤さんの作品に出演したときになんて淡々と演出するんだって衝撃を受けました。全部言葉で説明できることにびっくりして。普段の私の演出とは逆なので大反省しましたね。
腹たつこともあったと思うんですけど、怒るのではなく自分のやりたいことや作品の向かうべき方向にダンサーや役者を持っていくことが本当の演出家の仕事だなって。感情とかではなく作品を構築していきたいなって思いました。そこから出演してくれる方と対話をすることに重要視して行くようになりました。喋ったり、過ごしたり。これが一つ目の変革ですね。」

今回の作品について教えてください。

中西「変革が結構出てるって先ほど言いましたが、いっぱい話して作って行くことの最たるものみたいなものになってきています。今回バンドでやるって言っていますが、私はバンドリーダーっていう立ち位置をとっています。振付家では無いという状況で作っていて、ほぼみんなでダンスを持ち寄ってそれを形にして行くっていう感じで作っています。今回のような作り方をした方がより面白いものができるのではないかと思って始めたんですね。単純に決定権って振付家にあるじゃないですか。一回そういう責任から逃れたいじゃないけど、そういう責任はダンサーも持つべきなのではないかと思って。決定するのは全員で決定する。
バンドっていう形態をとって役割を決めてしまえばダンサーみんなで納得いく作品ができるんじゃないかなって思っていて。それぞれが独立した役割を持って全員で話したり提案したりする状況で作っています。振付家がいてダンサーがその振り付けをしっかり踊るっていうことも素晴らしいし、頭がいないといい作品ができないかもしれませんが、私の場合は決定権を自分だけで持ちたくない。ダンサーも納得して踊っている状態、全員がほぼほぼ同じ納得度合いで踊るってことはできないのかなと思って。公演とか見に行って裏話とか聞くじゃないですか。ダンサーの不満とか……。なんで稽古中に解消できず本番まできてしまったのかな?って思うことが多い。それは振付家が権力を持っていたら言い出せないってことがあるのかも?と。私はただ「バンドやろうぜ」って誘っただけの人っていう状況にしたい。みんなちゃんと責任持って「これはお前らのダンスだから」っていう状況を作りたいって思いました。できる限りフラットな状態にはするけど、私が声をかけたっていう時点である程度パワーバランスはあるし、年長、男女とか同期とか色々あるとは思うんですけど、そういう中で波みたいなものはできるとは思うけど。それが全てマイナスになるとは思っていないです。お客さんには仲良いバンドなんだなといい意味で思ってもらいたいです。建設的なことをやっているってわかればいいかなと思います。」

作品を作るということとその作品を他者に見てもらうということはどういうことですか。

中西「これよくわかんないんですよね。別に仲良しをアピールしたいとかは全くないんですけど、こういう形で出るものはなんだろうって。実験ですね。あるこういう過程をしてきた結果を見せたい。実験結果をお見せするって感じ。でも、作品としても成立していたいと思います。 若い時は「こういうものがしたい!」とかあったけど、今はそういう感じではなくなってきててゴールが見えないからやっているみたいなところがあって。あんまり想像せずに作品を作り出してる。舞台の上に乗っている自分たちを想像することを放棄してやっているから、本当に科学実験みたいなことをして、本当に結果を見せる。結果が面白かったらいいっていう状況でやっているんですかね。
あとは最近ライブに行くことがあまりなかったんですけど、行ったときにすごいコンテンポラリーダンスの舞台とは全然違っていて本当に観客ありきだなと思ったんですよ。その場と観客とパフォーマンスするバンドメンバーとかが直で対話しているわけではないのに行き来しているっていう状況が、ライブ自体がすごいクリエイティブな空間だなと思って、そういう状況が作りたいって思いました。ダンス公演観ている時によくわからなかったこととかあるじゃないですか。作品と自分って遮断されているような、分断されているって感じることがあって。それが良い悪いではなくて、そうではないことってできるんかな?って思ったのがきっかけかもしれないです。
それってダンスを見に来てるお客さんも要因を作っているかもしれないって思っているんですけど。「何を作ってきたんですか?」みたいな。「何を見せてくれるんだろう」とかっていう状態で見に行っている人が多いのではないかと思ってて。楽しみにきてるのかな?って。楽しいだけではないんですけどね。もちろん。見に行くお客さんもモチベーションや求めているものが違うし。音楽なら没入しに行く。その音楽の中に入り込もうとしていたり、見にいくというより参加しに行っているっていう意識が強いのかなって思います。スタンディングとかだと、ずっと立っているし体も動かせられるし、動いていることで一体感みたいなものが生まれるじゃないですか。でもコンテンポラリーダンスってイスがあってそこに座ってある程度静かにしてみるっていう状況がベーシックだと思うんですけど、観客と舞台ってばしーっと分断されちゃう。構造上そうなってしまう。演劇もそうですけど。その違いはなんなんだろう?そういう状況でもノれたりってできんのかな?って考えてやってみてるってのはあるんですけど。」

他者にダンスを見てもらうことについてどう考えていますか?

中西「質問に質問で返しそうなんですけど、そもそもダンスっていうものが見てもらうために始まったのか?みたいなところがあるじゃないですか。だいたいの人が踊りたいと思って踊りだす気がするんです。そこからまず歪みみたいなものができているのではないかみたいなことは思っていて。私は見に来る人との対話ができるようなもの、ダンスを通じて対話をするっていうことですかね。こっちが一方的に話してて対話じゃないかもしれないけど。私がかつてBATIKのダンスに衝撃を受けたように、自分の作品でも感じてもらえたらいいなって思っています。」

対話をするためにどのようにアプローチしていますか?

中西「バンド形式にしたっていうのも対話がしやすいと思ってやったっていうことがあって。座っているお客さんを立たせるところまでいけたら面白いんですけど。それは求められていないかもしれないから強制はしたくない。でもまず座って見るっていうことから疑問に思ってみたらどうだろうとか違和感を感じて欲しいです。それで立っていいんだよって状況を作り出せたら成功じゃないけど、また違う形のダンス公演っていうものが発明できるんじゃないかなって思います。」

立ちたいとか身体動かしたいとかっていうことはどういうところから生まれてくると思いますか?

中西「ダンス見てる時ならないですか?身体が反応してしまうこと。それはきっと魅力的な動きをしているからなのかなって。見ているダンサーと自分の体がシンクロしている時があってそういうことがあると面白いと思ってみています。」

好きな音楽はなんですか?

中西「なんでも聞きますよ。もともとバンドはすごい好きです。くるりとかBLANKEY JET CITYとか。スピッツも好きだったし、椎名林檎とか。」

ダンス以外のジャンルで中西さんに影響を与えてるものってありますか?

中西「今回に関してはバンドとかライブパフォーマンスとかですね。嫌いなものが減ってきていろんなものに飛び込んで行ってるんですけど、ミュージカルとかも昔は嫌いで。突然踊り出して恥ずかしいって思ってたんですけど、面白いじゃんって思うようになってきて。ジャージーボーイズっていうミュージカルを見てから思ったんですけど。いわゆる商業媒体に乗っているものに影響を受けているというか、成立してるショーになっているもの。今までは陽に当たるものに関して引き目をすごく感じていて。成立していないものとか苦しそうにやっているものにすごく惹かれていたんですけど、そうじゃない光の部分をみるとやっぱり光たる所以があるなって。これに熱狂している気持ちがわかりますね。そういうことを認められるようになった今、一番影響受けてますね。」

今までで一番印象に残っている舞台について教えてくだい。

中西「かなり前ですけど、ヤンファーブルの”わたしは血”っていうのと”主役の女が男である時”が面白かったですね。単純にビジュアルが強烈で、オリーブオイルの瓶が大量に舞台にぶら下げられていてそれを栓外して液体が落ちて行くんですけど、その中で踊り狂うっていうやつだったんで。それを彩の国さいたまの大ホールで一人でやっていて。1時間くらいあったと思うんですけど、一人でそこの空間を制圧していてすごいと思いましたね。」

ダンサー、振付家であることに不安はありますか?

中西「職業として名乗っていいのかなっていうのはあります。それこそダンスに身をおいていない人とかと話していると、稼げてるんですか?みたいなことを言われたりすると、それだけでは無理なので・・・じゃあ名乗っていいのか?みたいなこと。名乗って強制的にその場にいますっていう。言うことで覚悟を決めるっていうのはありますが。
でも不安じゃないのかな・・・馴れてきちゃっているのかもしれないですね、この状態に。作品でもなんでも揺らいでいるものが好きなんですよ。自分も揺らいでいたいというか、そういう意味では不安があるっていうのはいい状態かなって思います。」

今一番わからないことはなんですか?

中西「わからないことだらけですよね。自分と他の人の境目みたいなものがよくわからないです。わたしはなんでも誰でもいろんな人のことを理解したい欲が強くて、でも理解できないことってあるじゃないですか。その時に自分と他の人が混ざりすぎてよくわからなくなってしまうことがあります。よく夫婦で夫は他人だしとかって言うじゃないですか。でも家族、親も他人ではあるし兄弟も他人。でも他人とは言いたくないし……みたいな。他の人と自分、繋がりがある・ない。ものの区切りみたいなものはどこでつくのだろうってことがわからない。どっからが他人でどっからが他人ではなくなるのかなって。それがわからないです。」

今後の夢について教えてください

中西「具体的にいうとこのバンドのツアーしたいですよね。巡回ツアーみたいな。メジャーラインのものを摂取することに積極的なのでメジャーとアングラなものがぐちゃぐちゃになる状況を作り出したいなって思います。」

中西さんはダンスってものにどれだけこだわっていますか?

中西「ダンス、踊ることが苦手で、うまくいかないからやっています。だからうまくいかない限り執着すると思います。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

中西「切り離せないものですかね。」

出演者写真・Arts For All(Alain Sinandja)

Arts For All(Alain Sinandja)

トーゴ出身。ECOLE DES SABLESにてGERMAINE ACOGNYに師事、コンテンポラリーと伝統的なアフリカンダンスを学ぶ。アフリカ、ヨーロッパを中心に数々のフェスティバルにて作品発表、出演。2017年に来日。翌年、神戸新長田にてダンスフェスティバル「AFRICAN CONTEMPORARY NIGHT」を企画・主催。現在は神戸に拠点を置き、国内外にてダンサー振付家、講師として活動中。

ダンスの天地に応募したきっかけはなんですか?

l don’t know all of the event happening in Kansai but dance no ten chi is one of biggest l know and two time now l join first as performer second as audience.In this event until now the quality of performers, company selection and staff structure is in high quality of program, it very big and good opportunity to show my work as choreographer and know more dancers and dance company.

関西で起こっているすべてのダンス公演、イベントを知っているわけではないけれど、「ダンスの天地」は大きな機会のひとつだと思います。vol.0ではパフォーマーとして、vol.1では観客としてこのイベントに参加しましたが、選ばれているカンパニーや出演者たち、スタッフ・プログラムの構成など、質の高いものだと感じます。そして、私にとっても振付家として作品を発表すること、それから、日本のダンサーやダンスカンパニーを知るとても良い機会となると思ったからです。

ダンスを始めたきっかけを教えて下さい。

What is reason who makes you started dancing?
l didn’t have particular reason to start dance,because since child l always dance.And if l want to be little pragmatist l can say l take it from my mother who always like dance too.Professionally l can say that it because in my family am not use to talk too much and dance was the best way for me to express my emotion also it was period that in Africa contemporary dance company can denounce thinks who are not good for the society and community to eggiest the government.

私がダンスを始めた特別なきっかけはありません。物心つく小さな頃から、いつも踊っていました。もう少しはっきりとした理由としては、母親がダンスが好きだったことの影響もあると思います。プロフェッショナルとしてダンスを始めた理由は、家族の中で口数の少なかった私にとって、ダンスは、自らの感情を表現する最も良い手段であり、また、当時のアフリカでは、コンテンポラリーダンスのカンパニーは、社会にとって良くない存在や、政府に反抗するコミュニティーにとって良くない人物などを、ダンスや作品を通して批判、非難することができる手段だったからです。

最近の活動について教えて下さい。

Now am in challenging and difficult period because l have wife and baby and my focus is not only on my career as dancer and choreographer,but also as father and husband.it difficult financially for me, because not only in japan in world it every difficult to live only by dance specially went we have to take care of our family.But am happy from this new changing of my life because it help having not only dancer and choreographer mind, but as a creator of arts in general,and l can receive a lot of inspiration from this new life.Until now l still managing how to combine my arts to my family.

今、私は厳しくも挑戦的な岐路にあると感じています。妻子を持ち、ダンサーや振付家としてのダンスのキャリアにだけフォーカスするのではなく、父や夫としての役割を担うようになったからです。財政的にも、これは日本だけの問題ではなく、世界中どこでも、常に、家族を養いつつダンスで生活を立てていくというのは難しいことです。ですが、この新しい変化は幸せなことで、ダンサーや振付家マインドだけではなく、あらゆるものにアートを見出し、新しい生活の中からたくさんのインスピレーションを受け取っています。

家族を持つ前と後での一番大きな違いはなんですか?

The most different before and having wife and baby is that before getting married and having baby,l always think about how to make my dance projects and artistic career improve.But since l got married it completely different thinking because l have responsibility of father and husband of cause still thinking about my projects of dance but now more about how to keep them together without shutting down me and my wife artistic dream.Actually during my dance rehearsal l don’t limit my think but make it more wide think who was not happening before.For example in my actual job,am thinking how to fine movements and gestures coming for this job to make dance and also how to bring peoples who are not use to dance dance.Doing this job it very difficult to have a lot of time for dancing ,so even during my working time l find another way to make myself dancing without separating them.And it makes me asking myself what is dance time and what is not?

一番の大きな違いは、以前は自分のダンスプロジェクトをどうするか、アーティストのキャリアをどう積み上げていくかばかりを考えていましたが、結婚を経て、それは全く変わりました。父、夫としての責任を担いつつ、現在は、自分自身や妻のアーティストとしての夢を閉ざさずにどう続けていくのか考えています。実際に、リハーサルの中でも、以前にはなかったような変化があり、自分の考えに制約されずもっと広げて捉えられるようになっています。例えば、(ダンス以外の生活の為の)仕事の中で、いかにして、ダンスとなり得るようなムーブメントや動作・仕草などを見つけることができるか、そして、ダンス(を鑑賞すること、踊ること)に慣れていない人たちを、どうやったらダンスの場に参加してもらうことが可能になるのか、考えています。この仕事をしている間には、やはり、ダンスの為にたくさんの時間を割くことは難しく、仕事をしながらでさえ、ダンスの時間とダンスしていない時間と分かつのではなく、自身のダンスを作りあげていく他の方法を探しています。そして、それは自分自身への問いかけでもあります。何がダンスをする時間で、何がダンスをしない時間なのかを。

あなたにとってダンスの作品を作るということはどういうことですか?

What is Creating dance? it very big question and still in my mind until now,but for my opinion, creating dance is talking about human existence. For example in this year l went in New York for dance project with Yamazaki Kota, and my staying during the project process,in the street going to my hotel or feather place l can see how difficult peoples are struggling to life in this society and community .l felt very bad because it remind me my country situation and the reason of doing contemporary dance.Also looking difference performances in this City makes me think deeding about how to create my dance,after all this experiences l realize that living in japan was changing the my motivation of creating dance

ダンスを作るとは何か。それはとても大きな問いですね、私の中でもまだ考えています。私の意見としては、ダンスを作ることは、人間という存在を語ることではないでしょうか。今年、山崎広太さんのダンスプロジェクトへの参加のため、ニューヨークへ渡ったのですが、そこで、リハーサルの間、ホテルと稽古場へ通う道中、路上で社会的にもコミュニティーから離れた困窮した人々の姿を目の当たりにしました。とても嫌な気持ちになり、そして、その出来事は私に自分の国の状況とコンテンポラリーダンスを踊っている理由を思い出させました。また、ニューヨークで数々の異なるパフォーマンスを見て、より一層、私はどのようにダンスを作りあげていくのか、深く考えるようになりました。これらすべての経験があって、日本に住み生活していることが創作のモチベーションを変化させていることに気が付きました。何が、誰が、人々を幸せにしたり、異なる社会や私たちの生きているコミュニティーの問題を露わにしているのか。勿論、この元にある動機は、日本でも持ち合わせていますが、以前ほど深くはなかったです。なぜなら、私の出身地で直面していたような困難や問題、人々が寝る場所すら持たなかったり、食べるものに困っているような、同じような事は日本では見られないからです。最近、日本での私のパフォーマンスはもっと社会を幸せにすることをベースにしていて、それは日本人の優しさからきていると思っていて、しかしまた違った問題もあって、それらが私がこの日本に住み始めてからのことにもっとフォーカスさせていくでしょう。そして、恐らく、日本の現実・現在に近付いていくための創作のプロセスの中に、私の好奇心を注いでいくでしょう。

日本のダンスをどう感じましたか?

what l think about Japanese contemporary dance is relative to my experience,me as others African choreographer had and still having very difficult situation in our life from our different country in Africa so it always affect our contemporary dance creation and most of time it denounce some problem in the society and the message is direct and clear.In few Japanese contemporary dance creation l have seen, it difficult to get the concept or message of the piece.of cause maybe it what the choreographer want or it up to audience to understand or figure out by themselves and l respect that.so because of this situation many of time l have the feeling to see same works.But one thing l can say without acetate is that many creation is base on very precise dance technique and l really appreciate it too.

日本のコンテンポラリーダンスについて思うこと、それは私の経験と関係していると思います。私や他のアフリカの振付家は、異なる国々、それぞれの生活はとても難しい状況に置かれていて、だから、その環境は常に私たちのコンテンポラリーダンスの創作に影響し、その多くの時間は、ある社会の問題に対する批判に費やされ、そして、そのメッセージは直接的でクリアであると思います。数多くはないですが、今まで観た日本のコンテンポラリーダンスの作品の中では、私はこのようなコンセプトやメッセージ性を持ったものを見出すのは難しかったです。勿論、それはその振付家の求めたことかもしれないし、観客自身の理解に委ねるものかもしれないし、私はそれをリスペクトしています。このような状況の為に、何回も私は同じ作品を観たような気持ちになったことがあります。しかし、ひとつ言えるのは、多くのクリエーションがとても精密なダンスのテクニックを基礎にしていて、わたしは本当に高く評価しています。

これまでに印象に残った舞台について教えてください。

As impressive work personally l didn’t make yet according to my inspection of the concept of my work.but l have seen and join some in japan choreographers like work Yamazaki Kota and Zan Yamashita and in African like: Salia Sanou on < clameur des arenes>, Germaine Acogny on < Fagala>and the most recent one who really impress and inspire me is from Serge Aime Coulibaly on< Kalakuta republic > who use 30 performers including dancers,singer and actor in general contemporary dance creation but have feeling of opera. Joining Yamazaki Kota creation on Darkness part 3 was very impressive too because in this creation Kota concept was base on metamorphose of the body and it was impress to see how he arrived to transformed my body and using my traditional dance steps and movement it the piece.It was also impress because help me to more asking on what kind of choreographer am and want to become.

自身の作品としては、未だ、精査し、深めたコンセプトによる作品を作ることが出来ていません。しかし、私が観たものや日本で参加した、山崎広太さんや山下残さんの振付作品、また、アフリカでは、Salia Sanou の「clameur des arenes」や、Germaine Acognyの「Fagala」があります。一番最近観たものの中で、とても印象に残っている作品は、Serge Aime Coulibalyの「Kalakuta republic」という、ダンサーだけでなく、歌手、役者を含めた30人の出演者が出ていた作品で、コンテンポラリーダンスの作品なのですが、まるでオペラを観たような気持ちになりました。山崎広太さんの「Darkness part 3」という作品に参加したのですが、それもとても印象深い作品でした。なぜなら、彼の作品の中のコンセプトは、身体の変化・変態であり、私自身の身体をどのように変化させていくか、わたしの伝統的な(アフリカン)ダンスのステップやムーブメントをどのように用いるか、印象深かったです。この作品を通して、私はどのような振付家であり、どのようになりたいのか、もっと考えるようになりました。

夢はありますか?

My dream is to build dance place in my country .this place will giving opportunity to african artistes to show their arts and put them in relationship with artistes oversea.It also to find way to make everyone dance.

私の国に、ダンスができる場所を建てたいです。この場所では、アフリカのアーティストが彼らのアートを見せることが出来たり、また海外のアーティストとの親交も深めることが出来ます。それから、すべての人が踊ることが出来る方法を見つけることです。

あなたにとってダンスとはなんですか?

La danse,c’est la vie humaine

出演者写真・DANCE PJ REVO(田村 興一郎)

DANCE PJ REVO(田村 興一郎)

振付作家・ダンスアーティスト。DANCE PJ REVO(NPO法人DANCE BOXアソシエイト・カンパニー)主宰。京都、東京、韓国、フランス各地で作品制作を手掛けるなど、国内外で活動中。横浜ダンスコレクションにて奨励賞、最優秀新人賞、若手振付家のための在日フランス大使館賞、シビウ国際演劇祭賞受賞。また発達障害児童へのダンス指導など、様々な形でダンスシーンの活性化に向けて取り組んでいる。

ダンスの天地に応募したきっかけを教えてください

「ダンスの天地は批評を大事にしてくれている、確実なフィードバックがもらえるダンスの公演って今ではほとんどないと思うんですよ。いわゆる試演会みたいな機会とかがやっぱり少なくて、僕のダンスの経験から言わせてもらうと、あるからこそ良いものが作れると思っていて、自分も試演会を経て良いフィードバックをもらえたからこそ、作品が良くなったのでそういうチャンスは逃したくないなと思って応募しました。」

そのフィードバックはどのように活かされていますか?

「作品制作の良いところは、一からゼロに戻れるところ。それがすごく良くて、芸術には全て共通することだと思うんですけど、考えて積み重ねたものを全部無くしてしまう。ゼロにする恐怖や勇気も必要なところがまた魅力で、フィードバックってそういう意味でも大事。それがあるからこそ自分が作ったものを疑って、壊して、見つめなおすきっかけにになる。壊すことも必要だし、全部ではなくても一部分だけでもそういう過程は大事で、作品はそこに応じてくれる。それでこそ、もっともっと良いものが積み上がっていく。そのプロセスがちゃんと手に入るので、重要さを感じています。」

積み上がっていくものって結局なんだと思いますか?

「自分の美学や哲学。あるいはこだわりかなと思っています。最初はみんなこれが良いのかわからなくて不安になると思うんですけど、いろんなことを試していくうちに発見し、自信に繋げていくと思うんです。みんなそれぞれの価値観を持っていると思うので、着たい服とか食べたいものとか。それと同じ意味でのこだわりを積み上げていくことができるかどうかだなって思っています。」

田村さんのこだわりはなんですか?

「今までも変わってきたし、これからも変わっていくと思うんですけど、その人と場所と環境だからこそできる可能性ですね。目の前にある身体の生の部分、それが見えるように作品作りをしています。人との距離感ってことも大きくて、近づけば近づくほど呼吸や表情、動きなんかを体験できる。いわゆる、鑑賞者とダンサーが共振すること。映画を見ることも好きなんですけど、そういう魅力とは違った、生の身体に対して見てる側の心の動く瞬間、グリップされたような瞬間を作っていきたいなって思っています。」

ダンスを始めたきっかけと最近の活動について教えてください

「高校生の時にダンス部に入ったことがきっかけで、もともと中学くらいからダンスへの興味はあったんですけど、高校生からやっと本格的に始めることができたって感じですかね。最近の活動のなかで気付いたことがあって、それは普通に踊ることだけしかしてないんですね。自分の中で作品を作って、外に向けて作品を出す。これだけではなくてもっと活動幅を広げてやりたいと思っています。教えもそうだし、まずはこのスタイルを広げていく活動がしたいなって思っています。このあいだフランスに三ヶ月行ってきたんですけど、そこでわかったことは国のサポートとかが充実しているといった差異以上に、根本的に違うことがあるって気づいたんです。それは、人々の関心。例えばパフォーマンスとかも何をやっているか分からなくても喰いついてきてくれる人がたくさんいる。自分なりの解釈の上でつい喰いてきてくれる人が多くて。いろんな人が感受性豊かに構えているし、アートが多い環境だからこそ、興味を持ってくれるのかなって。でも日本とかだと、少し引いてしまうところがある。分かりませんになってしまうところが多いなって。」

これまで多くの作品を振り付けされていると思いますが、改めて田村さんにとってのダンサーとの関係について教えてください。

「ダンサー選びで一番大きいのは作品にとっての優先度だと思うんです。例えば、男女での作品だった場合に二人の空気感を醸し出した静観なものを作りたいってイメージがあった時は、僕が出てもう一人女性が出ればいい。もちろんその作品にそれ以上のダンサーは必要ないんですね。作品で使いたい人数のイメージによっては、たとえば僕のソロであったり、群舞であったり様々あると思うんです。カンパニーをやっていると毎回同じメンバーで作品を作るわけじゃないですか。でも僕にとってそれは、毎回作品のイメージが変わるので、場合によっては必要ない人がいたりもっとそのイメージに合うダンサーが他にいるとか、そんなふうに考えてしまうんです。シンプルなことなんですけど、それに気づいたんです。その作品を考えるためにはイメージに合わないダンサーは犠牲にしないといけない。優先順位として作品に対してのイメージを大事にしたいと思っているので、そういう意味でも僕はダンサーとの関係についてはいい意味で自由でありたいと思っていますね。そこに人間関係とかもついてくると思うんですけど、僕はイメージを守るために比較的作品の方を大事にしてしまいます。でもその場でダンサーと一緒にいる時間はもっと大事にしています。」

田村さんにとって自身が出演する作品とそうでない作品の違いを教えてください。

「極力、僕は自分が作った作品には自分も出るべきだと思っていて。やっぱり、自分でやった方が早いって思うこともありますし、自分のイメージした質感とか動きっていうものは自分で起こした方がいい。それを大事にしたいと思っているし、まだまだ踊っていたいと思っているし、踊っている時は生きている感じがするんですよね。僕が尊敬する振付家も自分が作っている作品に出演されているし、ダンサーとしての自分と振付家としての自分をちゃんと切り分けて客観的にクリエーションできているから、そこに影響を受けているので自分も出るようにしてるんです。でてない時もあるんですけど、それは女性だけ目立たせたい作品とかだから自分がいるべきではないって分かるのでそこはアウトしてますが。」

ダンサーの魅力をどうやって見つけていきますか?

「作品によるんですけど、情報っていうものは必要で。その人にしかない情報を大事にしていますね。例えば、ブレイクダンスをやっている子、それをしながら身体表現にも興味がある子、理解がある子って僕が知っている範囲では珍しくて、そういうところは活かしたいですね。持っているスキル、それをこの世界観でどうやるかってところ提示してあげたりとか、そういうところで個人の面白さを尊重したりとかしますね。あとは僕はルックスは大事にしていますね。何億通りもある体格や個性、生き方や感じ方、いろいろあって。それはもうオリジナリティーなんですよね。舞台に立っていてあくまでスキルはクオリティを上げるもので、だからクオリティを意識しなければ誰でも舞台には立てるんですけど、その原点や理論をまず自分が理解すること。そこからこの人しかできない動きってなんだろう、小さい人と大きい人がいた時に普通は大きい人の上に小さい人が乗る。逆は恐らく無理、でも無理に思えることが面白い。みたいなところまで想像力を膨らませて考えていく。そういうところから個人の情報を読み取っていますね。」

自身のことをダンサーとして見る時はどんな風に見ていますか?

「僕も最近まではダンス向いてないなって思っていたんです。作る方が楽しいし、鍛えるのしんどいし、食べるのが好きだったりもするから(笑)環境が環境だったので踊らないといけないところにいたので、今年のフランスとか去年の韓国でのレジデンスでは踊れる環境を独り占めでした。そういう経験があるからこそ改めてダンサーでなければといけないなって。どういうダンサーであるべきかって考えて、最近わかったことがあったんですけど、自分の特技とか今までやってきたスキルを活かそうとしすぎていたなって。そこの過信は違うなって思ったんです。ソロでは一人でできることばっかり探していたんです。人には抑制とか制限とかを求めるくせに自分は自由奔放に踊るとか、そんな感じで条件ゆるくていいのかなって思った時に、もっと振付家の自分とダンサーの自分を切り離そうとしましたね。踊れなくてもいい、描いた世界を1人でも正確にと。でもやっぱり負けず嫌いなところもあるので、誰よりも表現できたいし、やれないことがないくらい万能になりたい。ダンサーの理想図はそういうことですかね。」

田村さんにとって作品を作るとはどういうことですか?

「生きがいですね。どういう時も人ってインプットしているものであって、仕事でも恋愛でも生活でも。それをアウトプットする場所って、人と会話したり料理をしたりとかいろいろあると思うんですよ。僕にとってのアウトプットはダンスを作ることなんですよね。だから生きていたら作るんだろうなって、もし僕がダンスを作らなかったら歌だったり絵だったりしたんじゃないかな。」

作品を他者に見てもらうことについてどう考えていますか?

「どんな意見が来てもいいなと僕は思っています。基本的には狙いを定めたらその通りには行きたいんですけど、ダンスの良さってフィードバックが当たってても外れててもどっちも面白いと思うんです。パズルがはまったような気持ち良さもあれば、自分でも思っていないような解釈になっていることへの驚き。そのダブルが面白いと思いますね。それが必然的に起こるので、そういう見返りのようなものは大事にしてますね。」

ダンスの自明性についてどう思いますか?

「一応調べたりはしたんですけどね。存在意義的な?自明性って言葉自体がピンとはこないけど、ダンスの存在意義をはっきりさせるみたいなことだと思っているんですよね。ダンスだからこそできること、そこに生の体があるからこそ伝わる躍動感、舞台芸術だからこそ深いところで共振できることがあるし、面白いと思います。
僕の中でダンスってことに対してはわりとはっきりしているから、もし自明性を疑うならやらないって選択肢になっちゃうんですよね。僕自身の根底にはあくまで表現があるので、ダンスに限られているものではないんですよね。これをしたいならダンスでなくても良いとか。そこらへんの線引きははっきりしてると思います。」

今一番わからないことはなんですか?

「芸術を理解しようとしない人、関心のない人の心情ですね。綺麗なものには綺麗なものへの、汚いものには汚いものへの感情のようなものが誰にでもあると思うんですよ。あるはずなのに、いざそれが芸術になると全く関心がなくなるんですよね。何に触れて生きてきたか、その環境違いによる要因とか、根本的な好き嫌いもあると思うんですけど、たとえどんなに抽象的でも人間って基本は同じ感性があると思ってるんで、そこらへんがわからないですね。でも分かる人達だけで集まってもつまらないとは思うんですけどね(笑)」

今までで一番印象に残っている舞台はなんですか?

「ルイス・ガレーのインポッシブル?KYOTO EXPERIMENTでやっていたやつなんですけど。初めて人間の境地を越えているところに行けた気がした。それがすごい面白くて、いわゆるダンスだから、人間ができることを見て僕達はそれで感動するんですけど。ルイス・ガレーの作品は、人間ができないことを僕らは見てしまった感じがしたんですよ。もちろん物理的にいえばできているってことは分かるんですけど、そうではない人間性というものがふっと離れていくような、死者でもない神々が集うような舞台空間ができあがっていて、初めて見るものだったんですよね。このうえない感動、それは今でも塗り替えられていないというか、衝撃でしたね。まるで天国にいるみたいに見えてすごいよかったです。ウズウズしました。」

田村さんにとってダンス以外で影響を与えているものはなんですか?

「現代美術と音楽ですね。」

「現代美術はやっぱり、どうやって生み出すの?って作品がそろっていて。すごいスケールの大きい作品とか環境だったり、それをごそっと作ることに感動を覚える。アーティストの彼らがつくりたいアートに向かうための材料がキャンバス、石膏、いろいろあると思うんですけど。僕は人。人だからこそ人の可能性や未来を見せれる。彼らはマテリアルだからこそ、人智を超えているものを生み出そうとしているところがすごいと思いますね。そういうところは勉強させてもらってますね。空間の使い方、色味、コンセプト、それが深いし、僕はダンスですごい参考にしています。音楽はやっぱりライブですね。音楽は大好きなので、いい曲を聴くと同じくらいいいものを作りたいって思います。ガチガチに技法とかを参考にしているのは現代美術なんですけど憧れとか感覚は、負けたくないなって思うのは音楽ですね、よく聞くのはJ-POPなんですけど。僕の作品は寿命が短いところが欠点だなって思います。本質的にやりたいことを伝えるための時間ってたとえばダンスは30分。現代美術は2週間。音楽は一生だし。」

夢はありますか?

「二つあるんですけど、一つは土台をしっかりさせる。それが夢ですね。自分がダンスを作る環境の土台なんですけど。アルバイトしないと生きていけないこの世界を選んでしまったからこそ、認知度が低いからこそ、そうではない環境を手にしたいですね。他のアーティストもいい環境を手に入れていくことができれば、随所でアート、そして必然的に日本でダンスがしやすい環境になるんじゃないかと。収入、経済のパイプがしっかり入っていればその分バイトではなくてダンスに集中できる時間が生まれる。そうしてもっと高みを目指していきたいですね。もう一つは世界中の人達とダンスで繋がりたい。言葉がいらない、身体でコミュニケーションするってことは世界でも共通なので。」

あなたにとってダンスとはなんですか?

「冒険と旅ですね。ダンスをやっていたからこそ、今の自分がいるし、いろんなところに行けたので。そしていろんな人に出会えた。これはまぎれもなく旅であると思うし、今自分がやっているダンスだからこそ、挑戦し続けていろんな幅が広がった。そして色んな経験を得た。それは冒険なんですよね。これが生きている理由にもつながっています。」